matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

北京散歩その3-五道営胡同と雍和宮

2016-09-25 11:08:56 | 世界の都市(アジア)




 北京その3

 北京を代表する伝統的風景が「胡同」
です。

灰色れんがの伝統家屋「四合院」が密集
する住宅街です。

再開発で取り壊された胡同も多いのです
が、保存地区にはカフェやバー、雑貨店
が集まり路地裏散歩が楽しめます。



スタートは地下鉄五号線「北新橋」駅
から。

まず駅前にある「鈴木食堂」で昼食
です。

北京在住15年を超える鈴木さんが
中国の友人2人と日本の家庭洋食店
をオープンしたのは2011年。



今では北京に4店舗あり、中国の若者
に大人気だそうです。


次の駅「雍和宮」に向かって歩いていく
途中、〇〇胡同と標識のある狭い路地が
いくつもあります。



五道営胡同は雍和宮と安定門の間、
安定門内大街の1本南側にあります。

隠れ家的なスポットですが、観光客
が増え、かつての静けさは消えつつ
あるようです。



「Vineyard Cafe」で休憩
しました。

ふと鎌倉を歩いているような気分に
なってきました。



雍和宮は北京最大のチベット仏教寺院
です。

満州族が伝統的に信仰していた宗教
です。

清の皇帝乾隆帝の時代にチベット仏教
の寺院に改修されました。

総面積は6万6千平方メートル。建築物
には満州、モンゴル、中国、チベットの
各文化圏の様式が織り交じっています。



南から北に向かっていくつもの建物が
並んでいますが、最北部に万福閣という
大殿があります。

万福閣には高さ26m、直径8mの巨大
木造弥勒菩薩像が収められています。
撮影は禁止です。



芥川龍之介は1921(大正10)年、
北京に約1ヶ月滞在し、北京の街、名勝
を熱心に見学しました。

雍和宮も訪れています。

(北京日記抄より引用)
「・・・日本のお寺とは違い、屋根は
黄色く、壁は赤く、階段は大理石を
用いたる上、石の獅子だの、青銅の
惜字塔だの・・・、乾隆帝の「御碑」
だのも立っていれば、兎に角荘厳なる
に近かるべし。」

芥川らしい皮肉たっぷりの感想です。

ただ芥川は後年「・・・歩いて一番
好きな所は北京でしょうね」と言い、
この頃の北京の悠々とした街と人、
青々とした樹立などを称賛しています。

北京散歩その2-頤和園

2016-09-19 11:11:38 | 世界の都市(アジア)



(万寿山の仏香閣と昆明湖)

 北京その2

 頤和園へは、北京中心部から車で
40~50分程度です。

頤和園は北京最大の皇族庭園で、万寿山
とその南に広がる昆明湖の総称。

面積は約290万平方m、周囲は約8
km。


(東宮門)

1750年に清の乾隆帝が、生母の
60才の長命を祝って、旧称おう山
を万寿山と改め、庭園を造営したのが
始まりです。

乾隆帝は杭州の西湖を模した昆明湖
など、江南地方の風景をこの庭園に
映しました。



1860年に英仏連合軍に破壊されます
が、1888年に西太后が再建します。

再建費用は銀3000万両といわれ、
海軍の年間経費の15年分に相当し
ます。

1894年に勃発した日清戦争に清が
敗退した要因のひとつともいわれます。

1900年には8か国連合軍に再び
破壊されますが、西太后が1902年
再建したのが、現在に伝わる姿です。


(西太后が暮らした楽寿堂)

西太后は1年の3分の2を頤和園で
過ごし、毎日紫禁城から銀1万両が
運ばれたそうです。


(長廊)

昆明湖の北岸に沿って建てられている
回廊で、長さは278mあります。

現在のものは19世紀末に再建された
もの。

花鳥画、風景画、歴史画などが極彩色
で描かれています。


(清あんほう)

