霊的な見地からは、物質世界を見通すことができるので、自分の学びに相応しい親を選んで生まれてくるのだそうです。
“学び”だから、私たちは単にこの世をエンジョイするために来たわけではないということになりますね。
霊の世界は、同じ想念の者たちが集まっている世界だそうです。
意識を変えて、もっと精妙な波動の世界に行きたいと思っても、なかなか変化を起こせない状態にあります。
だから、雑多な想念の交差するこの世に生まれ出て、そこでの学びを通して波動を変えようと試みるわけです。
なぜ、親と自分の考えはこんなにも違うのだろうと思うことがあっても、上記のことを考えれば、違って当たり前ということになりますね!
理解されないゆえに悩み苦しみ、なんとか打開策をみつけようとする過程で、人は成長していくのだと思います。
自分のことを振り返ってみても、そのことを感じます。
人生の割と早い時期から、精神的なことを考えることが多かったと思います。
やがて、それはスピリチュアルなことへと移行していきました。
もし、私が浮世的なことを何でも思い通りにすることができていたら、おそらくスピリチュアルのスの字も学んでいなかったと思います。
仮に興味を持ったとしても人生がだいぶ過ぎた頃のことになるでしょう。
つまり、このブログも存在しないことになります。
学んだことを人に知らせて役立ててもらいたい、と思う状態までにはなりえないことでしょうから。
この世があまり辛くなりすぎても、やってられませんけど、この世の栄光は所詮あの世には持っていけないのです。
そう理解できると、人生に臨む姿勢や、人を見る目が変化するのではないでしょうか。
あなたはその人生で何を学ぼうとやって来たのですか?
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