都内散歩 散歩と写真 

散歩で訪れた公園の花、社寺、史跡の写真と記録。
時には庭の花の写真、時にはテーマパークの写真。

住吉神社 〈神奈川県川崎市中原区〉 

2024-10-27 13:26:47 | 神奈川県散歩
住吉神社   神奈川県川崎市中原区

住吉神社」の社号は、10社合祀に際し、地名の住吉村が由来となっている。従って、住吉大社(総本社:大阪府大阪市)との関係はない。

住吉神社
【住 所】神奈川県川崎市 中原区 木月1-20-1 Mapion
【御祭神】
天照皇大御神(旧:天照皇大神宮 木月字伊勢町2274)
誉田別命(八幡神社 八幡町1633)
大己貴命・大国主命 田中1908)
須佐之男命(八雲神社 天王森1099)
天児屋根命(春日神社 春日町1967)
菅原道真(天満神社 中ノ町813)
菊理姫命(白山神社 上ノ町996)
倉稲魂命(稲荷神社 稲荷町739)
建御名方命(諏訪神社 諏訪町1302)
天照皇大御神(神明神社 上ノ町1035) 
矢倉神社(矢倉神明社 木月字矢倉407(現在地)。なお、 矢倉神社の創建時期、ご祭神は不詳。社格は旧村社)
【創 建】不詳
【由 緒】社名はもともとは矢倉神社と称していたが、明治42年、村内鎮座の天照皇大神宮・八幡神社・子ノ神社・八雲神社・春日神社・天満神社・白山神社・稲荷神社・諏訪神社・神明神社の10の神社を矢倉神社(木月字矢倉407 現在地に鎮座)に合祀、当時の村名をとり、住吉神社と改称した。  参考にしたWEB:神奈川県神社庁、他【例大祭】8月第4土曜日・日曜日 - 大祭(前夜祭・本祭)

住吉神社の写真   令和6年10月27日撮影
 鳥居 社号標 昭和54年(1979)に再建


 手水舎


 参道 正面に社殿


 狛犬 明治30年(1897)建立


 社殿 昭和34年(1959)、建替え




 社殿前の神額



 住吉会館 昭和47年(1972)に建設、貸会議室などとしても利用

 
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熊野神社 〈新井熊野神社 千葉県市川市〉 

2022-03-06 21:00:07 | 神奈川県散歩
熊野神社 〈新井熊野神社〉  旧村社  千葉県市川市新井

同日の参拝寺社
 延命寺 [Click here !↗]

 
【住 所】 千葉県市川市新井1丁目9-3 地図⇒Mapion
【御祭神】  伊邪那美大神 ( いざなみのみこと)
【創 建】  元和年中(1615年頃)
【由 緒】 (境内説明文を写す)
【祭神・祭日】
イザナミノミコト、伊邪那美大神、伊弉冉尊、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)、女神
10月15日
【祭神・祭日】
創建、元和年中(1615頃 )
境内摂社、素五社稲荷、本社は西向きにして人家に沿へり。年々一月十五日には五穀などを供へ、以って例とせり。あるいは豊熟の年は神楽を奉じる事あり。

本社は素五社稲荷と称せしが、寛永年中 ( 1624~43 ) 熊野神社と改称し、文政五年 ( 1822 ) 拝殿を再建せしという。明治二五年 ( 1892 ) 大改修。昭和五七年 ( 1982 ) 社屋の老朽著しく氏子有志奉賛会により再建され現在に至る。

昭和五七年新築の際に 「 寛政十一年乙未一月吉日 」 ( 1799 ) の銘のある鳥居を取り除いたが、現在本殿裏にある弁財天の支柱として使われている。かつての村祭りには山車を牽き、旅役者一座の興行を打った。 元別当延命寺。
【例 祭】 10月14日
【境内社】 稲荷社、弁財天

新井熊野神社の写真  令和4年2月28日撮影
 鳥居

 由緒の掲示

 手水舎


 狛犬 年代銘は確認できなかった

 社殿

 社殿前の神額

 木鼻彫刻 獅子鼻


 手水舎の後方に日露戦争記念碑:大山巌元帥の揮毫

 稲荷社 元五社稲荷



 弁財天



 弁財天の後方の2本の支柱は旧:鳥居  

創建当時の手洗石の由


参照・引用:猫のあしあと、札所参拝日記のブログ 他
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六郷橋 ・ 宮本台緑地の橋門と親柱 神奈川県川崎市散歩

