河川敷を歩いてきました。
名前を知らない花がたくさん咲いてました。
日差しが強い。
名前を知らない花がたくさん咲いてました。
唐突ではないのですが、
美幌峠から見える屈斜路湖を
次女に見せる計画は、
最大の機会を二年前に逃し、
その逃し方が
峠、頂上まで200メートルで
濃霧になり、
峠を下れば屈斜路湖につくのですが、
屈斜路湖の大きさはやはり峠から
見るのが一番で。
なんとなく水面が見たくなりました。
クマに気をつけてまた川に行ってくる
仕方がない事を書きます。
病気の時、医者に病状などを上手く伝える事は、
脳が病んでいるときは不可能なので、
医者がおデコに触れると、
症状や辛さが数値化して伝わってくれれば、
どんなに素晴らしいことでしょう。
自分の症状が病気からなのか、
薬の副作用なのか、
当時はわからなかったけど、
今はほぼほぼ副作用だったとおもう。
診察で一生懸命、副作用を説明してた。
今思えばだけど、
副作用を抑えるために薬をもらって、
その副作用をまた薬で抑える?
内臓の数値が病気の数値でも、
それには薬はだしてくれないのね。
症状も数値化してください。
不思議なパワーで。
愚痴ばかりですいません。
あまり過去の事をいまさら意見することは、
なんというか、
率直に言うと、
他者からみたら、言い訳、逃げた、
などなど
いろんな言い方をされたので、
思い出したくはないのですが、
最近、頭から離れなくて、
文章にします。
僕は今から18年前に、
精神の異常を感じて、
感じながらも休める環境になく、
数ヶ月、今から思うと
かなり厳しくなっても
粘りすぎて、
ある日突然、限界を迎え、
仕事を辞める事になりました。
心が折れた。
折れそうになってたのに、
わかっていたけど
そのまま病気なのか、
わからないまま
くるしい中、
無理を続け、
突然、バキッと行った感じです。
この辺は、自分自身が病気の前ぶれの
認識ではなく、
調子わるいなー、
しばらくしたらなおるだろう。
生活もあるし、なかなか休んだり、
辞めれなかったのですね。
客観的に見る余裕もなく、
ましてや
病気の前ぶれ、体の悲鳴だとは思いもせず。
病気の前ぶれだと知っていれば、
無理をせず、
ただ、あの環境下でちょっとやすめなかったこともまた事実です。
無理することが美徳の時代に育ったため
周りからは無理するなとかはなく、
無理する、苦しいは当たり前の世代でした。
ちなみに見出しの写真は義理の両親です。
やわらかい気持ちで加工してます。
やわらかい気持ち。
続きはいつか。