みなさま暖かいお気持ちをありがとうございます。
お蔭でなんとか普通(なフリ)でいられます。
あずきの体は、20日神様の元にお返ししました。
今日の記事は、自分の心の整理でもあります(預かりっ子ブログは次回からです)
今まで、亡くなった後のことなんて考えていませんでした。
というより、考えたくありませんでした。
なもんで、当日は何をしていいのかわからなくて、息子を起こして、会社に向かうダンナに連絡して・・・って、家電の受話器を握って「電話番号がわからない~」と叫ぶ私。
起きてきて冷静な息子が「僕の使いなよ」ってキッズ携帯をもってきてくれました。
それから、どうしよう。なにをしたらいいんだろう。
息子は、おそらく取り乱した母ちゃんを心配して、学校を休むと言い出す。
私も一人では不安なので、学校を休んでもらった。そして一緒にあずちゃんをシャンプーした。
乾かして、病気の匂いのクッションや敷物を洗濯して。途中で2ジャックママが来て手伝ってくれた。お昼もすぎてお腹もすいたので3人でマックに行った。
そこで、ふと息子を見ると・・・
思わず笑ってしまいました。
息子からの物言わぬメッセージです。
そういえば3.11の震災の時、年長だった息子は2階の教室から避難する際に、ロッカーから当時流行っていたアヤとりの紐をポケットに忍ばせていたそうです。
園庭に出て余震に怯える子供たちの中で、アヤとりを披露して皆を和ませてくれた。そんなエピソードを先生から聞きました。
そんな息子は、生まれた時から一緒だったあずちゃんとの別れに涙を見せませんでした。
その晩、高熱をだしました。あずきとの別れを素直に悲しめない息子が心配です。
その晩は箱に入ったあずきと一緒に寝ました。夜中に何度か目が覚めて、ナデナデするも驚くほど冷たい。そして日なたの麦わら臭はなく、もうここに居ないことを思い知らされる。
あずきとの別れを悲しんでいる子がここにもいます。
そらまめ「ボクが守るです」
あずちゃんの妹分の、プルプルちゃん一家がお別れに来てくれました。
プルプルちゃん家の娘ちゃんが作ってくれた折り紙のお花も持たせました。
お花が賑やかで、嬉しいね。
長年勤めた会社を退職した時に、職場の皆に「私は元気よ~」って伝えたくて始めたブログがありまして(もう書いてないけど・・)、若かりし頃のあずきの姿がそこにあります。よかったらのぞいてみてください。
ウエスティのあずきと 弟と 弟。
11月に余命を告げられてからのこと 続きに 残しておきます。
2012/11/10
最近汚れやすいなぁ・・シャンプーしてもすぐ汚くなっちゃう。年のせいだよねぇ~
なんて、お気楽体質の私なので勝手に解釈していた。
でも、そうじゃなかったんだね。腎臓病の悪化。悪いものが濾過できなくて体中にめぐって皮膚からも染み出していたからだったんだ。
気が付くの遅いんだよバカヤロー。
最近ご飯に何をあげても食べてくれない。でも1日おきぐらいに気まぐれで食べたりしていた。まだ大丈夫。
今回の食事ボイコットはオヤツにも食いつかない。何でもいいから食べてほしい。
いつもの病院はとっても時間がかかる、平日の夜でも平気で3時間はかかるし、先生が何人もいて担当の先生がいないと経緯の説明が面倒だったりするので、ついつい足が遠のいていた。その病院で「ぐったりしたらすぐ連れてきてください。毎日点滴になります」って聞いていた。毎日となると通いきれないから、2年ぶり・・3年ぶり・・とっても久しぶりで診察券もみつからないけど小さな近所の病院に行こう。
気まずい気持ちで扉を開けると、先生が「もしかして、あずきちゃん?」って。
やっぱり、ここにきてよかった。
久しぶりの血液検査。数値は最悪。以前から最悪といわれていたが、輪を何重にもかけて最悪。Drから言われた「あと1週間。」
そんなはずはない。あずちゃんは大丈夫。あずちゃんなら大丈夫。今でもそう思えて仕方がない。
11/11
あずちゃんが心配な今、もぐたんトライアル開始となった。