2014-12-20 11:13:48 | 神奈川県散歩
 六郷橋 ・ 橋門と親柱〈1925年〉  多摩川に架かる橋
【住 所】 多摩川に架かる橋〈東京都大田区東六郷と神奈川県川崎市川崎区本町〉 Mapion
【六郷橋について】WIKIを引用
 六郷橋(ろくごうばし)は、東京都大田区東六郷と神奈川県川崎市川崎区本町との境の多摩川に架かる、国道15号(第一京浜国道)の橋である。長さ443.7m、幅34.4m。
1925年の橋門と親柱〈六郷橋脇の宮本台緑地にある橋門と親柱〉
1925年(大正14年)8月には長さ446.3m、幅16.4m の六郷橋が架けられた。川の水路部分を1本の橋脚と連結した2つのアーチ(タイドアーチ)で越え、河川敷の部分は連続桁橋であった。片側1車線の車道に加え、両側に歩道があった。この時の工事を請け負った業者の1つが、俳優・船越栄一郎の曽祖父が営む飯島組である。
1984年12月、架け替えのための解体・撤去作業中に橋桁が落下し、死傷者18名を出す事故となった。この橋の親柱は、東京側を宮本台緑地公園に川崎側を稲毛公園に移設された。宮本台緑地には、この橋の橋門も保存されており、その柱にはこのときの事故で亡くなった5人の氏名と、作家の森村桂による鎮魂の詩が刻まれたプレートが取り付けられている。

【六郷橋の写真の写真】   平成26年11月13日撮影
六郷橋:〈大田区側から川崎方面を見る〉

六郷橋:〈川崎市側から大田区方面を見る〉

六郷橋:〈モニュメント〉

六郷橋:〈モニュメント〉

六郷橋:〈橋の中央から下流の羽が空港方面を見る

宮本台緑地の旧六郷橋の橋門と親柱〈1925年製〉

宮本台緑地の旧六郷橋の親柱〈1925年製〉

六郷橋の掲示 川崎市側〈1925年〉

六郷橋の掲示 : 北野天神近く



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川崎稲荷社 神奈川県川崎市川崎区散歩

2014-12-20 10:33:58 | 神奈川県散歩
 川崎稲荷社  神奈川県川崎市川崎区

【住 所】神奈川県川崎市川崎区本町2-10-9 "Mapion"地図
【御祭神】宇迦之御魂神 ( うかのみたまのかみ ) 稲荷社から推定
【創 建】不 詳
【由 緒】境内の掲示を引用
史跡 東海道 川崎新宿  川崎稲荷社
戦災で社殿や古文書が焼失したため、創建など不明。 現在の社殿、鳥居は、昭和26年(1951)頃に再建された。
東海道川崎新宿にあった「馬の水飲み場」からここ稲荷社の前を通る道は「稲荷横丁」と呼ばれ、この稲荷横丁の少し先に大師用水に架かる石橋があり、これを渡ると府中道に合流し、一方反対に東海道を横切ると真福寺の参道となり、大師道へとつづいていた。
八代将軍徳川吉宗が紀州から江戸城入りの際、この稲荷社地で休息したと言われている。
川崎市

【川崎稲荷社の写真】   平成26年11月13日撮影
川崎稲荷社の鳥居

川崎稲荷社の社殿〈昭和26年築〉

川崎稲荷社の社殿前の神額

川崎稲荷社の社殿の中

川崎稲荷社の神輿庫

川崎稲荷社の境内にある説明掲示



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稲毛神社 〈神楽殿・手洗石・鳥居・他〉 神奈川県川崎市川崎区散歩

2014-12-19 10:56:02 | 神奈川県散歩
 稲毛神社〈神楽殿・手洗石・鳥居・他〉 川崎山王社  社格 郷社 旧称  山王権現、武甕槌神社  神奈川県川崎市川崎区
【住 所】  神奈川県川崎市川崎区宮本町7-7 Mapion
稲毛神社
   御社殿の写真 → ここ
   境内社の写真 → ここ
   大銀杏の写真 → ここ


