近藤麻理恵 著の「人生がときめく 片づけの魔法」という本を見ながら自分なりに片づけをしてきて、この頃その本のエッセンスとも言えるものが深く分かってきました。
彼女はただ片づけをしろとすすめているのではなくて、片づけはサッサと終わらせて、ときめくようなあなたの人生を生きなさい!と言っているのです。
そう理解したとき、物についてだけでなく人間関係はどうなのだろうという疑問が生じました。
その人物と話していて楽しい? 力が湧いてくる?
純粋にそういった質問を自分にしてみたのです。
そうすると、自分の気持ち的には憤慨することを幾度も聞かされていたのに、全面的に悪い人じゃないでしょと理性で自分の気持ちを抑えていたことに気がつきました。
これだけでも相当ストレスになりますよね。しかも相手はこちらの気持ちを察してわびることもない人で、そんな幼稚な精神性の人と付き合う意味があるのだろうかと思いました。
こちらはだんだん弱っていくばかりだわと思いました。
そのとき、あっ!これがエナジーバンパイアか!と気がついたのです。
とにかく、そういう人たちと距離をおかないと自分の人生までも徐々に徐々に食いつぶされてしまいそうだと感じました。
逆に、人生のなかで自分なりに楽しみをみつけている人は満たされているので、こちらからエネルギーを奪うことはありません。
それどころかインスパイアされてこちらも頑張ろうという気分になります。
ご高齢の方でもカクシャクとしていてお話を聞いているうちに元気をもらえる方もいます。
恥ずかしながら、今までこのようにハッキリと気がついていなかったのです。
もう一つの要因は、人生があらゆる意味で上手くいくようになるためには「自分を愛する」ことが大切であるという言葉に出合ったことです。
私は自分を愛しているだろうか? いや、愛していると言えるような行動をとっているとはとても思えない!
どちらかと言うと、人を気づかってばかりで自分の気持ちをないがしろにしていたなと。
相手もこちらの気持ちを気づかう人ならば問題はないけど、そうじゃないと知らない間にこちらばかりにストレスが溜まってくる。
このように被害者的になってしまうのは、育った環境、親などの(自尊心が低い)考え方によるのかもしれません。
親もまたその親からそういった考えを受け継いでいるのだと思います。何の疑問もなく。まあ、気がつくだけの余裕がなかったのかもしれませんが……。
気がついた私がそれを変えていけばいいのだと思いました。
そんなとき、あるブログを見ていたら人間を植物に例えた話が載っていました。
それを読んで、水や栄養などが足りてすくすくと育つ植物を思い浮かべました。
そしてもしその環境が奪われたなら、本来、花が咲き、実もなる植物だったとしてもそうはならなくなってしまうだろうなーって。
人に無闇にエネルギーを渡してしまうということはそういうことなのです。
まず、自分自身という植物にエネルギーを与えて花を咲かせないといけませんね!
そうすれば自分に力が満ちてきて、本当の意味で人助けもできるようになるのだと思いました。
自分が磨り減り、相手のためにもならない、エネルギーを渡すという行為は良くないことだと自覚したので書いてみました。
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