我
十五にして学を志し
三十にして立つ
四十にして惑わず
五十にして天命を知る
六十にして耳にならい
七十にして心の欲するところに従い…
大まかな意味は
十五歳で 学問を志し
三十歳になり 精神的にも経済的にも自立
四十歳で 自分の人生に惑いがなくなり
五十歳で 天命を与えられた
六十歳となり 何を聞いても動じなくなり
七十歳になって 心のままに言動しても 決して人道を外れることはなくなった
論語の有名な一節です
なにしろ50年振りに紐解きました
うる覚えでも 確かな記憶で ほぼほぼ私の解釈であっていると思います
読者の皆さまは 正確をきして下さいますように
昨日頂戴したコメントで 我が脳髄がたぎり
自分の人生を振り返ってみました
15歳にして 責任ある自由を求め 家を出た
18歳にして 経済的に完全に自立
30歳にして 我が子達と出会い 生きるに足る喜びを知る
50歳にして 惑わず
60歳にして そして 70歳の我が未来も やっと論語の境地に達しました
還暦になったのを機に スタートをさせた ブログですが
色々書いていても 実は意外に冷静で心は「乾い」ています
氏へのリコメに
「我が未来に 迷いも ためらいも 捨てるものも 無しです」
と書かせて頂きました
理不尽な事への憤り 悲しみは 永遠であるし
弱きものを慈しむ気持ちも然り
我が「血潮」も その命尽きるまで永遠です
ですが
50歳にして惑わず
惑わずして 生きる事が楽になり
惑わずして 生きる事に感動がなくなりました
これはどうなのかな
今の自分は楽を選び 感動は過去に封印して生きています