【稲毛神社の脇参道の鳥居、神楽殿、手洗石、旧社殿跡の碑、社務所の写真】   
【稲毛神社の脇参道の鳥居】     平成26年11月13日撮影

【稲毛神社の神楽殿】

【稲毛神社の手洗い石の説明】

【稲毛神社の手洗い石】

【稲毛神社の旧社殿跡の碑】

【稲毛神社の社務所】

【稲毛神社の社務所側入り口】



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稲毛神社 〈御神木の大銀杏〉 神奈川県川崎市散歩

2014-12-18 13:50:07 | 神奈川県散歩
 稲毛神社〈御神木の大銀杏〉 川崎山王社  社格   郷社 旧称山王権現、武甕槌神社  神奈川県川崎市川崎区

【住 所】:  神奈川県川崎市川崎区宮本町7-7 Mapion
 稲毛神社 の写真
   平成26年11月撮影  Click here !
 稲毛神社 の境内社の写真
   平成26年11月撮影 Click here !


【御神木の大銀杏】: 稲毛神社 大銀杏 - 川崎市公式ウェブサイトより引用
稲毛神社境内にある樹齢一千年といわれる御神木。戦火で受けた損傷から力強く復活を果たし、現在もなお人々からの篤い信仰を集めている。
昭和61年(1986)、稲毛神社境内整備事業の一環として、ブロンズ製の十二支信仰にちなんだ神柱が、大銀杏の周囲に配置され、稲毛神社のみどころのひとつとなっている。根本の祠には竜神様が祀られている。
江戸時代、東海道を旅する者から「山王様の大銀杏」として知られていた。『禺老忠政遊覧記』には、「この大銀杏の周囲を回りながら願い事をすると、ことごとく叶う。特に縁結び、子授け、子育て、学問稽古事の向上に霊験があり、参拝者がたえない。」と記されるなど、旅人や住民から信仰を集めていたことがわかる。
昭和20年(1945)4月の戦火で5日間くすぶり続けた結果、幹が空洞化するという大損傷を負った。そのため、戦後、神奈川県指定の天然記念物から解除された。倒壊を防ぐためやむなく上部が切り落とされたが、やがて残った幹の樹皮から若枝が伸長しはじめ、年月を経て見事な復活を果たしたのである。
御神木の証しとなるその強い生命力に、人々はより畏敬の念を強くしたといわれている。

【御神木の銀杏の写真】     平成26年11月13日撮影
御神木の銀杏の幹の部分

御神木の銀杏の枝を支える支柱




【御神木の大銀杏の十二支巡りの写真】
御神木の大銀杏の十二支巡りの干支のブロンズ : 卯と戌

御神木の大銀杏の十二支巡りの干支のブロンズ : 寅と子

御神木の大銀杏の十二支巡りの説明掲示


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稲毛神社 〈境内社〉 神奈川県川崎市散歩

2014-12-18 10:37:32 | 神奈川県散歩
 稲毛神社〈境内社〉  川崎山王社 社格   郷社 旧称 山王権現、武甕槌神社  神奈川県川崎市川崎区
【住 所】:  神奈川県川崎市川崎区宮本町7-7 Mapion
  稲毛神社 の写真 → ここ→→


【境内社】:
佐佐木神社、浅間神社、大鷲神社、和嶋弁財天社、堀田稲荷神社、第六天神社、子神社、白山神社、川崎天満社、
三峰神社、御嶽神社、八坂神社、大神宮、松尾神社、金刀比羅宮、福田稲荷神社

【境内社の写真】
佐佐木神社〈御祭神 : 少名彦名命、宇多天皇、佐佐木四郎高綱公〉社殿の脇

浅間神社〈御祭神 : 木花咲夜姫命〉社殿の脇


大鷲神社(おおとりじんじゃ)〈御祭神 : 日本武尊〉参道の右奥



和嶋弁財天社〈御祭神 : 市杵島姫命〉 大鳥居と神楽殿の間。御神水吹上げ井戸石枠がある。



堀田稲荷神社〈御祭神 : 宇迦之御魂神、豊受媛神〉大銀杏の脇



第六天神社〈御祭神 : 於母陀流神、彩珂志古泥神〉大銀杏の脇



子神社(ねのじんじゃ)〈御祭神 : 大國主命〉現存する川崎宿時代の唯一の建物。参道の右奥。



白山神社(白山媛神、伊邪那岐神、伊邪那美神)、社殿の脇


川崎天満社(菅原道眞)社殿の脇


三峰神社(伊弉諾神、伊弉冉神)、御嶽神社(櫛眞知命、大己貴命、少名彦名命)、八坂神社(素盞嗚命、稲田姫命、八柱御子神)、大神宮(天照大御神、豊受大神)、松尾神社(大山咋神、市杵嶋姫神)、金刀比羅宮(大物主神)、福田稲荷神社(宇迦之御魂神、豊宇氣比賣神)













