
嘉数高地は前田高地と並び、沖縄の首里防衛戦の拠点でした。今は宜野湾市によって公園として整備されています。
この嘉数集落と多くの京都出身者編成された第62師団が陣取っていました。沖縄では県単位で編成されていた部隊が多く、この嘉数高地で全滅(約6万4000人)しています。ここにはトーチカ(コンクリートで固めた砲撃砦)が残されており(写真)、このトーチカに続く、洞窟壕やトンネル後があります。
また、敷地内には京都の塔という慰霊碑が建てられており、公園敷地内には一緒に戦った嘉数の塔、朝鮮人の祀った青丘の塔があります。京都の塔は平和祈念公園ではなく、戦った嘉数にあり、その碑文は県の英霊に対する哀悼の念ばかりではなく、戦争への反省の意と平和への希求が刻まれており、京都の人の優しさを感じることができます。

トーチカ内部
この嘉数集落と多くの京都出身者編成された第62師団が陣取っていました。沖縄では県単位で編成されていた部隊が多く、この嘉数高地で全滅(約6万4000人)しています。ここにはトーチカ(コンクリートで固めた砲撃砦)が残されており(写真)、このトーチカに続く、洞窟壕やトンネル後があります。
また、敷地内には京都の塔という慰霊碑が建てられており、公園敷地内には一緒に戦った嘉数の塔、朝鮮人の祀った青丘の塔があります。京都の塔は平和祈念公園ではなく、戦った嘉数にあり、その碑文は県の英霊に対する哀悼の念ばかりではなく、戦争への反省の意と平和への希求が刻まれており、京都の人の優しさを感じることができます。


トーチカ内部
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