もぐたんは、決してあずちゃんに害はないんだけど、あの大きな体で飛びまわられるとヒヤヒヤする。この日にスタートできることを、もぐたんの家族と立会のpinoさんに感謝。
あずきを点滴に連れて行ってくれたダンナと息子にも感謝。
今してあげられるのは、おしっこが出ている間は点滴で気持ち悪いのを緩和すること。
そしてシリンジでの食事。どれくらいあげたらいいのかわからない。
11/12
今日から仕事。そらまめ、サラちゃん、あずちゃんの事頼む。
帰ってきたら点滴しようね。待っててね。
仕事も上の空な1日。大急ぎで帰ってきた。
あずちゃんは生きている。
おしっこが出ていることを報告して点滴してもらう。
帰ってきたら、家の前でお隣のマロ君とご挨拶。
あずきの足取りが軽い。そしてプリプリスキップ。
明らかに前日より元気。
そしてまさかの食欲。
手作りご飯、二度と作るのが面倒だなんて思いません。
11/13
朝はご飯は食べてくれない。
でも、明らかに体臭がなくなっている。
ダンナが「H4Oの水がいいらしい」と情報収集してくれた。
いつもならPC依存の私だが、とんとPCで調べるということに気が付かなかった。
本日中お届けで早速注文。
昨日先生が「1週間は大丈夫」って言っていたから昨日より前向きに仕事にいける。
帰ってくると、やっぱり少し元気がない。
さあ点滴に行こう。明日からお家でできるようにレクチャーをうけた。
家の前で、ミッキーとマロとペッパーとプラムに会う。
あずちゃん、すこぶるご機嫌さん。
今日はワンワンおしゃべりもできた。もう2度と声が聞こえないのかと思ってたので本当にうれしい。
食欲はある。といっても手作りヘルシーご飯はお気に召さない。
TVに映るワンコをみて文句も言っている。
夢のよう。いままで困ったと思っていたことも、今は本当にうれしい。愛しい。
そうそう朝注文したH4O水が届いた。早速200ml飲んだ。
2013/3/9
なんだかんだ、お正月もすぎて、あずきの誕生日1月24日を迎えることができました。
11歳。点滴は1日250ccでも、時々お休みしたりしてました。
食欲もなく、頻尿、軟便。どんどん小さくなっていますが、まだ生きています。
腎臓病に精通した先生に診てもらおう。ということで、数枚の諭吉さんを握りしめて高速2時間のドライブに行きました。
体重は3.8kgピーク時は6.5kgはありました。
血液検査・レントゲン・エコー。
結果は、通常2つある腎臓の1つは全く機能していない。残りの一つももう限界。
それでも、それだけならよかった。
それよりも、膀胱に腫瘍がありました。血管が伸びていておそらく悪性。
今の状態では手術は不可能。先生から言われました「お手上げです」
ああ11月にこの病院に来ていたら・・・今考えても仕方のない事。
どうしたらいいんだろう・・・
3/17
何日か前から舌先が白い。シリンジであげた介護食がついていると思ってたけど違った。
それは舌先の壊死だった。腎臓の悪化とともに出現する現象らしい。
どうりで、お水を器から飲まなくなった。顔を近づけても飲まずにいる。
何につけても気が付くのか遅い。ごめん。
シリンジで水をあげたら、何回もおかわりして飲んだ。
日に日に後足にヨタツキがでている。
3/18
朝はフラフラしながらも庭を歩いていた。
後ろ髪を引かれつつ仕事に行き、祈る気持ちで急いで帰宅。
いつもなら首をあげて、おかえりと見つめてくれるが、この日はぐったり。
床にヨダレが広がっている。でもまだ生きている。ひどい脱水状態。
急いで点滴。水をあげてもゴクリと飲み込むこともできない。
一緒にいたいけど、不安や寂しい思いをしているであろう息子と就寝。
ダンナが一晩、あずきと添い寝。
何度か痙攣をおこしたり、うめき声をあげたりしたようだ。(このことは亡くなった後に聞いた)
3/19
6時に家を出るダンナと交代した。ぐったりしたままのあずき。
その時が近いそう思った時に「自分のタイミングでいっていいよ」って言っていた。