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稲毛神社 神奈川県川崎市川崎区

2014-12-17 11:26:57 | 神奈川県散歩
 稲毛神社 川崎山王社 社格   郷社 旧称 山王権現、武甕槌神社  神奈川県川崎市川崎区  
【住 所】:  神奈川県川崎市川崎区宮本町7-7 Mapion
【御祭神】:
主祭神 武甕槌神 ( たけみかつちのかみ )
配 祀
経津主神 ( ふつぬしのかみ )
菊理媛神 ( くくりひめのかみ )
伊弉諾神 ( いざなぎのかみ )
伊弉冉神 ( いざなみのかみ )
【創 建】: 不 詳
【由 緒】: 神社のHPを引用
ご創建
当神社のご創建の年代は詳らかではありませんが、御神木大銀杏の樹齢が1千年と推定されるところから、当地の古社であることがわかります。
社伝によれば、当神社は東国に争乱の絶えなかった頃、武神・武甕槌神をまつり、天皇軍の戦勝を祈る社として建てられたと伝えられています。第十二代景行天皇が東国御巡遊のおり当神社に賊難を避けられたといい、第二十九代欽明天皇の御代、この地方に動乱が絶えなかったため、天皇は当神社に幣帛・七串を奉り、新たに経津主神、菊理媛神、伊弉諾神、伊弉冉神を配祀せしめられ、戦勝とその後の親和協力を祈られ、以後長く勅願所であったと伝えられます。
鎌倉時代以降
鎌倉時代には将軍家より社領七百石を賜り、佐々木四郎高綱公が源頼朝公の命を受けて御社殿の造営に当たりました。
足利時代には、当時の神主が新田家と関係が深かったため社領を二十石に削られてしまいました。しかしこの時代の信仰の深さを物語る史料として、応永十一年(一四〇四)の大般若経六百巻施入の記録があります。また新潟県の国上寺に現存する長禄二年(一四五八)銘の鰐口は河崎山王社すなわち当社に奉献されたものです。
秀吉公および江戸幕府からは二十石を賜りました。とくに家康公江戸入府に際し天海僧正ご巡見の参拝あり、随神門、神馬等の寄進を受けたと伝えられます。江戸時代中期以降は平和な時代風潮の中で殷賑を極め、社家九家社人十三人を擁し、川崎宿および河崎七ヶ村の鎮守として広く近隣一円の崇敬を集め、 例大祭「河崎山王まつり」は六月十五日に行われ、その盛況なさまから「東の祇園」と称されて街道名物の一つとなっていました。
ご社名
当神社は初め御祭神の御名をそのままとって、「武甕槌宮」と称していましたが、平安時代末期にこの地を領有した河崎冠者基家(秩父平氏)が山王権現を勧請して以後「河崎山王社」「堀之内山王権現」「五社山王」「三社宮」などとよばれていました。
山王権現の称号は、天台宗系の神仏習合思想「山王一実神道」によりますが、慶応四年、下向された有栖川宮熾仁親王殿下が当神社にご休憩され、その折りの殿下の御言葉「御社名、新政府の神仏分離の方針に相応しからず」により、鎮座地武蔵国稲毛庄の名をとって「川崎大神稲毛神社」と改称しました。その後、一時「川崎大神宮」と呼ばれた時期もありましたが、明治中期には「稲毛神社」が固定しました。
ご社殿
旧御社殿は江戸中期の宝永年間に川崎宿本陣当主・田中丘隅の世話によって造営された荘厳優雅な建物でしたが昭和二十年の空襲により灰塵に帰してしまいました。しかしその後、氏子崇敬者の赤誠によって、昭和三十八年、鉄筋コンクリート神明造り、延べ面積数百一坪の華麗なる現社殿の新築を見ました。 なお当神社は、昭和四十一年、神社本庁より「別表に掲げる神社」に指定されました。
 【例大祭】:  8月2日

