眉山の麓~犬と話し、猫に聞く(共存共生)ひまわり人生~微笑(^_^) nanako巫女

苦難は必ず活路を伴っている。
入りそめて国豊かなるみぎりとや千代
とかぎらじ仙台の松。念ずれば花開く過去の花未来の蕾

永山子供基金・・永山則夫

2009年10月11日 23時00分14秒 | 犬猫と共生する。
8人兄弟の7番目に生まれた永山則夫・・父親は子供のこずかいまで博打
母親は子供を捨てて実家に逃げ帰る、網走の極寒の中・・屑拾いで・・
則夫は4歳です。民生委員が尋ねた時は餓死状態で助かる。殺害は悪いが
この状態では戦争で何人も殺した奴と・・同じ・・船田裁判で無期懲役・・
それがマスコミの餌食になる。差し戻し検察は机の上だけの議論で・・
本人に会わず・4人殺害のみで死刑にした。ほんまの極悪人の人間とは
区別すべきだ。作家になり入会を進めた中で江藤 淳の反対で不可に
1997年8月1日午前絞首刑・・48歳・・骨はオホウツクの海に
 散骨されました。人が人を裁くにはそれだけの人物がいる。
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死刑囚永山則夫

2009年10月11日 22時40分34秒 | 犬猫と共生する。
もし出会っていたら・・好きになり・・・愛していたと思います。
19歳で四人殺害までは彼はカタカナしか、書けなかった。
貧困の生活からの人生をつずった・・無知の涙・・その彼が1980年12月12日結婚父親のわからない、ハーフ二人は愛された事のない共通点が理解できる。
万引きをしたりする。貧乏・・貧困・・彼は刑務所の中で聖人・・哲学者になった。2000冊の哲学書・・印税は被害者に届けている。貧しさから犯罪を犯すことのないように永山子供基金がある。永山は死刑にすべきではなかった。生きていればもっと社会に還元で来た。ビートたけしと同じ所で遅番早番でいた。
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