同時に、あずきは顔をのけぞらせて天使になった。
お蔭でなんとか普通(なフリ)でいられます。
あずきの体は、20日神様の元にお返ししました。
今日の記事は、自分の心の整理でもあります(預かりっ子ブログは次回からです)
今まで、亡くなった後のことなんて考えていませんでした。
というより、考えたくありませんでした。
なもんで、当日は何をしていいのかわからなくて、息子を起こして、会社に向かうダンナに連絡して・・・って、家電の受話器を握って「電話番号がわからない~」と叫ぶ私。
起きてきて冷静な息子が「僕の使いなよ」ってキッズ携帯をもってきてくれました。
それから、どうしよう。なにをしたらいいんだろう。
息子は、おそらく取り乱した母ちゃんを心配して、学校を休むと言い出す。
私も一人では不安なので、学校を休んでもらった。そして一緒にあずちゃんをシャンプーした。
乾かして、病気の匂いのクッションや敷物を洗濯して。途中で2ジャックママが来て手伝ってくれた。お昼もすぎてお腹もすいたので3人でマックに行った。
そこで、ふと息子を見ると・・・
思わず笑ってしまいました。
息子からの物言わぬメッセージです。
そういえば3.11の震災の時、年長だった息子は2階の教室から避難する際に、ロッカーから当時流行っていたアヤとりの紐をポケットに忍ばせていたそうです。
園庭に出て余震に怯える子供たちの中で、アヤとりを披露して皆を和ませてくれた。そんなエピソードを先生から聞きました。
そんな息子は、生まれた時から一緒だったあずちゃんとの別れに涙を見せませんでした。
その晩、高熱をだしました。あずきとの別れを素直に悲しめない息子が心配です。
その晩は箱に入ったあずきと一緒に寝ました。夜中に何度か目が覚めて、ナデナデするも驚くほど冷たい。そして日なたの麦わら臭はなく、もうここに居ないことを思い知らされる。
あずきとの別れを悲しんでいる子がここにもいます。
そらまめ「ボクが守るです」
あずちゃんの妹分の、プルプルちゃん一家がお別れに来てくれました。
プルプルちゃん家の娘ちゃんが作ってくれた折り紙のお花も持たせました。
お花が賑やかで、嬉しいね。
長年勤めた会社を退職した時に、職場の皆に「私は元気よ~」って伝えたくて始めたブログがありまして(もう書いてないけど・・)、若かりし頃のあずきの姿がそこにあります。よかったらのぞいてみてください。
ウエスティのあずきと 弟と 弟。
11月に余命を告げられてからのこと 続きに 残しておきます。
2012/11/10
最近汚れやすいなぁ・・シャンプーしてもすぐ汚くなっちゃう。年のせいだよねぇ~
なんて、お気楽体質の私なので勝手に解釈していた。
でも、そうじゃなかったんだね。腎臓病の悪化。悪いものが濾過できなくて体中にめぐって皮膚からも染み出していたからだったんだ。
気が付くの遅いんだよバカヤロー。
最近ご飯に何をあげても食べてくれない。でも1日おきぐらいに気まぐれで食べたりしていた。まだ大丈夫。
今回の食事ボイコットはオヤツにも食いつかない。何でもいいから食べてほしい。
いつもの病院はとっても時間がかかる、平日の夜でも平気で3時間はかかるし、先生が何人もいて担当の先生がいないと経緯の説明が面倒だったりするので、ついつい足が遠のいていた。その病院で「ぐったりしたらすぐ連れてきてください。毎日点滴になります」って聞いていた。毎日となると通いきれないから、2年ぶり・・3年ぶり・・とっても久しぶりで診察券もみつからないけど小さな近所の病院に行こう。
気まずい気持ちで扉を開けると、先生が「もしかして、あずきちゃん?」って。
やっぱり、ここにきてよかった。
久しぶりの血液検査。数値は最悪。以前から最悪といわれていたが、輪を何重にもかけて最悪。Drから言われた「あと1週間。」
そんなはずはない。あずちゃんは大丈夫。あずちゃんなら大丈夫。今でもそう思えて仕方がない。
11/11
あずちゃんが心配な今、もぐたんトライアル開始となった。
