FBグループヤマトから転載↓
熊本地震の一年前、ちょうど阿蘇山の火山活動が噴火寸前となった時、私も寿命という事で、前日に実家に帰り、阿蘇へ向かいました。
ところが、まだ途中の道で、車ごと竜巻に会ったのです。
私の命は助かりましたが、窓を閉じた車内でありながら、どうしてもついて来た、飼い犬の足はダメージを受け、普通に歩けるまで一年以上もかかりました。
いかなる手段かが問題ではなく、どうしても止めなければならない時があるのです。
ところで、日本(ヤマト)は、変な事をしようとしているなあと、頭脳明晰なお方は、ご理解しておられると思いますが、その頭脳明晰な方々がお造りになられた世界の危機に、いかなる分野でありましても、同じ手法、同じ方向性を踏襲したものが、はたして通用するのでしょうか。
それは、武道を政治利用するなと、誇りをお持ちのお方はおっしゃるでしょう。
音楽やアニメであっても同じお思いでしょう。
されど、その誇るべき精神が政治になかったから、今の現状なのです。
また、これまで、動かす事ができなかった岩を押し動かそうとする時、様子見だとおっしゃるお方も、実は、岩の上に乗って、重さに貢献しておいでなのです。
どういう事かと申しますと、我が道を行くから、革命の戦いには挑戦しないという事は、革命しない側に一票を入れている事と同じ、これから動かさねばならぬ石に、お乗りになっているのと同じという事です。
崩れた天井を、人柱となって支えた、銀次郎のシーンが忘れられない、硬派銀次郎の写真はお借りしています。
以上