【稲毛神社 の 写真】  平成26年11月13日撮影
稲毛神社 の 鳥居

稲毛神社 の 手水舎

稲毛神社 の 二の鳥居 七五三の参拝者

稲毛神社 の 二の鳥居

稲毛神社 の 狛犬

稲毛神社 の 〈天地睨みの狛犬〉



稲毛神社 の 社殿





稲毛神社 の 社殿外観

稲毛神社 の 由緒の説明掲示

稲毛神社 の 〈天地睨みの狛犬〉の説明


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新田神社 川崎駅周辺散歩

2014-12-01 15:48:25 | 神奈川県散歩
 新田神社  社格 村社 神奈川県川崎市川崎区

新田神社〈御祭神: 新田義興公 東京都大田区矢口〉 [平成26年11月撮影↗]

【住 所】神奈川県川崎市川崎区渡田2ー14ー8 "Mapion"地図
【御祭神】(境内掲示より)
主祭神 新田義貞公、 ( にったよしさだこう )
合 祀
天照 大神 ( あまてらすおおみかみ )
市杵島姫命 ( いちきしまひめのみこと )
宇迦之御魂神( うかのみたまのかみ )
亘新左衛門尉早勝 ( 読み方不明 )
【創 建】 延元3年(1338年)
【由 緒】神奈川県神社庁より引用
社伝によれば、新田義貞公が延元三年(一三三八)七月二日、越前国藤島(現在の福井市内)で討死の際、その臣亘新左衛門源早勝が公の差添の名剣と七ツ入子の名鏡及び錦の陣羽織の三種の品を得てこの地に携え帰り、ひたすら冥福を祈って供養していたところ、里人らも公の徳を追慕し、その三種の形見を早勝に乞い早勝と共に永和元年(一三七五年)七月二日、清浄の地を求め孤松の下に埋納し、廟を営んで新田大明神と崇め、この地の鎮守としました。家康公入府後は武人らの信仰が厚く祭田の寄進もあったと伝えられております。また明治以後は軍人・文人・名士の参拝が多くありました。
 また俚伝によれば、正月元旦と七月二日の暁にはこの地に軍馬の嘶く声がすることあり、これは河北矢口村(現在の東京都大田区内)に鎮座されている公の庶子新田義興公の霊が父霊のもとに参るためと言われております。
 明治六年村社に列格、のち幣帛料供進神社に指定。戦禍により建物悉く焼失しましたが昭和三十一年社務所、同三十八年社殿、同四十三年、神楽殿の再建を遂げ、平成三年社務所を再び建築しました。
【例大祭】8月第一土曜・日曜
【境内社】稲荷社、姥ヶ森弁財天社、神明社

【新田神社 の 写真】    平成26年11月13日撮影
 新田神社 の 鳥居

 新田神社 の 鳥居

 新田神社 の 鳥居

 新田神社 の 手水舎と手水鉢

 新田神社 の 狛犬(大正15年)

 新田神社 の 社殿(昭和38年)

 新田神社 の 社殿前の神額

 新田神社 の 社殿前の鳳凰の彫刻

 新田神社 の 本殿側面

 新田神社 の 境内の新田義貞公の銅像

 新田神社 の 神輿庫

 新田神社 の 境内社 稲荷大神社

 新田神社 の 亘新左衛門尉早勝の墓


 新田神社 の 境内社 神明社

 新田神社 の 境内社 社務所

 新田神社 の 境内社 神楽殿

 新田神社 の 境内の説明掲示

 新田神社 の 境内社 稲荷大神社の説明掲示

 新田神社 の 亘新左衛門尉早勝の墓の説明掲示



 
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ラゾーナ出雲神社 川崎駅周辺散歩

2014-11-30 20:36:32 | 神奈川県散歩
 ラゾーナ出雲神社 神奈川県川崎市

【住 所】神奈川県川崎市幸区堀川町72-1 ラゾーナ内 Mapion地図
【御祭神】大国主大神 ( 出雲神社の分祀から推定 )
【創 建】大正5年頃に創建
【由 緒】ラゾーナ出雲の掲示を引用
この神社は、縁結びの神として有名な島根県の出雲大社から1916年(大正5年)頃に分祀(ぶんし)されたものです。当時は東芝の前身である東京電気の川崎工場(後の東芝堀川町工場)の安全と繁栄を祈念して分祀されました。
2006年(平成18年)9月の「ラゾーナ川崎プラザ」完成を機に現在の地位に遷座され、この地を訪れる「人と人」「人と自然」の「緑・繋がり・絆」を見守っています。
また、この池の金魚は工場で飼われていたものを放流しています。
なお、工場は1908年(明治41年)に東京電気の川崎工場としてスタートし、以来1999年(平成11年)まで東芝の主力工場として、電球・蛍光ランプ・受信管・X線管・ブラウン管、半導体などさまざまな新製品、新技術を世の中に送り出してきました。
【例大祭】 不 詳