昆明湖北岸の西端にある石の船です。

神仏世界の蓬莱島へ向かう宝船を表して
います。

英仏連合軍によって破壊されますが、
西太后が修復します。


(蘇州河に架かる橋)

乾隆帝は蘇州の町をたいへん気に入り、
蘇州の街並みの一角を頤和園に再現
しました。

蘇州街一帯の后湖は蘇州河と呼ばれ、
8本の橋が架かっています。

権勢をほしいままに振るった西太后は
8ヵ国連合軍の北京入城で、西安に
逃走。
1908年、74才で世を去ります。

  (続く)



北京散歩その1-国貿~僑福芳草地

2016-09-12 10:38:13 | 世界の都市(アジア)



(僑福芳草地)

 北京

 8月末、北京を訪れました。

2002年冬、2004年夏以来で、
3度目の北京です。

まだ見ていない北京を歩いてみました。



国貿(国際貿易センターの略)地区は、
地下鉄1・10号線「国貿駅」を中心
に、高層ビル化する北京のオフィス街
の中心地です。

北京オリンピック(2008年)後に
開発が加速しました。

テレビ局やホテルなどの建設が進み、
ショップ・レストランも多く集まって
ます。

東京でいえば、丸の内と六本木を
ミックスしたようなエリアです。



宿泊したのは「北京国貿飯店(トレー
ダーズホテル北京、バイシャングリラ)
」です。



ホテルの後方に見える白い高層ビルは、
日本人が多く住むマンションです。



ホテルから下に降りると、「国貿商城」
という大きなショッピングモールがあり
、スケートリンクが目印です。

天気がよく大気も良好、治安面の不安
もありません。

散歩にはうってつけです。



「コスタコーヒー」は、北京ではスタバ
と同様大人気です。

イギリスのコーヒーチェーン。日本には
未上陸です。

中国独自のコーヒーチェーンもいくつか
あるようです。



「僑福芳草地」は台湾のオーナーが3年
前にオープンしました。

個人的にコレクションした現代美術作品
が点在し、ガラス張りの巨大な建物の中
に開放的な吹き抜けの空間が広がってい
ます。



オシャレなショップ・レストランが並ん
でいます。

「小大菫」で北京ダックを食べました。

土日は1時間30分待ちもあるという
超人気店です。



お手頃価格で北京ダックが食べられ
大満足。


夜は宿泊ホテル真向いにある、「国貿
三期」の最上階のバーに行きました。



「国貿三期」は北京市内で最も高い
超高層ビルです。(高さ330m)

80階からの夜景はとても幻想的、
眠らない大都会を感じさせました。

  (続く)
 

足利ー足利学校と一茶庵その2

2016-09-05 09:46:03 | 旅行



(弘法大師)

 足利その2

 足利学校からどこか懐かしい石畳の
散歩道を歩くと、鑁阿寺(ばんなじ)
があります。



鑁阿寺は真言宗大日派の本山です。

もともとは12世紀半ば、足利氏の
祖・源義康がこの地に居館(足利氏
館)を構えたことに始まります。


(足利尊氏)

敷地は約4千平方メートル。

鎌倉時代前後の武家屋敷(平城)の
面影を伝えています。

1196(建久7)年足利義兼が、
自宅である居館に大日如来を奉納
した持仏堂を建立。


(本堂)

1299(正安元)年足利尊氏の父
貞氏が、本堂を再建しました。

当時最新の禅宗様建築を取り入れて
います。


 足利は古くから「そばが旨い」と
いわれています。

足利の水がそばに適してるのでしょう
か。



戦後「近代蕎麦の始祖」「蕎麦聖」
などと呼ばれた片倉康雄氏が、
昭和29年に足利で「一茶庵」を
再開しました。

以来多くのそば通やそば打ち職人
たちが「一茶庵」を訪れるように
なりました。

「足利詣で」といわれました。



一茶庵本店は各地にある一茶庵系の
頂点となる店。

繊細で上品な味わいのそばでした。