そんな姿を見て育った私も、人から不快だなと感じることを言われても文句を言うなど意思表示することを思いつかない子だったのです。
過去を振り返ってみると、あの人、けっこう感じの悪いこと言っていたな~と思うものがあります。こちらが何かあなたに悪いことしましたっけ?って聞きたくなるような。
今だから分かるのですが、それはその人の親からのフィルターが入ってこちらを見ていたからかもしれないな~と。
(あるある、そういうことってある! 自分にもあったと思います。でも迷惑かけた人には心の中で謝っておきました)←江原さんによるとこういう形でも有効だそうです。
それにしても人に対して反論したりするのは、あまりよろしくないらしい。(一種の罪になる?よくわからないですけどね)
母が無口でよかった!余計な罪を重ねなくてすんだ!と今は思っています。
現在の私は、少しは何か言うかもしれないけど、いがみ合うような関係になる前に距離をおく方向に持っていくと思います。
不思議なのですが、あまり係わるべき人でないと気づいたとき、その人から離れる機会も同時に訪れるのです。
心のなかで文句を言いながらも嫌な人と付き合っている人っていますが、どうしてなんでしょ? 仕事関係ならともかく。
そんなお互いのためにならない不毛な人間関係は嫌ですね~。
私のことを陰で悪口を言ったりする人は、私が離れることで次第に私の存在を忘れていき、その分罪が減るのでは?
また、私にとっても気分を害されなくて良い環境になります。
スピリチュアルな教えのなかには、どんな人とも仲良くみたいなのがあります。
でもそれは、人から何か言われてもびくともしない大木のように成長した段階の人の話であって、成長過程の弱い部分のある状態の人には当てはまらないと思うのです。
自分を大切にして成長していくことは、自分のためばかりでなく、ひいては本当の意味で人のためにもなるのではないかと思います。
母の日の今日、そんなことが頭を去来したので書いてみました。
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