ふきの指定席

父が逝って22年 23回忌です

先に逝ってしまった家族のことは 年に何回も想い出しますが 父の登場はあまりありません(ゴメン)
7月生まれで 生きていれば 今月白寿のお祝いでした
昨日から やたらと 父が脳裏に浮かび イケメンだった父の笑顔が ちらつきます
良い事ばかりが 懐かしく 次から次と出てきます
父との絡みは 全部記憶していると言っても過言ではありません
その時の表情や 服装 仕草まで 鮮明に記憶しています
父親としては 愛情表現のとても下手な人間でしたが
今更ながら 人としては かなりできた 男であったと思います
父の男気に惚れて 父の新派になった方が 沢山いました
父が亡き後も 我々残された家族のことを いつも見守り助けて下さいました
口をそろえて皆さんおっしゃいました 父に恩義があるから当然だと・・・
父に関する沢山の事を 語って下さいました
もうそんな皆さんも すべて 父の住む世界に旅立たれました

次兄が逝き 母が逝って 母の三回忌が最後で 今後は仏事の法要を しないことに決めました
故郷には もう誰もいなくなり 姉ひとりになってしまったからですが
個々の気持ちと向き合うことに
信心を持たない我々兄妹ですので それで十分と想っています
我々の旅立ちの時は 直葬と決めています
とは言うものの 父の事を忘れていて ごめんね
スイッチが入れば溢れ出すほどの想いあり 許して下さい
 
世に多くの偲ぶ花あり 偲ぶ草もありと知る
土に埋もれし魂は 踏まれも 踏まれも 必ず芽を出し 花を咲かせる時が来る
師の教えに 安らぎて 土に返る我を想います

 野の花を 愛でる眼差し 散歩道 泥川柳
                                              
せまいニャァ~  読んで頂きありがとうございます
にほんブログ村 主婦日記ブログ のんびり主婦へにほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ

読んでいただきありがとうございます ♡♡♡

コメント一覧

ふき
玲さん
http://blog.goo.ne.jp/asanotokino
義理と苦界は 果たすべき立場では 逃げることなく 守るべきも必要と思います
私のように 自らタガを切り取ってしまう人生は 美に程遠い生き方です
自分の思いを制し 粛々と事を進める玲さんのお姿は とても神々しく美しいです
実は私も長男の嫁の立場ですが
家を継いだのは 義弟です
自由に生きてきた私ですが 家を継ぐとの立場であれば 玲さんのように行動していたと思います
自分の親には 不義理ができても 義両親にはできません
でも本音は 今の自由に感謝しています
情けない
玲さん なんか ごめんなさい

又吉?さんでしたっけ 名前が不確か
芥川賞を受賞した芸人さん
自分の書いた文を読まれるのは
自分の肛門を見られる恥ずかしさがあると言われたとか
同じくですが
今頑張っていますよ・・・ 
がんじがらめ状態の(訪問はほぼ不可能)UPもしながらですが
なんとか拭き終わったら(キタナ)
見てやって下さい
いつも コメントありがとうございます


 

 
ふき
まめさん
http://blog.goo.ne.jp/asanotokino
寝ちゃった?
全部入らないかな
ケッコでかいですよ
何処に 捨てるの
やだ~ 気になる
お弁当作り大変ですね
早く嫁さ来い!
骨と弁当のごったに 我々もすごか女ですたい!
ふき
デーさん
http://blog.goo.ne.jp/asanotokino
まめさんへの コメントにも書きましたが
魂の存在を 在るでもなく 有るでもなく
"感じ”ます ごく自然にです
難しく 考えないように しています
頭が軽いので 考えることができない・・・
感じる感覚は とても幸せで それは世界のあちこちを 放浪している時に芽生えた感覚です
このごろ また如実になりました
映像記憶もそうですが
私の中に 何か 変化が起きているんでしょうか
でも俗物ちゃんであることには 変わりなしですが

従姉の方の 追悼記 拝読させて頂きました
デーさんの 深い語りに 従姉の方の
人生を思い 人柄を偲ばせていただきました
でもね
教養のない私は "偲ぶ草”の表現に触れ
ん?と 思った次第
確かに花と同じくらい 草も形容されることが多いですが
私はその言葉に初めて触れました
恥ずかしいですね
ネットで お勉強させていただきましたが
神式で 志の意とありました(その他・・・)
頭で戸惑ってしまい コメントが残せませんでした
いつもこんな私で 他の方のブログでも
?にはまってしまうと 先に進めなくなります
教養のなさをいつも露呈しているのに
お言葉を記して頂き
デーさんの 優しさに感謝しています
ありがとうございます


