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映画 デジャヴ 

2022-03-11 12:49:20 | 映画

「Dejavu」

 

 

起こってしまった事は、基本的には元には戻せないし、ジカンの流れは一つで、川みたいに一方向にしか流れない...。

光を閉じ込めたり、常識的に考えれば、過去を見直す....、事ができてしまうテクノロジーが存在したとして...、

カメラで目の前の風景を撮影する時、複数の現実を、決定づける方法というものが、あれば....、それは、「可能性」を決定づける量子をとらえるハイパーカメラ

ふつー一つのカメラで撮影できる範囲というのは限られていて、次世代へ進化した、あのようなハイパーカメラでも無ければ、過去を「見る」ことは不可....。

モニターを壊してしまえば、向こう側に見えていた現実は消滅するのか....、必ずしもそうと言えるのか....。

例えば、"正しい現実"というのが一つあったとして、仮にそれを、"起点現実"かんがえ、
そうなら、"起点現実"は、分岐した世界が、収束するために必用なエネルギーを、必ずしも一方通行的な、(モニター越し)でしか...、
 過ぎてしまったものと、未だ発生していない、「未来」には、大きな壁がある.....。

そう、この作品内では、「彼ら」は、「かこの、分岐したミライ」をみている....。

物事は常に一方通行で、光の方向は、不可逆の関係性しか、持たない...。
干渉の糸が綻びた時...、考え始めると、訳が分からなくなってくる...。

大体のひとは、その瞬間瞬間を、一番大事にしたい....、
「運命」を意識する瞬間、というのは、非常に、"刹那的"で...、頭の中にヨギった風景は、あまりにリアルで、言葉では説明できず、
決して逃さない様にと、記憶の鳥籠の中に、永遠のメモリーとして、大切に仕舞っている...。それがあたりまえ...。


突然未来からやってきたエージェントが、自分に何かを告げに来る....、というのは都市伝説じみた、ロマンがありますが、
たとえば、前日、「予知夢」をみてタイタニック号に乗らなかった人の話なんかは興味深い....。
人は、昔の時代から、常に、そういった、スピリチュアルな体験や存在を、もっていたため、 「神話」のような出来事を、ながく語りたがる...。


でも、それにも、しっかりとした「科学的根拠」があるのですよ、と、摩訶不思議な宇宙を「ショーメー」する、そんなSFエイガだった.....。

 


映画 ザ・サークル

2022-03-11 12:20:22 | 映画

 

「ザ・サークル」

 

 

劇中の言葉を借りると、((体験))は、所有物ではない....、自分自身のものである....

まぁこれは主張....。

ただ、ソレは"モニター越しの現実"からは抜けられていない..。
共有する現実というのは...、例えば空に浮かんだUFOを目撃する時なんか、

それらとはまた、種類が違う。

地球規模(スケール)で、鳥の囀りの様に、遠方からも言葉が紡がれる、環境(キッカケ)を、最近の人々はみんな欲しがってる..。

「いいね」というやつ....。Instagramが出始める話と、似ている...。
顔が見えない事を調子にして、本音や外では言えない事を、気軽な気持ちで、"吐露(呟き)"できたり....。
建前や表向き、として、最も素直な、意見を、"挙手"したり....。

 個人が、自らの言葉で、意見を述べることが、とても大事、他人の意見など知らないままで、イメージをそこで終えてしまうのが、悲しい...、
自分の意見を持たず、大勢の人々の意見に左右される様な、"集団"を、
アカウント一つ取っても、閲覧者に違いがありすぎて、「特定」なんかできない...。ジブンのハツゲンに責任をもたなくていいことを、なんとなく願ってる...。

リアルタイムであるのと、
 シェアするイメージが、普遍的なものであり、誰もが知っている、内容であることが、肝心で....、オモシロイがいちばん....。
  もし、性別に関する事や、極めて個人的な悩みや、プライベートな趣味ならば、
それは見合いサイト、婚活所みたいになってくる...............

 
例えば、大勢の人込みがごった返すような広場に、「さけぶ」みたいで....、なんだかブキミにみえるときもある......。
意味や目的がハッキリしない見えないまま、人々が繋がるという事は少し怖いことなのかもしれない....。

 

 SNSも、ドがすぎたら、ジブンにプライバシーがないことにきづいたり、
   私生活に対する、「ジガニンシキ、のイシキ」が希薄になったり、そんな問題点をかたっているエイガでした.....。
      「シェアしちゃいけない」ものは、しっかり「シェア」しちゃいけない.....。

 


映画 サウンドオブサンダー

2022-03-11 11:01:51 | 映画

 

「サウンドオブサンダー」  蝶々とテセラクト 

 

 