【ラゾーナ出雲神社 の 写真】 平成26年11月13日撮影






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女体神社 川崎駅周辺散歩 

2014-11-29 20:59:01 | 神奈川県散歩
 女体神社 社格 村社  神奈川県川崎市幸区

【住 所】 神奈川県川崎市幸区幸町1ー994 Mapion地図
【御祭神】
伊邪那岐命 ( いざなぎのみこと )
伊邪那美命 ( いざなみのみこと )
【創 建】不 詳
【由 緒】神奈川県神社庁より引用
神社創立の年代は不詳なれど、口碑の伝うる処によれば、永禄年間より女躰権現と称えられ、南河原村真言宗宝蔵院が別当職でありました。
当村は、武蔵国荏原郡八幡塚の農民が移住し、開墾に従事し、民家次第に増加したのであります。この地は、多摩川の南側にありましたので、南河原村と名付けられたとのことであります。地形多摩川の辺りのため、降雨のたびごとに多摩川の土砂堆積し、田畑への冠水甚だしく洪水の都度流域が変化し、常に大きなる災害を蒙り、遂に農耕が不可能な状態になりました時、一人の女丈夫水中に身を投じ、一身を犠牲に供せられし、その真心によりその後は大いなる災害もなく、住民漸く安堵し、農耕に励むことが出来ました。これも女丈夫の偉大なる御徳の御陰と敬慕し、その偉業を称え又後世に伝えるため、多摩川辺りの俗称『ニコニコ松』の下に一祠を建立して、その御霊をお祀りしました。
その後、現在の位置に鎮め奉る。
【例大祭】8月第三土曜・日曜

【女体神社 の 写真】   平成26年11月13日撮影
女体神社 の 鳥居



女体神社 の 手水舎と手水鉢

女体神社 の 狛犬

女体神社 の 社殿

女体神社 の 神額

女体神社 の 社殿の屋根

女体神社 の 神楽殿

女体神社 アンパンマンの絵馬:やなせたかしさんの直筆

女体神社 由緒書きの石碑

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川崎菊花大会 川崎市散歩

2014-11-17 12:44:09 | 神奈川県散歩

神奈川県川崎志市の寺社巡りの途中で稲毛神社の近くの稲毛公園で開催していました。

















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杉山神社 〈境内社・狛犬・神楽殿〉 横浜市鶴見散歩

2014-08-16 17:21:45 | 神奈川県散歩
杉山神社 〈境内社・狛犬・神楽殿〉神奈川県横浜市鶴見区

杉山神社の鳥居・社殿の写真と記事は → ここ
【住 所】横浜市鶴見区岸谷1-20-61 Mapion地図
【御祭神】日本武尊(ヤマトタケルノミコト)  
【創 建】天正2年
【由 緒】 境内掲示を引用
杉山神社略記
生麦・大鳥町・炭谷・中央5  総鎮守 杉山神社
御祭神は第十二代景行天皇の皇子として生れ終生を国の統一と民の安泰の為につくされ尊を賛える歌に
「蝦夷、熊襲しずめ給いし皇王子のたけきいさおは千代にかゞやく」の如くであります。
由緒
当社の設立は古くて判りませんが、元本村にあったが天正二年(1574)に当村村社に同年八年に現地に設立されたと伝えられており、元禄一六年万延元年に再建にされたとあり
(昭和四十九年(1974)に御鎮座四百年債を斎行)
現社殿は昭和十二年に着工し十四年に竣工した。
境内の手水水盤に享保九年六月の刻
石造鳥居に天明元年六月吉日の年号の彫刻が在る。
高い石段は生麦沖に沈んだ石を村人達が引き上げ神社の階段を作る。明治十年に完成。
祖 霊 社
境内の本殿右手にあり、生麦出身の大東亜戦争の犠牲者三百数十名を祀る社で、昭和二十五年に建てられました。
毎月十五日を例祭日とし、秋の彼岸中日には杉山神社奉賛会による例大祭が行なわれ、遺族会を中心に平和を願い、広く崇敬されています。
拝殿の天井をおおうように、犠牲者達の写真がたくさん掲げられていますが、そのすべてが若々しく笑えみ、又いくぶん緊張気味に写っています。
祖霊社の社は、長い年月と風雨などで老朽化により昭和63年1月15日に御影石製に改築。

