matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

鶴川香山園オープン

2025-01-28 11:25:35 | 日記

 1月25日、鶴川香山園(かごやまえ

ん)がオープンしました。

 

池泉回遊式庭園と書院造の建物を持つ、

未来豊かな和の空間を楽しめる公園です。

現存する建物は、1906年に建てられ

たもの。2015年までは、能ケ谷香山

古墳群の出土品や骨董品を展示した私設

美術館でした。

その後町田市が、庭園を含む一体を買い

取り、家屋は喫茶・割烹の店に。

池泉回遊式庭園には、秋はモミジが見ら

れ、カヤやケヤキの大木があり、時代の

厚みを感じさせます。

レストラン「桜梅桃李」では、町田の

地場食材を生かした和食や甘味を提供

します。

小田急線鶴川駅北口から徒歩5分です。

 


2024年の歳末

2024-12-25 16:30:24 | 日記

 

 温暖化が更に進み、平均気温は

過去最高となりました。又、訪日

外国人観光客数も過去最高を更新

しました。

残念なことに、災害や事故も多発して

います。

闇バイト等の悪質な事件が社会不安を

増幅しています。

不確かな未来、それでも人々は夢や希望

を追い求めます。

皆様、どうぞよいお年をお迎えください。


晩秋の大山

2024-12-07 17:29:34 | 日記

 

 12月上旬のよく晴れた日、大山を

訪ねました。小田急線「伊勢原駅」で

下車して、バス停に向かうとすでに

長蛇の列。

バス終点の大山ケーブル駅まで20分。

そこから、こま参道を登ること15分。

息をきらしてやっとケーブルカー乗車

口に着きました。

ケーブルカー終点は「阿夫利神社駅」

(標高約700m)。大山阿夫利神社

下社があります。大山山頂(標高

1252m)には本社がありますが、

更に2時間弱登らないといけないので

あきらめます。

山全体に素晴らしい紅葉の景観が

広がっていました。

短かった秋が過ぎ去ろうとしていま

す。


「AIの父」の警鐘

2024-11-05 17:31:36 | 知の散歩道

 2024年のノーベル物理学賞を受賞

したトロント大学のジェフリー・ヒント

ン氏はAIと人類の未来を語っています。

 

 2023年にそれまで約10年勤めた

米グーグルを突如退職し、AIの脅威に

ついて語り始めました。

 「デジタル知能は生物学的知能に取っ

て代わるか」という問いに対し、同氏は

ほぼ確実にイエスだと結論づけています。

 

同氏は2つの大きなリスクがあるとみて

います。1つ目は、悪人がコンピューター

に悪い目標を与え、大量の偽情報拡散や

生物テロ、サイバー戦争、殺人ロボット

といった悪い目的のために使うこと。

 2つ目は、AIモデルが危険な形で「進

化」し、他者をコントロールする志向性

を持つようになること。

 

 AIなどが今後20年で人類を絶滅させ

る確率が10%あるといいます。

 さらにヒントン氏は、安全性の問題に

専念するAI研究者の割合を現在の1%か

ら30%に引き上げるべきだと説いてい

ます。

 

(参考;日本経済新聞2024・3・4、

同2024・3・10「テクノ新世」)

 

 

 


 宗教としての資本主義

2024-08-30 12:54:12 | 知の散歩道

 

 「宗教としての資本主義」は、ヴアルター・

ベンヤミン(1892-1940)が1921

年に書いた短いテキストです。

 

ベンヤミンは資本主義には宗教的な

構造として三つの特徴があるといい

ます。

一つ目の特徴は「資本主義はひとつの

純粋な礼拝宗教、おそらくはこれまで

に存在した最も極端な礼拝宗教なので

ある。資本主義においては、一切のも

のが直接的に礼拝と関わることによって

のみ意味をもつのであって、資本主義は

いかなる特別な教義も、いかなる神学も

関知しないのだ。」

 

二つ目は、資本主義は毎日が礼拝である

と。そして三つ目の特徴としてこの礼拝

は人々に罪を負わせる。(罪を救済する

のが宗教なのに、罪を負わせる儀礼宗教

が、純粋な宗教としての資本主義の特徴

だ。)

 

マーク・シェルというハーバード大学

の研究者は、「芸術と貨幣」という著書

のなかで、貨幣とキリストが非常に似て

いるということを論じています。

お札というのは単なる紙切れで、それ

自体に価値はない。紙切れを価値ある

ものたらしめているのは、千円札とし

て使えるという信頼です。そう考える

と貨幣は、信頼、もっと言えば信仰で

できている。

貨幣は物質的な形態を持った信仰の

対象なわけですから、キリストと同一

の存在様式を持っている。

毎日、私たちは宗教儀礼としての通貨

を支払って、商品世界の信仰の証を立

てているんですね。

(NHK出版新書「哲学史入門Ⅲ、p156

~p162」から引用しました。)