ふきの指定席

パンドラの箱は開いたままです

「七夕会(戦友会)」の存在を知ったのは 
父が旅立つ半年ぐらい前の事です
その時の父から発せられた言葉があまりにも衝撃で
24年前に開けたパンドラの箱は未だに閉じる事が出来ないでいます
当時の時点で 
その戦友会で存命なのは 父を含めて3人の方達だけでした
病弱の父が「七夕会」に参加できない事がわかると 
遠方からかけつけて 実家で3人だけの最後の「七夕会」をして下さったのでした
私はたまたま偶然帰省していました
父の顔が戦友の方達を前にして
恵比須様みたいにほころんでいました
初めて見る父の表情でした
いよいよ父の旅立ちが近いその時も お2人は遠方から病床に駆けつけて下さいました
もう感情もなくなり病院のベッドで空(クウ)を見つめるだけの父でしたが
お2人の顔を認めると あの時の恵比須顔に戻りました
その時が今生の別れとなりました
家族でさえ入り込めない強い絆が戦友の3人にはありました
その後のお2人の事はわかりません
すでにお2人の方も旅立たれている事と思います
父は隊長で お2人の方は部下であったようです
父が大陸で戦っていたなんて知る由もありませんでした
最後の七夕会で襖からもれ聞こえる当時の話はそれはすごい内容でした
父達は自分たちの事だけの会話のつもりでいたかもしれませんが
3人とも耳が遠くなっている事の自覚はないようでした
大きな声での会話は周りに漏れ聞こえていました
敵の反撃も半端なしの残虐な行為 
部下を惨殺された父は
残った部下と共に奇襲作戦を決行しました
父は男気があり 勇気がある真っ直ぐな人間であった事は私も認めます
それだからこそ部下の方からの信頼も厚い物があったのでしょう
父の最後の思いは戦友の方達にあると思い知りました
戦争を経験した男たちの多くは黙して語らず 
思いは胸にしまったまま旅立ってしまいました

戦争反対平和を願い御霊に想いを捧げる等々の式次第 
そんな式次第などなど薄っぺらい物に感じてしまいます
当然の事だからです
日々胸に刻み 
人類が正気を取り戻すことができるのはいつのことでしょうか
そんな事を思う 今日の日です



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