「生きている世界の狭さは心の狭さに比例する」
black listを書き出して思うのだが、
いやはや
こんなブログを読んでくれる人もいるらしい?
という事実。
ネットでただ文句言ってるだけのブログだが見てる人いるんだー
と思うと草
世の中悪い奴ばかりじゃないが
自分が悪い奴だと気づかないお粗末な人間が数え切れないほど存在しているのも事実。
自分の世界が狭ければ狭いほど人を批判して自分を正当化する傾向が見てくる。
自身もそうだがwww
俺は世の中を批判するほど立派な人間ではない。
しかしながら思うのだ、
虐めの文化などの悪い文化を引きずる国で普通の人間が普通に暮らすことがどれほど大変な事なのか?
という事だ。
世の中普通に生きることは難しい。
普通に仕事して普通に人間関係築いて普通に結婚して普通に歳とって最後を迎えられる人間は、この世界広しと言えども数限りあると推測される。
世界中には飢えに苦しむ人間や、人間関係に苦しむ人間、仕事が無くて苦しむ人間も多く存在しているのだ。
それを簡単に否定する人間は、相手を思いやる気持ちのない人間であることは言うまでもない。
専業主婦、素晴らしい職業だと思う。
しかしその中には旦那を批判し友人を批判し国をも批判するような人間も少なくないだろう。
これはそいつの世界が狭いとしか言いようがない。
これは子供にも言えることで、
子供が生きている世界は学校や家、バイト先くらいで実際の社会経験が乏しく自分が有利だと思ってしまう人間が多い。
否定はしないが、残念な結果だ。
生活に恵まれ、普通の学校生活を送っている学生に親に恵まれず苦しみの中生きている人間を理解する事など到底できるはずもない。
恵まれた環境で育ち、当たり前に生活を送って来た人間は人の痛みを知らずに育ち
また子供を産み同じように育ててしまう事で痛みを知ることのない家族連鎖が作られていく。
目の前で人や動物が苦しんでいても
いつも自分の中の物差しで計って決めている人間は損をしない世の中だが、
物差しで計らずして助けてくれる人間はいつも損をする役回りを受け持つ。
人間が苦しんでいたら助けるが動物が苦しんでいても「もう家にペットいるから助けられない」
と決めつけ見て見ぬ振りをする人間が多い。
大抵そういう奴は助けたやつに向かって
「自分の生活もできないくせに!助けられた方の身にもなれ」
という。
身にもなれ?助けなかったら生きれないじゃん。
「身の丈にあった保護」
「身の丈にあった飼育」
人間は恵まれている。
生きているだけで誰かが助けてくれる確率はUPする。
じゃぁ動物はどうなんだ?
目の前で息耐えようとしている動物に手を差し伸べ、その人の最善を尽くす事の何が悪だというのか?
では、反論している奴らの全ての人間は
自分が山の中にたった1人残され、残すは死だという状況で人間が通りがかりに
「車に乗せるの無理」と言って冷たい視線を送られて置き去りにされ
さらには誰も呼んでもらえることない状況でも同じことが言えるのだろうか?
人間と動物は違うと思っている人も多いが
同じ生き物である事に何ら変わりはないのだ。
愚かな人間が多いという悲しさよ