タンゴの令和化け猫日記

2011年3月11日。

2011年3月11日、金曜日。

東日本大震災で犠牲になられた方々へ、ご冥福をお祈りします。

この日は忘れられない1日でした。
職場で独り、端末室に入り作業をしていました。
午前中にボスとトラブって、その後は震災が来て内戦で避難を促されるまで、ずっと独りでした。

端末の部屋で独り作業をしている最中に気持ち悪い揺れがありました。
強くもなく、かといって弱くもない…何という感覚だろう、船に乗って揺れるような奇妙な感じでした。(低周波振動っていうヤツらしいです。)
「地震」だということはわかりましたが、それにしてはやけに長く、船酔いしてしまいそうな感じでした。
時々揺れは収まりますが、またすぐに揺れる感じが続きました。
怖くて机の下に潜り込みながら、時々止まると仕事をして…でも揺れがおさまらないという気持ち悪さ。

しばらくしてから内線がかかり、避難を促されました。

このときに避難をしていなかったのは私だけで、あとは皆避難をしていたそうで、「何で避難しないのか?」といった感じで怒られたことに対して強い怒りと不信感を感じました。

まずは独りしかいない部屋で、情報すらもらえなかったことに不信感を感じました。
普通ならば避難を促す内線を地震が起きた時点で私に連絡すべきでしたが、当時の上司(ボスの更に上の人)はそれをしてくれませんでした。
してくれずに自分たちだけさっさと避難して後から点呼して気がついて、避難が遅れた私に責めるような言い方をしてきたことにも腹立たしく感じました。

【当時は今とは別の場所で働いていて酷いパワハラがまかり通るという、とてもおかしな職場でもありました。
あれから1ヶ月後に部署が今の場所に移動になり、それと共に私たちも異動になりました。現在はパワハラもなく平和な日々を送っています。】

それからでした…。
東日本大震災が起きてヒドいことになっていた現実を知ることになりました。

午後の5時に帰宅命令が出ましたが、肝心な交通機関は動いていませんので歩くしかありません。
しかも持っていた携帯電話は繋がりません。

ボスと共に歩いて帰ったのをハッキリと憶えています。
大震災で交通機関がマヒしているにも関わらず、何とかタクシーやバスを拾おうとしているボスに、今を思うと申し訳ない気持ちがこみ上げてきます。

何とか歩いて帰れましたので良かったのですが…歩いて帰る途中で不安になりました。

母は無事か?
妹は無事に家へ帰れるのか?

帰宅の途中で川が濁って逆流していました。
ですが…自宅近くになるにつれて被害が酷くなかったことを確認して、とりあえずはホッとしました。

更に母の無事を確認して、ホッとしました。

東日本大震災があった時間帯、母は買い物をしていて外に出ていました。
公園を歩いていて体が揺れて電線も大きく揺れていたので一瞬脳梗塞になったのかと思ったそうです。
ですが、周りの様子を見て地震であることを知ったそうです。

その後、夜遅くに妹も帰宅しましたが3時間以上かかったようなことを聞いていました。

その後も揺れが続き、心が休まる感じはしませんでした。

家に帰ってから東北地方の被害が拡大していく一報が入るたびに辛かったです。
津波の映像もリアルに流れましたし…痛ましいでは片付けられないような事が現実として起きていて、怖い…それが当時の私でした。

あれからちょうど11年…私はありがたく働かせていただいています。
今日は職場で黙祷がありました。

当時のことを思い出すと、今も辛いです。

このような天災が起きないことを願うばかりです…。

【後で知りましたが、当時の直のボスは認知症の親を抱えていたそうで、東日本大震災の2週間以上後に他界されました。
それから11年後(2022年2月)に母が亡くなりました。
私は当時のボスの気持ちが何となくわかるような気がしました。】
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