2013年6月8日の日記ブログが出てきた。
もうIDもpasswordも忘れてしまい放置状態なってました。
昔のパソコン(夫の部屋に置いてた)をWindows11ダウンロードし使えるようにしたのよね。
そうしてファイルを見てみたら?
あら・・ 忘れてた物が表れたではないですか。
それは、元旦那と別れて数年過ぎたころ。
元姑が亡くなったという知らせを書いてた物だった。
『6月に入り、なんだろう・・。なにかへん。へんな胸騒ぎ。
またまた落ち着いていられません。
何かしてないと、心の動揺が隠せなく、動き回っておりました。
日曜日の10時30分過ぎかな・・・。
息子から「婆ちゃん死んだ」のメール。
ん?婆ちゃんが?何かの間違いでは?そう思い、即返信したんですが、返事が返って来ません。婆ちゃん(84)とは、前夫の親御さんです。
その後、嫁ちゃんから電話で「お母さん、婆ちゃん亡くなった」と。
やはり本当だった。娘にメールし連絡。
たまたま休みだった娘が前夫に連絡したところ、やはり間違いなかった。
なんや・・へんな胸騒ぎは、もしかして・・・このことだったのか。
とうに離れたところですが、やはり落ち着きません。
お嫁ちゃんには、出来ることをお願しました。
息子達にも最後までお父さんのこと頼むね、助けてやってね。と連絡しました。
息子達は、「大丈夫、俺たちが着いてるから」そう返事が返って来ました。
葬式が終わる数日は、心ここにあらず。落ち着かず何かしらしておりました。
後に、娘から、前姑の死に装束の画像が送られてきました。
目が半開きで、まだこの世に未練がありそうな、そんな顔でした。
大好きだった着物と草履を着せてやってとお願しました。
別れ、離れた義親でしたが、30年近く共に嫁、姑の中で過ごした中です。
そりゃ、いろいろありました。(笑)
前夫の兄妹も居りましたが、介護を行ってたのはあたしだけでしたね。
それでも、あたしが行うのは当たりまえ。
あんたでなくても他の嫁がしてくれるから、あんたでなくても良いんだよ。
なんて事も、介護ベットに寝ながら言われましたね。(笑)
リュウマチで身動きできないお人に、そう言われちゃね。(笑)
あたしの立場は?あたしって何?ってなりますよね。(笑)
それだけ気丈なお人だったんですよね。(笑)
前夫は笑って聞いておりましたけど、なにも考えてなかったんでしょう。
だから最悪の事態になってもどうしたら良いか解らなかったんでしょうね。
まさかね〜。あたしが出るとは思わんかったと思いますよ。
前家には、小児麻痺で動けなかったおばさんと、お舅さんと今回の姑さん。
30年あまりの間に、あたしは3人のお世話、介護をしてきましたけど。
今まで、頑張って来れたのも子供たちが居たから。
でも、その子供達の事を「あんたの子供じゃない、◯◯家の子供だから置いてけ」
家を出る当日、挨拶に行ったら、ベットに寝ながら、オムツ替えながら言われました。なんてこの人は最後まで・・・・。
その後は・・・他の嫁の介護もなく。
息子さんに介護していただき、最後は病院でなくなりました。
いろいろ思いだすといろんなことが頭の中に浮かび上がってきますが。
今となっては、良い想い出になりつつあります。
葬式が終えた後、前夫から
【午前10時26分に亡くなった。〇〇〇お前が居なくなるまでの約30年間世話になったな、おふくろもやっと楽になったと思う、ありがとう】
このようなメールが来ました。
読んだときは、何故、早く気がつかないのか・・。
この言葉。もっと早く言ってくれてたら、あの家を出ていなかったと思ったのに。
そう思いながら涙が止まりませんでした。
今でも動揺しております。が、もう戻れません。
後のことは、お嫁ちゃんが居りますんで、お任せですね。
お嫁ちゃんも、いろいろとやりづらいことがあったと思います。
それでも、小さな子を抱えながら一生懸命行ってたと娘に聞いております。
これかたが大変だと思いますが、◯◯家をよろしくお願します。お嫁ちゃん。』
そう。この時、夫と夫の兄弟、親戚の全てのものが嫌になった。
そこに来て、元姑・・・
「嫁はあんただけじゃない。他にも嫁はいる」と寝たきりの状態で啖呵切ってた。
その後、様子見に行ったら・・・泣いてたっけ。
元夫とはやり直すつもりもないかった。
ただ元姑が気になり、介護を最後までしようとで戻ったんだけど。
やはり無理だった。
今度は 寝たきりなのにお酒飲んで、これまた悪態。(笑)
「娘が居たら、あんたんか当てにせずにいられたのに」と。
もう亡くなって11年になるのか。。。
時の過ぎるのは早いな~・・・。
夫と再婚し、義両親を自宅看取りも終え、これから二人だけ。
悔いのないように生きて行こう。