もぐたんは、決してあずちゃんに害はないんだけど、あの大きな体で飛びまわられるとヒヤヒヤする。この日にスタートできることを、もぐたんの家族と立会のpinoさんに感謝。
あずきを点滴に連れて行ってくれたダンナと息子にも感謝。
今してあげられるのは、おしっこが出ている間は点滴で気持ち悪いのを緩和すること。
そしてシリンジでの食事。どれくらいあげたらいいのかわからない。
11/12
今日から仕事。そらまめ、サラちゃん、あずちゃんの事頼む。
帰ってきたら点滴しようね。待っててね。
仕事も上の空な1日。大急ぎで帰ってきた。
あずちゃんは生きている。
おしっこが出ていることを報告して点滴してもらう。
帰ってきたら、家の前でお隣のマロ君とご挨拶。
あずきの足取りが軽い。そしてプリプリスキップ。
明らかに前日より元気。
そしてまさかの食欲。
手作りご飯、二度と作るのが面倒だなんて思いません。
11/13
朝はご飯は食べてくれない。
でも、明らかに体臭がなくなっている。
ダンナが「H4Oの水がいいらしい」と情報収集してくれた。
いつもならPC依存の私だが、とんとPCで調べるということに気が付かなかった。
本日中お届けで早速注文。
昨日先生が「1週間は大丈夫」って言っていたから昨日より前向きに仕事にいける。
帰ってくると、やっぱり少し元気がない。
さあ点滴に行こう。明日からお家でできるようにレクチャーをうけた。
家の前で、ミッキーとマロとペッパーとプラムに会う。
あずちゃん、すこぶるご機嫌さん。
今日はワンワンおしゃべりもできた。もう2度と声が聞こえないのかと思ってたので本当にうれしい。
食欲はある。といっても手作りヘルシーご飯はお気に召さない。
TVに映るワンコをみて文句も言っている。
夢のよう。いままで困ったと思っていたことも、今は本当にうれしい。愛しい。
そうそう朝注文したH4O水が届いた。早速200ml飲んだ。
2013/3/9
なんだかんだ、お正月もすぎて、あずきの誕生日1月24日を迎えることができました。
11歳。点滴は1日250ccでも、時々お休みしたりしてました。
食欲もなく、頻尿、軟便。どんどん小さくなっていますが、まだ生きています。
腎臓病に精通した先生に診てもらおう。ということで、数枚の諭吉さんを握りしめて高速2時間のドライブに行きました。
体重は3.8kgピーク時は6.5kgはありました。
血液検査・レントゲン・エコー。
結果は、通常2つある腎臓の1つは全く機能していない。残りの一つももう限界。
それでも、それだけならよかった。
それよりも、膀胱に腫瘍がありました。血管が伸びていておそらく悪性。
今の状態では手術は不可能。先生から言われました「お手上げです」
ああ11月にこの病院に来ていたら・・・今考えても仕方のない事。
どうしたらいいんだろう・・・
3/17
何日か前から舌先が白い。シリンジであげた介護食がついていると思ってたけど違った。
それは舌先の壊死だった。腎臓の悪化とともに出現する現象らしい。
どうりで、お水を器から飲まなくなった。顔を近づけても飲まずにいる。
何につけても気が付くのか遅い。ごめん。
シリンジで水をあげたら、何回もおかわりして飲んだ。
日に日に後足にヨタツキがでている。
3/18
朝はフラフラしながらも庭を歩いていた。
後ろ髪を引かれつつ仕事に行き、祈る気持ちで急いで帰宅。
いつもなら首をあげて、おかえりと見つめてくれるが、この日はぐったり。
床にヨダレが広がっている。でもまだ生きている。ひどい脱水状態。
急いで点滴。水をあげてもゴクリと飲み込むこともできない。
一緒にいたいけど、不安や寂しい思いをしているであろう息子と就寝。
ダンナが一晩、あずきと添い寝。
何度か痙攣をおこしたり、うめき声をあげたりしたようだ。(このことは亡くなった後に聞いた)
3/19
6時に家を出るダンナと交代した。ぐったりしたままのあずき。
その時が近いそう思った時に「自分のタイミングでいっていいよ」って言っていた。
同時に、あずきは顔をのけぞらせて天使になった。