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とある社長のつぶやき

人生100年シリーズ⑪ 今回は、「人生をより良いものとする究極の方法」

2022-03-26 15:41:00 | 日記

人生100年シリーズ⑪ 今回は、「人生をより良いものとする究極の方法」をご紹介します。

 

ここに資格試験に不合格となった人が二人いたとします。

・A君 →「このままではダメだ!」「成長したい!」「もっと勉強しよう!」

・B君 →「自分には向いていない。」「もうやりたくない!」「やめよう」

 

 このように起きたことは同じであっても、捉え方次第で全く違った発想となり、その人の人生は大きく変わる事と思います。「資格試験に落ちた」「トラブルが発生した」となれば、多くの人はネガティブな感情を抱き、自分の不幸を呪うことでしょう。

 

 しかし、一般的に悪い事と言われるようなことでも、ポジティブに捉えることは「考え方次第で」出来るはずです。自分の思い通りに行かない時こそ「運が良い」と考える。

 

 このような習慣が身に付けば、多くのチャンスを捉えられるようになります。「失敗は失敗と思った瞬間に失敗になります」失敗のおかげで成長の機会が与えられたと考えましょう。

 

 逸話を一つ。

 ある若者が「幸せを求めて旅」をしていました。そこで、とある町に着き、出会った老人に「私は幸せを求めて旅をしています。この町は良い街ですか?」と聞きました。

 

すると老人は「あなたのいた町はどうだったか?」と聞き返します。

 

若者は「私のいた町は最悪の町でした。人は不親切で、私に意地悪な事ばかりします」と答えました。

 

老人は「この町も君のいた町と変わらない」と答えます。

 

それを聞いた若者はガックリと肩を落として、この町に入ることなく、違う街に向かいました

 

 またしばらくすると、別の「幸せを求めた若者」が老人に「ここは良い町か?」と尋ねたので、老人は「あなたのいた町はどうだったか?」と聞きました。

 

 若者は「私がいた町はとても良い街でした。人は皆親切で、優しい。他の町も見てみたくて、旅をしています。」と答えます。

 

 すると老人は「この町も君のいた町と変わらない」と答えました。

若者はとても喜び、胸に期待を膨らませて街に入っていった。ということです。

 

 この話は何を示唆(しさ)しているのでしょうか。

若者に起きた事は同じでしたが、ストーリーは真逆の展開です。 

 

ぜひ、この話を例文にして「若者を自分」に、「町」を「自分の身近な何か」に置き変えて、自分自身はどちらの若者なのか、考えてみて下さい。

 

 お金持ちも貧乏な人も、頭がいい人も悪い人も、元々起きている事は大して変わらないはずです。

その後にどう考えるかが大切であって、全ては受け止め方次第なのです。

 

 

 

納税者番付日本一になったこともある「斎藤一人さん」の詩をひとつご紹介します。

 

「私はいつも小さな幸せを数えます。一つ数えると一つ花が咲きます。二つ数えると二つ花が咲きます。たちまち私の心は一面のお花畑にかわります」

 

 こうなれば幸せになる。お金持ちになれば幸せになる。などと、幸せの条件を決めるといつまでも幸せにはなれません。

 

 「ご飯が食べられて幸せ」「住むところがあって幸せ」「目が覚めて幸せ」「仕事が出来て幸せ」と、このように今の幸せを数えるのです。

 

 人生は才能で決まるものではなく、学歴でもありません。もちろんお金でもありません。自分自身の考え方で決まります。

 

 何かつらいことが有ったとしても、次は必ず成功する。何とかなる!とポジティブに考える。これが「人生をより良いものとする究極の方法」ではないでしょうか。

 

 

戦争は理解に苦しむが、全く他人事とも思えない自分もいる

2022-03-10 09:02:13 | 日記

 ウクライナで現在起きている出来事が、これまで生きてきた経験からすると、余りにも非現実的すぎて、ショックを受けています。

人類は歴史的にその発展段階において住む場所や食料を求めて、多くの戦いを繰り広げてきました。その中でも中世から近現代に至る多くの戦争は「戦士や戦闘員」が一般市民の暮らす場所とは別の場所で、敵か味方かを識別する為の「戦闘服」や、「指物(さしもの)」呼ばれる「敵味方を識別する旗」を立てて行うなど、基本的には市民生活とは別の場所で行うものでした。

 

しかし、先の世界大戦末期では、市民を標的にした「空襲」や「原爆投下」などの大量破壊兵器が使われたことを世界中が反省し、一般市民を攻撃する戦闘は建前上行わないことになりました。ところが現在報道されている映像を見る限り、一般市民の生活場所を躊躇(ちゅうちょ)なく攻撃する映像が多く流されており驚きます。

人それぞれ価値観は異なると思いますが、ロシアの行っている行為を例えるなら、隣の住民が突然やってきて「そこの土地は100年前、俺の先祖の土地だった」と言って、武器を持ちながら「出ていけ!」と言っているように感じます。

世間にはロシアを擁護し、喧嘩両成敗的な評論をする人もいるようですが、このような事が、自分や家族に起こったとしても、同じような事を言うのだろうか?人と違う意見を言う自分に酔っているのか、マウントを取りたいのではないか?理解に苦しみます。

早く、このような理不尽な事が終わることを願うばかりです。

 

福沢諭吉は「天の上に人を造らず、天の下に人は造らず」と有名な言葉を残しています。

これは「万人は皆同じ地位と資格を持ち、生まれながらにして平等である」という事を言っていると思います。しかし、現実は生まれた時は平等でも、次第に格差は広がってしまう。

だからこそ福沢諭吉は「学問をすすめる」と言っているわけですが、それ以前に個人の「心構え」としては何が必要なのでしょうか?

