matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

早稲田さんぽー漱石山房~穴八幡宮

2018-01-29 11:20:43 | 東京散歩




 早稲田

 1月中旬早稲田界隈を散策しました。

東西線早稲田駅を降りると、夏目坂(漱
石の父が命名)に面して、漱石誕生の地
の碑が建っています。



夏目漱石は1867年(慶応3年)江戸
牛込馬場下横町(現・新宿区喜久井町)
で生まれ、1916年(大正5年)早稲田
南町で亡くなりました。

漱石が教職を辞して東京朝日新聞社に専
属作家として入社した、1907年(明
治40年)から49歳で亡くなるまでの
9年間を過ごした旧居は「漱石山房」と
称されました。



「三四郎」「それから」「門」「こころ
」「明暗」などの代表作を執筆し、又
漱石門弟(漱石山脈)による「木曜会」
のサロンとしても利用されました。

漱石は永住する気持ちはあまり無く、
家賃35円の借家住まいでした。

死後、遺族が家を買い取りましたが、
昭和20年の大空襲で焼失。戦後
区に移管され漱石公園になります。

昨年「漱石山房記念館」が開館しまし
た。


  (猫塚)

猫塚は、大正10年遺族が自然石を重ね
て多層塔で作りましたが、戦災により崩
壊。新宿区が修復再建しました。

漱石の食事は、朝はパンと紅茶。
夕は一汁二、三菜にメインは肉料理と
魚料理が一日おきだったそうです。

胃病に悩ませながらも、牛鍋など味の
濃いものをよく食べ、酒はほとんど飲
まず、甘いものが好きだったそうです。



馬場下町の交差点には、金銀融通の御利
益で知られる穴八幡宮があります。

1062年、源義家が兜と太刀を納め祀
ったのが始まりとされます。



江戸時代の頃から「穴八幡宮」の呼称
に。

徳川吉宗による奉納が起源とされる「
高田馬場流鏑馬」は古式を保存するため
体育の日に実施されています。



斜め向かいには、江戸時代創業の老舗
「三朝庵(さんちょうあん)」があり
ます。



「かつ丼」と「カレー南蛮」発祥の店と
伝えられています。

カレー南蛮(780円)をいただきまし
た。蕎麦屋のカレーは美味しく、懐しい
味です。



店内には早稲田出身者や関係者の色紙が
ところせましと貼られています。

永六輔、王貞治、山田洋次ら著名人の
色紙や「早稲田打倒」も結構目につき
ました。

上野東照宮の冬ぼたん

2018-01-22 11:03:04 | 東京散歩



  (ロウバイ)

 上野

 1月中旬、上野公園に行きました。
寛永寺を通って東照宮へ。

冬ぼたんが見頃となっています。



上野東照宮は1627年創建。
祭神は徳川家康、徳川吉宗、徳川慶喜。

徳川家康は1616年駿府城で死去しま
すが、危篤の家康に天海僧正と藤堂高虎
が、自分の魂が末永く鎮まる所を作って
ほしいと遺言されたそうです。

天海僧正は高虎らの屋敷地であった今の
上野公園の土地を拝領し、寛永寺を開山
しました。

境内には多くの伽藍や子院が建立され、
その一つとして創建した「東照社」が上
野東照宮の始まりです。


  (五重塔)

尚、遺体を祀る久能山東照宮と本宮であ
る日光東照宮が1617年に造営されて
以降、諸大名は競って全国で500社を
超える東照宮が造られました。

現存するのは約130社とのことです。


  (唐門)

社殿は1651年に徳川家光が造営替え
をしたもので、遠く日光までお参りに行
くことができない江戸の人々のために日
光東照宮に準じた豪華な社殿としたそう
です。


  (社殿)

拝殿、幣殿、本殿の三つの部屋から構成
される権現造り。金箔がふんだんに使用
されていることから金色殿とも呼ばれま
す。



びたん苑では200株の冬牡丹が見頃
を迎えています。



冬牡丹は花の少ない冬にお正月の縁起花
として抑制栽培の技術を駆使して開花さ
せたものです。

丸二年を費やし、厳寒に可憐な花をつけ
ます。


「浅草名所七福神」巡り

2018-01-15 11:48:22 | 東京散歩




 浅草

 正月明けの三連休の中日、浅草へ行き
ました。

七福神巡りは元日から15日くらいの所
が多いのですが、「浅草七福神」巡りは
一年を通してできるそうです。

1.待乳山聖天(まつちやましょうてん)



