地元倉橋に住んでおられる人にはなんでもない日常の風景なのでしょうが、僕にとっては非日常の風景。
なんともフォトジェニックな風景だったのです。
いろんな想像が現実にそこにある風景から一人歩きしてしまいます。
この家に住んでおられる人々のこと、この島の暮らしのこと、過疎化のこと。。。
友人Hの実家とはいえ一応「旅先」なのでまさに「旅行者の目」で見ているからなのでしょう。
毎日同じことが繰り返されているような自分の日常も、この「旅行者の目」で見ると刺激的で楽しいものになるように思います。
いつも見ている近所の風景も新鮮に見えます。
この写真のような洗濯物だって、自分の家のベランダに干してある子供の小さなTシャツ、ズボン、下着、靴下等を「旅行者の目」で眺めているとこんな風に思ったりします。
「よくこの子らをしかることがあるけど、まだまだ赤ちゃんなんじゃのう。もっとやさしくせんといけんのう」「たいへんなようじゃけど、今が一番かわいいときなんかもしれんのう」と。
「旅行者の目」、、、というかファインダー越しに見る景色がそうさせるんですかね。
こんな風に、いつもカメラを持って日常の写真を撮っていると、忙しくもマンネリ化したような日々の生活が新鮮で刺激的で楽しいものになるような気がします。
立ち止まって自分を振り返ったり、自分の周りの人等、撮る対象物にやさしくなれたり、、、
「人生にスパイスを」とまでいうとちょっと大げさかもしれませんが、そんな効果が日常をファインダー越しに見ること、そしてシャッターを切ることにはあるように思いました。
*ということは、いい作品を作ることも大事かもしれないけど、そのための行為でしかないカメラを持ってシャッターを切ること自体にあるひとつの大きな意味があるように思います。
今回はほんとに一人歩きというかチョット暴走をしてしまいました
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(写真)
ローライ35
カールツァイス テッサー40mm/f3.5
友人Hの実家の裏のあたり。
こんな風景は僕の周りでは見ない。
ここの暮らしや人々について想像は一人歩きする。
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こういう作品見せつけられると
確かに、ローライ35って
いいカメラなんだなぁと
しみじみ思います。
あ、すんません ベンさんのウデも
モチロンです。
「旅行者の目」・・・なるほどです。
旅先で見かけた「日常」ってそーなんですよね。
新鮮に写るんですよねぇーっ!
うんうん・・・そうなんですね。
写真・・・ローライの描写。。。モノも良いですね。
よかですばいっ!
自分の身近で見慣れたものを新鮮な目で見るのって難しいですよね。ただ写真に納めようとするときは、いままで気付かなかったなにか見えてくる気がして面白いです。
ホントいいカメラですよ。
旅行に行くとき持っていきたいカメラ№1ですね。
だから、観光地や自然のきれいなところ、ほかの人の住んでいる土地がフォトジェニックに見えてうらやんでりするんですよね。「隣の芝は・・・」ではないですが。
二眼レフのファインダー越しに見た世界は、ある意味日常を非日常化してくれるように感じませんか?
左右逆だし(笑)
そうなのかなと思ってました(笑)
じゃあ、普通の景色ですね。
家とも倉庫ともいえるような建物、庭ともゴミ捨て場ともいえるような空き地、雑草、みかんのコンテナに詰まれた資材。よく倒れないなあと思わせる心もとない竹の物干しに少ない洗濯物。
僕にはどれもが新鮮です。
これらから想像が発展してしまいます
私も日常写真は好きです。ただ本当に日常の場所で撮っていると「また写真撮ってる」と周りに気づかれてしまうので、やはり自分が匿名になる場所が安心ですね。それでも裏路地や軒の洗濯物を撮っていると「何撮ってんねん」とたずねられることもあって、なにかと気を使いますね。しかしキョロキョロしていたら挙動不審なので、撮るときは堂々と撮っています(笑)。
古くて立派でない建物は、いずれ壊されることになるので、特に撮ってしまうことが多くなります。こういった建物は、私にとっては子供の頃の記憶を呼び起こすもので、単に記録にとどまらず私たちの記憶にもつながることがあるのではないかと。。つまり形だけをとどめるのではなくて気持ちが写るんじゃないか。。。ややこしいことを書いてすみません。
プロの方でもそう感じるのですね。
少し安心。。。
堂々と撮ったほうが怪しまれないでしょうね。
でもこれは慣れないとなかなか「堂々」が堂に入らないですよね(すみません)
>つまり形だけをとどめるのではなくて気持ちが写るんじゃないか。。。
言われてみるとそれはあると思います。心のどこかで自分の、時には自分以外の人の記憶として、、、と考えて撮っているように思います。
「倉橋」の場合は友人Hを中心としてここに住む人々を意識していたと思います。