ぎこまめ
また来たよ♪
2時半に起きて、息子の弁当作って仕事に送り出したので、眠れなくなったのでPC開きました。
オハヨゴザイマス。

お骨は、決まった部位を入れて、後は捨てるそうです。
あの小さな骨壷に全部は入らないです。

さて、桃酒呑んで、眠たくなったらまた寝ます。
オヤスミナサイマセ Zzz・・z
ふき
まめさん
http://blog.goo.ne.jp/asanotokino
俗な質問でごめんなさい
骨壷に入れた以外の骨って?
骨壷に全部入っているのでは 入っているものと思っていましたが
記憶をたどっても 田舎では灰に近い状態まで 火葬しますが 微かな灰までも綺麗にさらって骨壷に入れていましたし
義両親の時も すべてでしたが
土地柄 宗教によっても それぞれに
違うんですね
俗物ですみません 気になって
もっと真面目に 真摯な心持が必要と思いますが どうも 情けない

まめさん
私 魂の存在を 常に感じています
散歩していて 時々 魂と語らっている自分がいます 昔からです 
こく自然に・・・
たまにその語らいが声に出てしまい
父ちゃんに オマエ何言っとんじゃと からかわれます
現世の一期一会的な出会いと言いましょうか
全然見知らぬ人 魂です 
それらの魂は みんなにこにこして 優しい
私の顔も 自然とほころんでいるはずです
散歩が楽しいと思う所以です
今 色々ありますが・・・

なんのかんの言っても いずれは皆アッチの住人になる訳で
俗物としては 俗社会の方が 刺激的でいいし もっとこちらで 暴れたい! 

ふき
kaoさん
http://blog.goo.ne.jp/asanotokino
いつもの如くこんな夜中に起きています
と言っても 3時間ほど寝た後です
父ちゃんの帰宅で 目が覚めました
コーヒーを飲みながら 頭すっきりで PCの画面に向かっています
kaoさんは寝ているんでしょうね
信仰を持たれているkaoさんなのに
はちゃな私の精神に いつも寛容なお言葉をありがとうございます
そして ちょっと ゴメンナサイ的気持ちもあります
いい年をして わが道を行く精神健在ナリです
それは大人道でないことを認識していますが
もう生涯変わらずです
あちらに住む両親は そんな不肖の娘に寛容であるはず・・・と思い 
もう少し こちらで 自由に生きるよ ゴメンネゴメンネぇ~
kaoさんの ため息が聞こえそう~

同感です
一生懸命生きて来て、少し早いかもしれませんが自分の人生の締めくくりを考えるようになりました。でも現実は長男の嫁として御先祖様の法事を忘れないように、パソコンに年忌一覧を作成し、今日もお盆の御供養をお寺にお願いする電話をしたばかりです。自分自身は蕗さんのお考えと全く同じなのに、現実は俗世のしがらみにがんじがらめです。
夫の転勤を錦の御旗に、同居の苦労をしてない私の務めとは思いますが、我が子の時代にはどうなるのでしょう。私自身は蕗さんの考え方に賛同するばかりです。身近な人に話せない事を語れる場所を与えて下さった事に深く感謝しています。
デ某
自問自答・・・
「光」に質量は有るのか無いのか・・・物理学の大命題です。
では 「魂」 の重さは、
人間にとってどの程度に大きな命題なのでしょう・・・。

人は死ぬ時 「21g軽くなった」 という実験があるそうです。
どれぐらい検証されたことか・・・存じませんが、
人にのみ起こる現象として、 「魂」 の重さだと言われています。

科学にも宗教にも疎い私ゆえ、 「魂」というものは
「有る」 とは言えませんが、 「在る」 ような気がいたします。

思考力・判断、良心・誠意・・・。
それらが同じところ(脳?)に 「有る」 とは思えません。
確たる根拠を持つものではありません。
ただ、各々異なる!ところに 「在る」 と考える方が、
より納得できそうな気がいたします。

偲ぶこと 逆に 忘れ去ること・・・。
いずれにも 「人間らしさ」 をおぼえます。
偲ぶ心も 忘れ去る心も 誰にもひとしく
たぶん おなじところに 「在る」 のでありましょう。

申し訳ありません。スルーなさってください。

ぎこまめ
合掌
http://blog.goo.ne.jp/gikomame
お父様、大変立派な方だったんですね。
私も、形にこだわった法要よりも、いつも偲ぶ心があればいいのではと思います。
思いだせば、涙することばかりですよね。

私は、毎朝毎晩、両親と兄の遺影を見ながら挨拶してるのに、日常ではすっかり忘れています。
そして気になるのは、骨壷に入れた以外のお骨は何処に捨てられたんだろうか?とか、
本当に来世があるのだろうか?
本当に私を見守ってくれてるのだろうか?
死んだ魂、そんなもんあるんだろうか?とか考えたりもすることある。
死なんとあの世があるのか無いのか分からんですね・・。
私の父は明治39年生まれだったので、ふきさんとこのように、父を知ってる人はもうだれもいないです。
そうやって、だんだんと忘れられ、皆んな土に埋もれていくのね。
kao
こんばんは^^
偲ぶ気持ちがあれば、
特に仏教の形に
こだわることないと思います^^
今の仏教はお金がかかりすぎ。
負担が大きすぎます。
ならば逝かれた人を
心の中で大切にして
時々偲べば十分と思います、
お父様素敵な方だったのですね^^
そう思えることも素晴らしいと思います、
それで十分かと。・・・・、。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「のほほんの記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事