あたたかい風呂吹き大根とお神酒をいた
だける「大般若講 大根まつり」が開催
されていました。

人間の迷いなどを清めるため大根を供え
ることによってご利益をえられるという
ユニークな教えです。



浅草寺一山支院のひとつ、宗派は「聖観
音宗」。神仏習合的な信仰が今も生きて
います。

七福神は「毘沙門天」が祀られています


2.今戸神社



今戸神社は招き猫発祥の地として知られ
、本殿には大きな招き猫が安置されてい
ます。

新撰組の沖田総司終焉の地の碑が境内に
ありました。

「福禄寿」が祀られています。

3.橋場不動尊



今戸神社から隅田川沿いを北上し、白鬚
橋手前にあります。

1845年に建立された簡素で趣ある建
物で、「布袋尊」が祀られています。

4.石浜神社



橋場不動尊から5分で石浜神社です。

聖武天皇が724年、勅願により創建と
伝えられています。

境内には富士講の富士塚があります。

「寿老神」が祀られています。

5.浅草神社



浅草寺の草創に関わった3人を祭神とし
て祀る神社で、神仏分離以前は浅草寺と
一体でした。

通称三社権現、三社様。三社祭は5月に
行われる浅草神社の例大祭です。



御輿はかつて7基ありましたが、全て
戦災により消失。現在の御輿は3基で
氏子四十四ヶ町から奉納されたもので
す。

「恵比寿」が祀られています。

6.浅草寺



本堂脇にある影向堂(ようごうどう)に
「大黒天」が祀られています。

浅草寺は都内最古の寺といわれていま
す。本尊は聖観音菩薩。もとは天台宗、
戦後独立し、聖観音宗の総本山。

都内唯一の坂東三十三か所観音霊場の
札所(13番)です。

徳川家康以来将軍家に重んじられた
浅草寺は観音霊場として多くの参詣
者を集めてきました。


「浅草七福神」巡りは、実は9ヵ社寺を
巡ります。

吉原神社(弁財天)、鷲神社(寿老人)
、矢先稲荷神社(福禄寿)は今回廻り
きれませんでした。


白山信仰の寺、那谷寺

2018-01-08 11:00:16 | 古刹・名刹




 白山は石川、福井、岐阜にまたがって
聳える標高2702mの山で、富士山、
立山と並んで日本三霊山の一つです。

加賀には古くから白山信仰が根付き、自
然の神を崇めてきました。

 小松

 小松駅からバスに乗り40分余り。終
点で降りて15分程歩きました。

那谷寺(なたでら)は、717年泰澄が
開創したと伝えられています。

高野山真言宗別格本山です。



巨大で幽玄な岩が多く残る土地にお堂を
建立し、本尊十一面千手観世音菩薩を安
置したため、当初の名は「岩屋寺」と呼
ばれていました。

花山法皇が986年、西国三十三観音の
一番「那智」と三十三番「谷汲」の山号
から一字ずつ取り「那谷寺」へ改名しま
した。

南北朝の争いで多くを焼失しましたが、
寛永年間に加賀藩主・前田利常によって
復興され、現在も白山信仰自然智の森と
して祈りを捧げています。


  (鐘楼)

前田利常の建立。入母屋造の純粋な和
様建築で袴腰の上部まで石造となって
いるのは、全国でも例がないそうです。



  (大悲閣・本殿)

一向一揆の兵乱で荒廃しましたが、利常
により1642年再建。

中に本尊千手観世音菩薩を安置。


  (鎮守堂)

展望台上にある鎮守堂では、白山の神・
白山妙理大権現をお祀りしています。


  (奇岩遊仙境)

奇岩霊石に窟が開口する様は観音浄土
浮陀落山を思わせ、心の奥深くの<自
然智>を呼び起こす景観といわれてい
ます。


  (金堂華王殿)

南北朝の戦火で消失しましたが、19
90年(平成2年)に再建。
ここで全ての法会が行われます。

1689年(元禄2年)、芭蕉は曾良
と山中温泉で別れ、小松へ戻る道中参詣
し、奇岩霊石のそそりたつ遊仙境の岩肌
を臨み

「石山の 石より白し 秋の風」

と詠みました。境内には句碑があります


  (撮影は2017年12月です。)