いつか晴れるかな…

家族…親子関係の変化…
私の心の拠り所
いつか心が晴れますように。

新たな告知と仕事

2020-08-22 09:21:00 | 日記
関東に暮らす私、実家は東北。
母の通院のため、2週間に1度実家へ戻る日々の始まりです。

49日を迎え、納骨も済ませ(私の故郷の地区では49日の際に納骨をする事が多いのです。)また2週間ごとの通院日。

ある日、父親から呼び出され告げられたのは「あのな、お前だけには言っておく。父さん癌なんだ。」
もう頭が真っ白…。

一気に皆して死んだり、病気になったり…もういい加減にしてくれ!
そう思ってしまったこともありました。
父は幸い初期の喉頭癌。

レーザー治療で治るという事なのですが、次回の通院日に私も父と同席して改めて告知・治療方法についての話を聞くとに。

そんな生活が続き、有給休暇の申請をする私に最初は「大変だね…」と言ってくれた上司も次第に「また?」と嫌な顔をするようになりました。
様々な雑務も手をつけることが出来なくなり、全てを抱えることに疲れていた私は退職。落ち着くまで両親のことに専念することにしました。

2週間に1度、家を空ける私を子どもたちが「お母さんにしか出来ない事だから頑張って」と応援してくれたことが心の支えでした。

始まり 3

2020-08-22 09:00:00 | 日記
私は仕事や子どもたちの学校などが始まる事もあり一旦帰宅。
そして2週間後、仕事等の目処もたち再び故郷へ。

ずっと付き添っていて、ろくに寝ていない母。周りが少し横になった方がいいと促し、休憩の為に母が病院を離れている間に弟は亡くなりました。

身体をを支えながら弟が亡くなったことを伝え、目の前に母を連れて行くと…。

和らいだ表情で「あぁ…そう…。」

今思えばこの時から始まっていたんだな…と思います。

火葬される前「今晩は〇〇のそばで寝る」と言って弟の遺体の側で寝た母が夜中に寝言で
「うわぁぁぁ!!!!!」と叫んだこと以外、母は悲しくないのだろうか…と思うくらい冷静で、通夜の時も…火葬の時も…お葬式の時も涙を見せることはありませんでした。

弔問に来て下さる方、手伝いをしてくれる親戚…、母と話した人達に「お母さん受け答えがおかしいよ?病院へ連れて行ってあげて」と言われるし、私自身もそう感じていたので母と一緒に物忘れ外来へ。

下された診断は「アルツハイマー型認知症」

弟の死からまだ1ヶ程。
母はまだ69歳でした。