【杉山神社の 狛犬・境内社(祖霊社、稲荷神社、道念稲荷神社)・神楽殿の写真】  平成26年7月6日撮影
杉山神社の狛犬

杉山神社の手水舎と手水鉢(手水水盤に享保九年六月の刻)

杉山神社の神楽殿

杉山神社の境内社

杉山神社の境内社 : 伏見稲荷(左) \ 道念稲荷道(右)の社

杉山神社の境内社 : 道念稲荷の神額

杉山神社の生麦一山講の碑









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杉山神社 横浜市鶴見散歩

2014-08-15 13:40:42 | 神奈川県散歩
杉山神社  村社(明治40年2月) 旧称 : 杉山大明神  岸谷、生麦、大黒町の総鎮守  神奈川県横浜市鶴見区散歩

杉山神社の狛犬・神楽殿・境内社の写真と記事は → ここ

【住 所】 横浜市鶴見区岸谷1-20-61 Mapion地図
【御祭神】日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
【創 建】天正2年
【由 緒】境内掲示を引用
杉山神社略記
生麦・大鳥町・炭谷・中央5の総鎮守 杉山神社
鎮座地 - - 横浜市鶴見区岸谷一丁目二〇番六一号(旧生麦一八四五番地)
御祭神 - - 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
祭礼日 - - 八月一日
境内地 - - 七百七拾六坪
付記
御祭神は第十二代景行天皇の皇子として生れ終生を国の統一と民の安泰の為につくされ尊を賛える歌に
「蝦夷、熊襲しずめ給いし皇王子のたけきいさおは千代にかゞやく」の如くであります。
由緒
当社の設立は古くて判りませんが、元本村にあったが天正二年(1574)に当村村社に同年八年に現地に設立されたと伝えられており、元禄一六年万延元年に再建にされたとあり
(昭和四十九年(1974)に御鎮座四百年債を斎行)
現社殿は昭和十二年に着工し十四年に竣工した。
手水水盤に享保九年六月の銘
石造鳥居に天明元年六月吉日の年号の彫刻が在る。
高い石段は生麦沖に沈んだ石を村人達が引き上げ神社の階段を作る。明治十年に完成。
神楽殿は前社殿
祖霊社
戦後すぐ戦没者英霊を祀る社を設立、当時終戦直後の時期先祖の御霊を祀る社とした。
神輿蔵 平成十二年一月吉日(2000)新築
平成十一年十二月記す   生麦 杉山神社  社務所

【杉山神社について】
引用元→〈第27章 生麦村の神社(下)<なまむぎ今は昔>より〉借用しています
岸谷、生麦、大黒町の総鎮守である杉山神社は、「宮山」と呼ばれる岸谷の高台にあり、祭神は「日本武尊」です。
根の道から一段高く大きな石の鳥居があり、その先から百段あまりの急な石段が山頂へ真直ぐに続きます。この石段は明治十に完成したもので、費用は生麦の氏子が出しあい寄進しました。
杉山神社、歓請の年代ははっきりしませんが、関口八郎右衛門(万年屋)の邸内に祀られていたが、天正二年(1574)八郎右衛門の抱地である今の地に移され、生麦村の鎮守となったと伝えられています。
祭礼は昔は六月六日から十一日まで、五日間と定められていましたが、その後八月一日となり、現在は、八月第一日曜日に行なわれています。
明治四十年までは「杉山大明神」とされ、宮山下の海辺は「明神下」の浜と呼ばれていました。慶安三年(1650)、元禄十六年(1703)、万延元年(1860)に再建され、万延の社殿は、現在神楽殿となっており、本殿は昭和十四年に完成した神明造りの社です。
同年、大鳥居や手洗鉢、燈篭などが寄進されています。境内には道念稲荷、伏見稲荷の末社、諏訪神社が祀られており、「杉山大明神」と刻まれた石鳥居(天明九年・1781)、村名主八郎右衛門と浜名主十左衛門の名を刻んだ手洗鉢(享保九年・1724)、石段を作った鶴見の石工、飯島吉六作の「狛犬(こまいぬ)」、生見尾小学校の敷地寄贈した八木下佐右衛門(清九郎ドン)寄進の「狛犬」、日露戦役記念碑、一山講先達碑・画筆塚などがあります。神社では大晦日の夜モチつきが行なわれ、年が明けると初詣の人達でにぎわいます。
祖 霊 社
境内の本殿右手にあり、生麦出身の大東亜戦争の犠牲者三百数十名を祀る社で、昭和二十五年に建てられました。
毎月十五日を例祭日とし、秋の彼岸中日には杉山神社奉賛会による例大祭が行なわれ、遺族会を中心に平和を願い、広く崇敬されています。
拝殿の天井をおおうように、犠牲者達の写真がたくさん掲げられていますが、そのすべてが若々しく笑えみ、又いくぶん緊張気味に写っています。
しかし、長い年月と風雨によってか、写真も黄ばみ、あるいは薄れたものが多く見られるようになってきました。