部屋に蝶々の標本を飾っていたことがあるが、自分はそこらの虫好きには負けない昆虫マニアで、
モンシロ、アゲハなど、少し外を出歩けば、探せばいくらでも、見つかる、蝶々から、蛾の類まで、それらの生態を網羅している、
舞う姿が、鏡に反射する銀色の光のように、眩しく、輝かしいコーコーセー、ポケモンライフだ.....。

棟が遥か彼方の先に見える一面の砂漠を渡り歩いてきた過去と、 私にとってギリシャ神話のルーナ女神であるハルカという少女と一夜を過ごしたその日も悪しからず、
目的地に潜んでいるであろう、モンスター達の息吹を、スレスレに、「聖杯」を目の前にした時の記憶は、いつまでも心に焼き付いている.....。
落雷のような「津波」は、モンスターの技であり、ルビーやサファイアよりも、輝きに満ちている..。
                     
冒険者としての鼓動が、クリスタルスカルのような「青い星」を前に、未だかつて見たことのない一角獣を夢見て、船の運命をキャラメルコーンを頬張りながら、
恥ずかしい気持ちで、隣に座る、人形と一緒に、(持ち込んだことに成功したのは驚いた)、ひとり号泣しながら、鑑賞していた記憶は、最も鮮烈である...。
これを読まれるのが、恥ずかしいのだが......、

    
利潤と倫理と科学の発展が対立する、リスクの危険すぎた、それはビジネスと同等に扱う合理さ 
文明崩壊のリスクや、自然蹂躙の忘却といった、人間の奥底を描写した、アメリカらしい構図も.....。

タイムマシンの開発者である、「  (女性)」は、その盲点を追及していた...。会社側は、それにも関わらず自社の利益のため、
タイムマシンビジネスを断行展開させるのだが、
いずれ、その歯止めの効かない、聞く耳を持たない、右往左往の舵取りが、世界の崩壊への扉を、開くことになる....。

 

アメリカの都会の風景は、先進国の最先端ながら、多くのビルが立ち並び、街中では、小綺麗に舗装された道が右往左往している..。
  激しく歪んだ自然や、アマゾンの動植物などが、対極的、対称的に、異次元が張り巡らされた 光景は、
    ジュラシックパークやキングコングのソレ...。最高にサイコな光景、というものを想像した事はないが、それに値する、
秩序が美しい近代的な空間に、そもそもそのような異次元が張り巡らされた光景というのは、「矛盾」そのものであり...、
その雰囲気にある種のフェチを感じるホラーマニアは海外に多い..。


如何にして、その「矛盾」が発生したかについて、順を追って解説を受けるのが、SF映画の醍醐味であり....。
  湖の底から、遺伝子変異により誕生した怪物映画を、体感したいドMな喜びは、
   私達の暮らしを送る居場所が、全くスケールの異なった、別の住処や巣窟へと化してしまっている光景など....、
 略奪者ににより変わり果てた土地、同様........、塗り替えられた世界の光景という縮図は、
  他の作品にもあるように、非常に刺激的な印象を覚える...。

今や、もはや奇跡的な、人類にとって都合のよい、環境が、 ほんの些細な差異により、全く異なる(まさに)地獄へと分岐してしまう、
その二者択一さが、地球の寿命から考えたとき、何度も何度も繰り返し起こっていることが...、信じられない程の図柄だ..。

人類の命運を背負っており、ミッションの遂行という主な内容について...、特に時空を越えた冒険活劇になっている..。。
  時間の異なる同じ場所 へと、時空を旅をして、全ての鍵となるアイテムを、入手するために、
次々に襲い来る試練を越え進んでいく、お約束の....。

 

あのノーランの「インターステラー」や、の「タイムマシン」よりも、スケールの描き方が美しい...。
 リュックベッソンが監督を担当した「LUCYルーシー」に、バタフライ効果を支配する神々しい演出が、ありますが、
   
二つのシーンを見比べた時に、より時空間という概念を、強く思い起こす様な、脳内旅行と幽体離脱を、体感できるんじゃないかと...。
     そのためには、二つの作品を両方とも、見なくてはならないのだが....。

2055年には、もう過去となった運命を、変えられる様な、テクノロジーが実現されるか、どうか、疑わしいもの....。

 

 あまり、全体評価がよくない...。個人的には傑作だと踏んでいたのですが..。

 


映画 プリズナーズ

2022-03-10 21:07:25 | 映画

 

プリズナーズ

サスペンスものは、とくにコワイ映画は、もはや50本以上は、見終えていると自負しているのですが、

アメリカのサスペンス映画の、サイコパス犯罪者にあらわれてる、共通する犯人像として

いちじるしくみられると思ったのが、「共感の欠如」というやつで....、 

被害者の感情とか、実際に目には見えていても、ニンゲンの反応として、相手側はとらえていないような、

そーいった「演技」が特徴的だと思いました...。

 