 

大きな要素の一つとして、個人的には「自立心(独立心)」ではないかと常々感じています。自立心の無い人は、信念がありません。信念が無ければ「人を納得させること」が出来ません。

また、自立心の無い人は、他人をあてにします。他人をあてにする人は、相手を気にしてお世辞を言います。自分の意見を持たなければ、他人の意見に左右され、人を見た目で判断し、時に「おじけづき」足元を見られれば、利益を奪い取られることもあるでしょう。

 

 人間の自立とは「衣食住を自分で行う」ことだけではありません。それでは昆虫の「蟻(あり)」と同じですね。蟻でさえ巣を作り、食糧を貯えます。

人として「自立」するというのは「経済的独立」と言った表面的なことではなく、「社会の一員として、その立場を自覚し、相互の幸福のために高い目標を掲げ、自分の存在に誇りを持ちつつ、社会や家族、友人や仲間のために貢献する」ことではないでしょうか。

 

ウクライナで起きている出来事は、「自分の利益のためなら、他人から奪い取っても手に入れる」という本来人類が目指すべき方向とは真逆のように思えてなりません。しかし、人間は弱い生き物です。いつか自分がエゴイズムに侵され、傲慢(ごうまん)な存在に変化してしまう事もありえると思います。今回の戦争はとても理解に苦しむ出来事ですが、全く他人事とも言い切れない気もしています。

 以上


頑張らなくても良いので、成果を出してもらいたい。

2022-03-07 12:38:59 | 日記

 今回は、仕事と努力の関係について考えてみたいと思います。

会議などで「頑張ります」と言うことは「よく」ありますよね。自分自身も過去、上司に「出来るのか?」と聞かれた際「頑張ります」とよく言ってきました。そんな時に「頑張らなくていいから結果を出してくれ」などと言われることもありました。

 

 仕事とは「努力」の積み重ねであると考えがちですが、そもそも人間は「無限に頑張る」ことなど出来ないと思います。努力は大切なことですが、我慢を重ね、苦難に立ち向かう事を続けられるのか?それで高い成果を上げ続けられるのか?と疑問が生まれます。

 

では、「高いパフォーマンス」を上げ続ける人はどのようなメンタルで仕事に取り組んでいるのかを考えてみますと、「苦労を重ね、努力を続けている」というよりも「いかに楽しみながら実行するか」ということを工夫しながら取り組んでいる人が多いと思います。

 

 わたくしが知っている「成果を出し続ける人」は、努力と我慢を続けているというよりも、楽しみながら実行する天才で、言い方を変えると「より小さいエネルギーで成果を上げる」人だと思っています。

 

では、具体的にどのような考え方を持てば「我慢を楽しい」に変換できるのでしょうか。

例えば、「不平不満を口にすると、どんどん不満が増し、仕事が手に付かない」と感じることはありませんか?頭の中は「仕事机」と似ています。「記憶」は引き出しの中に、書類をしまうイメージ。そして「今、意識している事」は、机の上(デスクトップ)に書類を広げているイメージです。

 

 デスクトップはスペースが限られています。その限られているスペースに「不平、不満が沢山あるような状態」では、自由に使えるスペースが減り、仕事が効率的に進まなくなりますので、「不平不満」をデスクトップという「意識」から除外することが重要です。

その為に、例えば「仕事中は不平不満を口にしない」とか、「不平不満が浮かんだら、同時に感謝すべきことを探す」など、自分の中でルールを作ると良いと思います。

 

 次に、「最初の一歩を小さくする」という考え方も大切な考え方だと思います。やらなきゃいけないことをすぐに始められない人は、最初の一歩を大きく設定しすぎているのかもしれません。「小さく考える」「大上段に構えない」やらなくてはならないことを困難なものと考えてしまうと、スタートの時点でひるんでしまうと思います。

 

 「まずはやってみる」「最初の一歩を小さく、またはステップを細かくする」「全部一度にやろうとしない」などの工夫をすることで、スタートすることのストレスを減らすことが出来ると思います。

 

 最後に、我々は手軽な解決策を求めすぎていないか?という疑問があります。手軽な解決策は目先の問題を取り除くには役立つかもしれません。しかし、出来れば「一度しか使えない知恵」より、「何度でも役立つ原理原則を理解」した方が長期的には良いと思います。

「なぜそうなるのか?」「どういう仕組みなのか?」を理解すれば、何度でも応用できるのではないでしょうか。

 

 労働生産性の研究で有名なH・エマーソンによれば「方法は何万とあっても、原理は僅かしかなく、原理を把握していれば、自分の方法を正しく選ぶことができ、原理を無視した安易な方法に飛びつく人は、必ず困難におちいる」と言っています。

原理原則を把握するために、「問題の本質」を見抜く力を磨いていきたいと思います。

 

以上