デイジーの気持ちも新たに

雨宮デイジーの日々の生活・トピックス

目に止まった一文

2013年11月09日 | 生活
先日用事がありまして、少し出かけて来たんです。

時間潰しにパラパラと雑誌をめくりましたら

結構面白い事が書いていて、乗り物に乗りながらでしたが

あっと言う間に到着しました。

どれもとても面白いのには違いないのですが

何気ない一行の文に私は目が止まり
私はですが、深いなあと思いました。

紹介しますね。

多分外国の途上国と言うのは語弊が有るのかもしれないのですが
確か黒人の白い眼(まなこ)の透き通るような綺麗な瞳の少女の
画像が有り、一文が有りました。

「13歳で結婚、14歳で出産・・・彼女はまだ恋を知らない」と
言う言葉です。

先進国と言われる国は恋愛、結婚は自由な国ですよね。
この少女には選択肢が無いのでしょうか?

親が決めて結婚をし、結婚生活と言う物(大切な人との生活)を
知らないうちに身ごもり子供を産み育てる
だけど、彼女はまだ恋を知らないと言う事は
その人を好きで受け入れて結婚した訳ではない
と言う事ではないですか?

そして、離婚と言う事もしないならずっと恋をしないで
この少女は一生を終えるのでしょうか?

何や私にとっては深すぎていたたまれませんでした。

周りに人が居らっしゃったので、泣くわけにもいかないし
素朴にここに住むこのような少女も恋と言うものを
知ってくれたら嬉しいなあと、正直に思いました。


いつの事でしょうか?

あるところでボランティアのお話をしていました。

被災地や難民のところに心無いプレゼントが贈られて来て
どう言う意図で贈られて来たのか悲しくなったと
言っておられました。

確かに有り余った豪華な衣装は贈られて来た人達には
上から目線に見えるのかもしれません。

ムッチャいつもの生意気姿勢ですが
もし、その贈られて来た豪華な衣装を見て
悲しむ時間が有るのなら、贈って来た人の気持ちも
考えられた方が良いのではないかと
私は思うんですが。

何故にそう思うか?

日々の自分の大切な時間の中、被災地や難民の方に贈ろうとする
行為自体素晴らしい行動ではないですか?

何もゴミを送りつけたのではないのでしたら
その豪華な衣装は被災地の方や難民の方が目にする前に
開いて、切り刻んでパッチワークにするとか
刻んだ布を重ね合わせて
もっと暖かい物に作り変えられたら良いのではないかと
素朴に思いました。

私なんか、そんな贈ろうと言う素敵な事など
した事がありません。
だから、例え上から目線に見えようと
贈っていると言う行為自体に
感謝すべきだと私は思いますが。

あげると言う時点でその豪華な衣装はどう加工しても
構わないと言う事ではないのでしょうか?
それであれば、現地のボランティアの方が
被災された方や難民の方に見せる前に加工する方法を
考えられる方が先決で、悲しい思いをする方がちょっと
何だかなあ?と思うんですが。

これはごく平凡な人間の浅はかな考えに過ぎません。
でも、考え方は自由だと思うので
感想を述べさせて頂きました。

ほんまに生意気です。
ただのブログで、気分良く書いてるだけです。
好きな事を好きなように。
お金も貰ってませんし、儲かってもいません。
ちょっぴりのお小遣いで、いかに工夫して遊ぶかが楽しい毎日です。

またブツブツ言うてしもたああ。

いつもご覧頂いている方
どうも有り難うございます。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
コメント (1)
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