【杉山神社の写真】  平成26年7月6日撮影
杉山神社の 一の鳥居

杉山神社の参道は100段以上の急会談

杉山神社の二の鳥居は階段を登り切った処


杉山神社の略記の掲示

杉山神社の社殿

杉山神社の社殿

杉山神社の社殿

杉山神社の神紋は二本杉

杉山神社の社殿の中の様子

杉山神社の社殿外観





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安養寺・福寿弁財天 横浜市鶴見散歩

2014-08-13 15:44:02 | 神奈川県散歩
 一到山弥陀院 安養寺   神奈川県横浜市鶴見区 

【住 所】 横浜市鶴見区岸谷1-22-12 Mapion地図
【宗派・本尊】宗派は浄土宗  本尊は 阿弥陀如来
【創 建】僧慶誉が明応9年(1500)に開山
【由 緒】
明応(1492~)の頃、淨蓮社慶譽清岳在道上人(明応9年寂)の開創と伝えられ、当初は子安町字風早、現在の生麦中学校のあたりに在ったといわれております。一草庵だったものを増上寺の嘆誉上人がとりたてて一寺とし、在道上人を住持として居らしめました。以前の本堂は、関東大震災により大破し、昭和2年、第40世 悦譽良善上人によって現在の本堂(7間四方)が再建されました。
 当寺には寺宝の福壽辨財天があります。「近江国竹生嶋天女と同木にて弘法大師御作」と伝えられ、平成23年より鶴見七福神の制定によって、特に正月はより大勢の参詣者の信仰を集めております。 (鶴見区仏教界:http://www.tsurumi-kubutsu.org/shosenji.html:ここより引用)
【 安養寺 : 鶴見七福神】平成23年(2011)に制定された鶴見七福神の弁財天
【安養寺 : 福寿辧財天の説明】
福寿辧財天縁起
抑 當山に安置し奉る福寿弁財天の霊像は近江国竹生島の弁財天と同木にて御丈六寸七分、弘法大師の御作なりと古来より云傳えられる。
この辧財天は辧公の父家、小林某という者、世に奉拝し、しばしば霊験あり。就中今を去る三百三年の昔、元禄十四年(西暦一七〇一)の春、隣村寺尾村の熊澤氏の一男、病久しく薬石効なく危篤に陥りここに近親のもの、辧財天霊瑞を聞傳え最後の救護を祈るに、あら不思議かな病者たちどころに回復に及べり.
これを傳聞せる賽客遠近より雲集所願満足の輩、この霊像を民家に安置するは恐れ多しと翌年十五年の秋、旧二ツ池西の丘に神祠を榮むに至れり。是れ安養寺二十五世即譽辧我上人の時のことなり。
然るに星霜重ね御堂破損に及ぶれば三十三世冲譽義観上人の文化六年(西暦一八〇九)に至り、堂宇の荘厳を加へ、越えて文政八年(西暦一八二五)霊地を今の地に改め四月八日棟上げをなせり。旧地附近に神久保辧財天の地名存するはその由縁による。
辧財天は元来、印度サラスバテー河音を象徴したもので、主として音楽を司り、又招福の神として知られている。この辧財天に諸人祈らば病苦災難悪神の障害を除き子孫長久、商売繁昌の利益を招くこと夢ゆめ疑う事なかるべし。ここに福壽辧財天の来由を述べ、唯々随喜感銘し奉る。
平成十六年十月吉日 一到山 弥陀院 安養寺四十四世 進譽道正 編 

【安養寺の写真】  平成26年7月6日撮影
安養寺の参道

安養寺の山門

安養寺の本堂

福寿弁財天のお堂

福寿弁財天の扁額

福寿弁財天のお堂の中

福寿弁財天の木鼻彫刻は朱塗り

福寿辧財天の説明掲示



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