 


映画 エクスマキナ (アレックスガーランド/ イギリス)

2022-03-10 09:55:18 | 映画

「エクスマキナ」アレックスガーランド  

~ロボットとニンゲンのちがい~

堅牢な扉と、徹底した監視...、ある意味で、怪物を閉じ込めている様なものなのだが、
  AIの開発は、進化し過ぎると、いずれ人の手に負いきれない様な、脅威となるだろうという、広いテーマで..。
 そこへ「恋愛」というテーマを持ってくる今作が、少し、人間とロボットの違いを論じるような、深い思考に私達を案内させる..。

「女性像」つまり「シルエット」に、、、まるで、初恋のように異性を意識することも、純粋かつウブな青年にとっては、自然なことである、

それらしい対話のやりとりさえ成立すれば、自分の世界に閉じ込もった精神病患者のように、何も見えていない恋に恋する自己陶酔の沼にハマってしまう、
のも納得してしまう.....、ガラスとガラスを挟んだものではあるが、ショーケースの中の人形を眺める様に、出逢いに気持ちが高鳴って....。


意識のないものに無理やり、意識のような創りものを付け足しても、必ず目立ってしまう違和感についても、
   
ロボットが絵を描く様子を見たときに、何かを感じている様子も、絵を描くという意思も、何もなく、
   ただ、機械的に、機能的に、命令された動作をしているだけの、印象しか感じないことも、
     例え、自発的な思考をプログラムし、完全に人に近いレベルのものを創り出した所で......。
        それは開発者自身も予測ができない、無意識の、イミテーション的な、ネットワークである。

人間の中にも、「何かを描け」と言われた途端に、何も描けなくなるような、釣り合いの取れていない意識がまた存在している事を、劇中述べている。
   バードウォッチッグや、カメラマンが動く自然や動植物の風景を、おさえるのと、近しい意識なのだろうが、
      一度逃してしまうと、二度と現れることがない様な、直感みたいなものが、ロボットにはないらしく、それはニンゲンにしかないものらしい.........。

 もっとわかりやすく、たとえるなら自然や動植物の風景を、画家同士の風景へと例えると、、
 ある画家同士達が、奇跡的にシンクロしているような、キセキテキな状態が、二度と意図的には、創り出せない...。
もはや、そういった歴史は、人々が共有している、段階が、必ず必要になってくる...。ロボットには、それがつくられる前の歴史はないのだから...。

イギリス映画「エクスマキナ」について...。確かに「意識」がある様に見える..とは、「自然」を再構築するに等しい、「神」にも触れる、芸当...。


 「意識」を特定のモードに切り替える、とか、もはやエヴァンゲリオンの様な、「自由意志」を語るなら...、
自分の内側で起こり得るあらゆる現象を、何もかも、シミュレーションできていないと、その発言自体が、成立しなくなってくる...。

 つまりは、「ナチュラルさ」がなければ、結局のところ、それが生物としての限界だ....ということをいっている..。
 
通常、「個人」には「都合」があり、「集団」にとっても「都合」はある..、
   個人的な「都合」で、自分が何かの仮想現実の中で、都合に沿って動く歯車として、機能しているなら、

それは社会の中で、都合よく、許された「プログラム」だ..。
     その場合、あえて「個」を主張することなく、「平穏」が約束されるだろう..。それはそれで幸福とも呼べるだろう..。否定の余地はどこにもない..。
         ハナシがそれすぎたが.......、

 ブルーブックの開発者である(現実でいうグーグルみたいなものだろう..)メインキャラが、「人間が絵を描く行為」について語っている。

 自分で「特定のモード」を把握しながら、それがまるでお約束のタイミングとお約束のルールに沿ったパラメータなら、
 その通りに、組まれたシミュレーションを、おそらくは、意識するはずである...。
その度に、一定のグループ意識と伝統が再生されるから、そこに何の否定的意見など大多数は持たない。


つまり0.1秒のアドリブのレベルの話なのだ..。
 そのレベルの話ならば、「意識」が関与する場合と、そうでない場合が、ハッキリ明確に区別され、人間の中にある「魂(たましい)」が写される..。
   「能力」の話になれば、もはやマトリクスやシンギュラリティだが、「魂」の話になれば、それは、「神」や「仏」など、宗教である...。
そして、それは絶対的である...。


第3者的な誰かが意図して行った、壮大な交響曲の一環ならば....。一体、その指揮をふるよーな、「イシキ」とは、なんなのだろう..。