クリスマスYouTube、たくさんのみなさんにご覧いただいて、嬉しかったです!
またやろうかな~~と思っております!
さて、今日は、11月24日の「ギターを始めたとき」のその後を少し書いてみようかな。唐突ですが。
浜松駅の地下道で路上ライブを始めてすぐ、デモテープを作った。アツミ兄がそうしてみては?とアツミに勧めた。兄はアツミが音楽をやることに賛成していた。
そしてもろもろ大人の事情があって、そのデモテープがとある音楽事務所のディレクター、現在もよく相談に乗っていただいている、Aさんがとても気に入ってくれて、月に一度、地元静岡から東京の事務所へ通って、Aさんとのデモテープ作りが始まった。
そこからは毎月そこへ向けて必死に曲作りをするようになった。
それまでは自分のオリジナルは15曲くらいしかなかったけれど、それをやるようになってからは週に1曲は作るようになって、曲が一気に増えた、が最初の頃はボツを貰うことが多かった。
そこからまた大人の事情でもろもろな出来事を経て、東京へ上京した。
東京へ上京して、音楽活動をどうやってやればよいか解らなかったので、とりあえずは最初吉祥寺の井の頭公園で路上ライブを始めた。その中で偶然地元が同じの男性2人組ユニット、バカ☆ダラ(当時は、ハードレイン→Ape→バカ☆ダラとユニット名は変遷した。)に出逢って、路上ライブに混ぜてもらったり、バカ☆ダラのライブのオープニングアクトで唄わせてもらったりするようになった。
なので、ライブハウスで生まれて初めて唄ったのは、荻窪のルースターってことになるな。うん。
当時このバカ☆ダラ周辺の歌うたいを称して「バカ☆ダラファミリー」と呼んでいて、その中に男性2人組、なかやんとたっちゃんのユニットのたまご☆ピリもいて、そのなかやんは「ロクセンチ」のボーカルで、たっちゃんはアツミサオリとピクニックのバンマスのたっちゃんである。人生、解らないものである。
ライブハウスに出るにもどうするかわからなかったが、すぐに、「せっちゃん(斉藤和義さんのあだな)と同じようにやればよいんじゃ?」と思い、斉藤和義さんがアマチュア時代に出演していた、かつて渋谷にあった「アピア」(現在は確か都立大学駅の近くに移転)というライブハウスにとにもかくにも飛び込みで行ってみた。
「アピア」はその当時も遠藤ミチロウさんなどが出演する老舗のライブハウスで、ってことなんか知りもしない田舎娘アツミ。飛び込みで行ったら、オーディションが近々あるのでそこに出演して、君の歌を聴かせて欲しいと店長さんに言われて、後日オーディションに出たらなぜか合格した。
そして、その「アピア」で、マンスリーでライブに出るようになった。そのほか、 バカ☆ダラの紹介で吉祥寺の曼荼羅や、ふたたびバカダラファミリーのゴォーゴォーゴリラーズでアツミサオリとhobosのベースのしょうきちさんから天窓を紹介していただいて、いろんなライブハウスに出演したり、ディレクターの元へ通ってのデモ作りやらなんやら、アツミの音楽活動が始まったのであった。。。。
そういえば、この当時から、バカ☆ダラファミリーの歌うたい達が吉祥寺で飲むと、今や誰もが知ってる斉藤和義さんですが、「斉藤和義さんはこんなに素晴らしい曲がたくさんなのに何でみんな知らないのか?」についてよく語った。なつかしい~!
この続きは、また気が向いたらねん!
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四代目のたっこちゃん
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