タンゴの令和化け猫日記

ウォーキングは人生を卒業するまで続けます

1月3日。

私は仕事から帰ってくると、親は部屋で寝ていました。
がん宣告を受けてから初の三が日の最終日は、調子が良くありませんでした。

2日の夜からお腹が痛くなり、ずっと下痢を繰り返してしまい、朝とお昼は食べられなかったそうです。

ですが…夜には少しでも食事を摂ることが出来ました。

部屋に戻った母親が言った言葉にジーンと来ました。
「ウォーキングは辞めない方が良いよ。」

うん…そうだね。

元気な頃は私と共にウォーキングの会へ行きました。
それが新型コロナウイルスの感染拡大でウォーキングの会も中止になり、2年前の秋にやっとウォーキングの会に参加出来るようになった矢先、4月の中旬に熱を出してダウンしました。
このときはコロナの感染を疑いましたが、コロナでもなければインフルエンザでもなく原因がわかりませんでした。
ただ炎症反応が半端ではありませんでした。

翌月、かかりつけの総合病院で担当医が変わるタイミングで検査をした結果、がんの疑いがかかり、紹介された大学病院で「がん」と診断を受けてから、今日まで抗がん剤治療をしています。

季節が良ければ行けたはずのウォーキングも行けなくなり、母が一番楽しみにしていた京都でのウォーキングも行けなくなったのが一番の痛手だったと思っています。

(加えて…親父と悪い輩がメチャクチャなことをするために母への心労とストレスは半端ではありません。
テメェの嫁が大病患っていても女に狂って遊びまくる神経は理解する気にもなれませんわ。)

少しでも好きな物を食べて欲しかったので、甘納豆や羊羹などの「あんこ」物を買っては妹と一緒に食べていました。

ウォーキングに行けなくなった今は、母と居る僅かな時間の中で他愛ない話をしたいと思っています。

ウォーキング…私が初めてウォーキングをしたのが25年前で、初めてウォーキングの大会に出たのも25年前の東松山スリーデーマーチでした。
運動嫌いの私が初めて運動をするために独り旅をしたのも25年前の1997年でした。

それから私自身が色々あってウォーキングの会や大会には行かなかったことが多かったけれど…母が気を使って私と共にウォーキングの会へ参加するようになったのは2003年くらいからかな?

ちなみに私と母(時々妹)で行ったウォーキング絡みやそうでない場所を振り返って見ました…

2003年は京都(ウォーキング)
2004年は奈良(ウォーキング)
2005年は母の還暦ということで比叡山ウォーキングと京都市内
2005年に函館(ウォーキング)
2007年に函館(ウォーキング)
2008年は奈良(ウォーキング)と日光
2010年は函館(ウォーキング)
2011年は奈良(ウォーキング)
2013年は函館(冬の旅)と河口湖(花絡みの旅)
2014年は広島(私の思い出の場所として)と善光寺(母の希望)
2015年は奈良(ウォーキング)
2016年も奈良(花好きの母と皆の希望で)と平泉(一度行きたかった場所)
2017年は京都(ウォーキング)と函館
2018年は京都を2回(春はウォーキング、秋は観光)
2019年は京都(ウォーキング)
2020年は京都(ウォーキングが予定されていました)…この年は憎きコロナの影響でウォーキングが中止になりました。

母が居たから私もウォーキングが出来て、尚且体を動かすのが苦でなくなりました。
何よりも引きこもりをしなくなりました。

私は言いたいな…。
今は苦しいけれど、いつか歩ける日が来たら…母の大好きな花を観に行こうね…って。

だから…お互いに「生きましょう」。
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