タンゴの令和化け猫日記

亡き祖母の話

2024/09/16が敬老の日だったのかぁ…。

そういえばハッピーマンデーが施行されてから、休みの日が変わりましたもんねぇ🐾

敬老の日にまつわる話。

30年前に他界した母方の祖母の話です。
私が知っていた祖母はおばあちゃんらしくて可愛い人でもありましたが、2年前に他界した母から話では厳しい人だったらしいです。
桐職人だった祖父は戦後1年後に病気で亡くなり、祖母が女手一つで3人の子供を育てたという話は聴いていましたが、結構ビンタしたり厳しかったような話はしていました。

私が知っている祖母は可愛いイメージがありました。
あれはvs巨人戦で当時の原辰徳選手の打った打球を追ったか何かして、阪神か何処かのの選手が怪我をしたときに、「犯人は原だ」と言っていた記憶は今も残っています。

私が小学生のときに横浜大洋ホエールズの帽子を被って行くと、「アンタ誰?」って言われたこともありましたが、帽子を取れば私だとわかってくれたのでホッとしています。
伯父に言わせれば外人さんをテレビで観たら、皆「アメリカ人」だと思いこんでいたらしい…。

祖母の口癖は今でも忘れない、「いらある」と「うっちゃる」。
生まれも育ちも埼玉の人でしたので、喋りに特徴がありました。
「いらある」はたくさんある、「うっちゃる」は捨てるという意味です。

最初は「いらある」の意味が全くわからなくて…💦

可愛いばかりじゃなくて、結構世話にもなったんだな。
祖母が生きていた頃はボットン便所だったから、怖くて祖母について来てもらったんだよ。
そのたびに「しょうもない孫娘だねぇ〜」って言われたことも覚えています😭。

祖母の晩年。
亡き伯父が言うに認知症が入っていたと言っていましたが、私らが行ったときにはしっかりとしていましたので歳相応だったのだと思います。

亡くなる数年前まで、孫娘である私等と共にしっかりとハンバーガーを食べていた人でしたので。
(伯父はハンバーガーを食べる人ではありませんでした。)

別れは突然でした。
忘れもしない3月末。
朝、6時か7時くらいだったと思う。
寝ていたら一本の電話。
出たのは私ではなく母でしたが、内容は祖母の急逝でした。

朝、伯父の出勤前に祖母が倒れて、そのまま帰らぬ人となりました。
急性心筋梗塞だったそうです。
話では亡くなるウン日前に自分の足で病院に行っていたらしいです。

伯父や母のように癌で療養生活を送っていたのとは違い、あまりに急でしたので心の準備も出来ず、祖母の死も受け入れることが出来ませんでした。

亡くなったら、火葬されて骨になっちゃうんだよね…
それ自体も受け入れることが出来ませんでした。

祖母が他界して荼毘にふされたあとも、まだ何処かで祖母が現れるのではないかって…思ったこともありました。


あれから30年。

私はおひとりさまのおばあちゃんになりつつあります。

かつて祖母がいた場所は、もうありません。
それが一番悲しいことでもありますが、生きているうちはお墓参りに行きたいと思っています。

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