先輩が82歳の時に飲みながら人生ははなかんでめをつむった一瞬と言ってました。、子供がなく夫に先立たれ73歳で再婚、相手も五年もせぬまに亡くなり、彼女は84歳で資産や現金宝石〓最高裁まで争った養子に全部とられました。階段踏み外し骨折が寝たきりに、その前にあいましたが、生前贈与に反発してたのに、もうどうでも良い、好きなようにしたら良いと話してました。
奇跡を信じたい。泊まり掛けでは出掛けられない。7月のオペまでにガン細胞〓小さくなる方法を教えて頂いたが2回も留守を頼めない、覚悟してるのに、未練があるんです。子供たちをほってはいけない。
二十歳から~考えた計画は50歳までしかたててませんでした。48歳には全部返済して株は200万現金他は3000万予定通りが思ったよりバブルにぶつかり五年も早くその倍の蓄えになりました。現金は5000万円想定外の対応は考えてなかった。現在の病も想定してなかったのです。
道を間違えたのは多分48さいすぎた時にわかってました。最後の詰は多分55歳の時です 過ぎれば人生が変わるとわかってましたが。止めれなかった。
今でもハッキリ覚えてます。五輪の飛行雲と円谷幸喜今だったら絶対死ななかった。プレッシャーなんか今の子供にはない。ええかっこしいのはおるけど、