ほとんどリハーサルもしていない披露宴が始まりました
とにかく衣装を着るのが大変なんですね!
花嫁はひな壇に座っていてもそんなに食べることできないからと
お色直しの時に、美味しいサンドイッチを用意してもらいました
料理も、私たちが選んだものではないので
何が出てるのかまったくわからず
デザートのケーキだけは食べたかったなぁって感想ですね
新郎新婦の入場です!
友人の披露宴に何度か出席したけど
みなさん、素敵な洋楽、邦楽、想い出の曲を使い
終始、いい感じの披露宴だったので
まさか
エレクトーンになってしまうとは、もう言葉もない
入場も、ケーキ入刀も
エレクトーンのみ
まぁね、どっちみちビデオ撮影もないし
音が残ることもないんでね、いいんじゃね?
って感じですけどね
一度しかやらないと思っている披露宴ですから
後悔とか、心残りみたいな感情は、避けたかったですよね
でも、友人関係で来てくれた方々、出し物してくれた方々のおかげで
少しの間は心が癒されました
4回お色直ししましたね
最後のドレスの時に、キャンドルサービスしましたけど
そのとき、新郎新婦の位置が逆だったみたいです
誘導してくれたおじさんが、位置を間違えたらしいけど
ま、関係ないか!
エレクトーンの音色の中、私の記憶はもう薄くなってます
披露宴って主役はだれ?
満足のいく人生を送らないといけません!っていうこと
学ぶことできましたね、おかげさまで。。
披露宴のことはあまり思いだせません
終わって、大阪で1泊するために最寄駅まで、たった5.6分
式場からリムジンに乗ったことは覚えてます
どこかの誰かが選んだコースですから、覚えてないのでしょう
それから新幹線の駅のホームで
彼の同僚やら先輩やらと、私の友人たちが見送ってくれたこと
私の両親も大阪に泊まるので
一緒に新幹線に乗って行ったことは、覚えてます
その間の、あちらの両親がどうしていたかは知りません
披露宴の最後は、花嫁から自分の両親に書いた手紙を
贈りますよね
司会者が読むので、手紙を書いてくださいと言われて
感謝の気持ちを書きました
最後には「いつまでもあなたたちの娘です」と締めくくりました
父が、声をあげて泣いていたことを思い出します
こんなに泣いてくれるんだ、ってびっくりしました
父親に理由もなく反抗する時期もあったけど、一人娘の私を
本当に大切にしてくれました
いつも私のことを想ってくれてました
あまり仲良く話をすることもなかったな、離れて暮らしてから
たまに帰宅すると、たくさん話すようになりましたね
そうです、手紙の締めくくりは、「あなたたちの娘です」だったですが
司会者の方が気を使ってでしょう
能面両親にたいしての言葉をつけくわえて、終わらせてました
自分の親への手紙と言われたので
そのまま受け止めて書きました!!
ビデオも残らない披露宴は、さらっと記憶のどこかに
流れていきました~
そして新婚旅行、まぁそれは普通の旅行、少し長めの旅行であり
そのあとは
新居が完成するまで、実家で私は過ごすことになったのです
新居もね、勝手に買われてましたからね
そうそう、ご祝儀もらってそのお返しとかするのよと
私の母が気にしてくれたんですけど
はい、心配ご無用
能面両親がしっかりご祝儀を持ち帰り、お返しもやっておくって
そういうことになってました
結婚式、披露宴をやりたいのなら、自分たちの経済を考慮して
自分たちだけの力でできることをする
親は、結婚する子供に対して、やってあげた意識を持たないなら
援助すればいい
やってあげた意識があると、勘違いしてしまうからね
後悔しないように!!!!!
つづく
新居は、どこ?
まだまだ、序の口、私はよくやった、偉かった!