The Brothers Four
The King's Singers
「竹田の子守唄」は京都府の被差別部竹田地区落で明治時代中期に唄われていた子供の労働歌です。題名に「子守唄」とあるが正しくは「守り子唄」です。子供を寝かしつけるのではなく出身の学校へ通ったり遊んだりする余裕のない10歳前後の少女の心情が唄われています。
後藤悦治郎は「大阪労音例会」で大塚孝彦、高田恭子のデュエットが歌唱しているのを聴き感銘を受け、1969年、『赤い鳥』結成時にレパートリーに加え、同年11月の第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストでもこの曲と「Come And Go With Me」 を歌唱、グランプリを獲得しました。そして、1970年、デビュー作として「竹田の子守唄」の替え歌、山上路夫作詞、大野雄二編曲の「人生」(アルバム版では「JINSEI」)をリリース、アルバム”Fly With The Red Birds”、に収録しましたがヒットはしませんでした。後藤には「人生」の歌詞で歌うことに拒否感があり、1971年、オリジナルのままの「竹田の子守唄」と「翼をください」を制作、それは収録して3年間でミリオンセラーとなりました。しかし、被差別絡みの曲のため自主規制がかかり「放送禁止歌」として長い間聴く機会が減少しました。その後、フォークグループ『赤い鳥』は路線上の違いから1974年9月に解散し、ニューミュージック志向の『ハイファイセット』(山本潤子、山本俊彦、大川茂)とフォーク志向の『紙ふうせん』(後藤悦治郎、平山泰代)と分裂しました。なお、一般的な歌詞は『赤い鳥』バージョンで注②が含まれず、『紙ふうせん』バージョンには注①が含まれません。
そして、1976年、紙ふうせんはアルバム”愛と自由を”、The Brothers Fourはアルバム”Where The Eagles Fly”に曲を収録しています。
元唄
赤い鳥
赤い鳥
竹田の子守唄- 赤い鳥(紙ふうせん)
守(も)りもいやがる 盆から先にゃ
雪もちらつくし 子も泣くし
注①盆が来たとて なにうれしかろ
帷子(カタビラ)はなし おびはなし
帷子(カタビラ)はなし おびはなし
この子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日 やせるやら
守りも一日 やせるやら
注②久世の大根めし 吉祥(きっちょ)の菜めし
またも竹田のもんば飯
またも竹田のもんば飯
はよもゆきたや この在所こえて
むこうに見えるは 親のうち
むこうに見えるは 親のうち
むこうに見えるは 親のうち
むこうに見えるは 親のうち
竹田の子守唄-元唄
この子よう泣く守りをばいじる
守りも一日やせるやら
どしたいこりゃ きこえたか
守りも一日やせるやら
どしたいこりゃ きこえたか
守り子いなして 門しめる
どうしたいこりゃ きこえたか
守りが憎いとて 破れ傘きせて
かわいがる子に 雨やかかる
どうしたいこりゃ きこえたか
かわいがる子に 雨やかかる
どうしたいこりゃ きこえたか
久世の大根めし 吉祥(きっちょ)の菜めし
またも竹田のもんば飯
どうしたいこりゃ きこえたか
またも竹田のもんば飯
どうしたいこりゃ きこえたか
盆が来かて 正月が来たて
難儀な親もちゃうれしない
どうしたいこりゃ きこえたか
難儀な親もちゃうれしない
どうしたいこりゃ きこえたか
早よもいにたい あの在所こえて
向こうに見えるは 親のうち
どしたいこりゃ きこえたか
向こうに見えるは 親のうち
どしたいこりゃ きこえたか
Akai Tori(赤い鳥) - 「人生」「Jinsei」
紙ふうせん
紙ふうせん
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