集まる仲間達・・・
なんだろう~
この嬉しさ。
うんうん!!毎日会えることが楽しみだ!
共に汗することが清々しい!
同じ目標を目指し
己を磨き、高める!
獅子舞は深い。
昔は、新人だったアシタメも、いつの間にかは指導者の立場に…
日々熱のこもった稽古
伝統を受け継ぐものの意志
『なんで、そんなこど、しんなねなや~』
こんな言葉がでない地域づくり
『ほっけな、も~やめっぺは~』
こんな、動きがでない人間づくり
俺達が守ってがんなねべ!!
バブル期や高度経済成長期に
あくせく稼いで、今になって古き良き時代へ
思いをよせる大先輩方。
当時とは、時代が違うんですよ・・・。
なんでもかんでもやめちゃったり
後継者不足といわれ・・・
スクラップ&ビルドの世の中。
今さら復活なんて、笑っちゃうような、よく聞く話。
今から30年前なんて、みんな働くことが主
ストレスなんて言葉は、金と娯楽で解消できた時代。
今とは違うんですよ・・・。
おっと・・・愚痴っぽくなりました。
今を生きなければいけませんでした。
お祭りの話でしたね
さて・・・
ロマンな話をひとつ
地域的にも謎の多い歌丸神社の獅子舞
川西町や南陽市の一部に、歌丸神社から
獅子舞を伝授された神社があることは有名です。
長井市の黒獅子舞の中でも異色を放つ謎の多い獅子舞
萩生や手の子、八幡系の獅子頭の特徴を持ち
歴史的に見ても、東置賜に属していた歌丸地区は
上記の地区と交流や親交があったとしてもうなずけます。
やはり、伊達家の支配下にあった当時、白川という
境界線は様々な文化を特徴付けたのでしょう。
それ以前の統治は、吾妻鏡などで知ることはできますが
神社自体に残っているはずの文献はすべて焼失している事実。
(江戸期?獅子頭も焼失し、当時の秋葉神社から譲り受けています。)
八幡信仰と、民衆統治の関係なのか・・・
何らかの権力抗争で焼き払いあったのでしょうか・・・
豊田地区一帯は、古戦場だったといわれており
赤い水が出るのはそのせいだったという民話もあったとか・・・
事実、白川流域の地下水は鉄分を多く含み
地元では【かなけ】といわれるほどです。
地域に残る名所・旧跡も、とても古い史実と共に残ってます。
米沢・高畠と豊田地区の歴史関係を考えれば
見えてくる真実が!!
または・・・
今はおっしゃる、じっちゃ・ばっちゃもいませんが
川を挟み、不仲説もありました。(犬猿のなかみたいな)
古い時代の方々は、日常から信仰と統治下で生きていましたから
土着型の風習といいますか、掟があったのでしょう。
このような角度から、獅子舞と神社・寺の信仰をみるのもおもしろいです。
新田・伊達・上杉と
統治していた武家の信仰やルーツに共通点があるのではと・・・
お~また物思いにふけるアシタメ。
藤原北家や清和源氏にたどり着きくのでしょうか・・・
そして、秦氏にたどり着き
スサノオへと・・・
木の葉眉と三つ巴紋、そして八幡神社の謎解明でしょうか。
さて
稽古に集中です。
歌丸神社の歴史を知り、誇りと品格をもって
獅子舞をしなければいけませんね!