
入山日 2014年4月27日(日) 単独 快晴 (七石山山頂から見た雲取山)
26日は会社なので、なな”のGW前半は27日から始まる。
休みの一発目は思い出の元ホーム山での歩きから、前回の2年前の秋は、初めてのよもぎ尾根と、二度目の水無尾根を歩いたので、今回は一番思いで深くて、なな”が登山初心者の頃、何度も歩いた思い出の鴨沢(奥多摩湖側)からの一般ルートで登る計画。下りはかつて、一度だけ歩いたことのある雲取山山頂から奥多摩駅までの石尾根を辿って下山するつもり。前回の石尾根歩きは15年以上前の冬、2日目の朝からの復路として歩いたもの。その頃、電車バス登山者だったなな”はそんなに早い時間には登山スタートできないので、雲取山は山荘やテントの宿泊が多かったのだ。今回、1日で雲取山に登って、石尾根縦走し奥多摩駅まで歩くと、コースタイム上12時間超。それと今回は石尾根上に点在する高丸山、日陰名栗峰、城山、六石山などはピークを踏むつもり。前回はこれらの山をうまく巻いている通常のコースに従って歩いたため踏んでいない。これらのピークを踏む場合のコースタイムは13時間近くなるのでは・・・。PC上の地形図で確認するとやはり長い。通常の山行でみる画面の2倍くらいあるボリュームで、歩き甲斐がありそう。最近特にロングは鍛えているのでまあまあ自身はあり。今回は懐かしの山域を味わうのと、ロング歩きをやりきれるか、途中エスケープするか。26日夜8時30分今市スタート、登山口に向かった。
(朝、5時の鴨沢集落。私の趣味としての登山の原風景でもある、20代後半のなな”はこの奥多摩の山里の雰囲気にも魅せられて足繁くここに通ったのだ。)
夜中の12時過ぎに鴨沢到着、小さな駐車場は既に満車なので、800M東京寄りの留浦のPにもどり、まだ空きのある駐車場に停車。GWで翌朝満車が絶対的に予測できる駐車場に1台分をまるまる占有しでっかいテントを張って深夜なのにだべっているじじいのグループがいて、うるさくて翌朝の歩きに支障がでそうなので、遠くに車を移動した。全く何十年生きてるんだか、あいつらが登山者でないのを祈る。
朝4時30分起床で4時間の睡眠、ロングドライブと4時間睡眠、ちょっと体力に不安が残る。3時間も寝ないで、大佐飛が歩けたのだからと気をまぎらわせる。
(取り付いて里にまだ近い地点に神社があった。これは、30代前半に見ているはずも記憶になし。)
course: 留浦 5:08 ・・・ 鴨沢 5:15 ・・・ 小袖登山道取り付き ・・・ 七石小屋 7:39 ・・・ 雲取山 9:31-9:50 ・・・ 七石山 11:02
途中、人家の跡が2,3軒ある。これが最後に現れる、建屋のあとはなく、畑や石垣跡がある。
最初はどうってことのない、山林の山腹を巻いて行くように進む。歩き出してすぐ一度追いついた単独男性がいて、以後なな”のちょっとした生理現象処理中に知らぬ間に先にいかれていた。二度目に追いついた後、また挨拶してその後、お話しながら歩く。東京中野のかたで、なな”は中野にわけあって詳しくそのあと、しばらくご一緒歩きをした。本当は、この日鳳凰三山に行こうと思っていたようで、移動が面倒くさくなってやめたといっていた。このコースは5度目とか行っていたかな、変なピークハンターよりそういう登山者は自分は好きだなー。年をお聞きすると3*歳ということだで、なな”がいくつに見えるか聞いたら42と言ってくれたので、山小屋の前あたりだったらビールをおごっていたことだろう。
七石尾根らしきものが前方に見えてくる。気になっている尾根なので、日を変えて歩いてみたい。
堂所という地点を順調に、通過し、ブナ坂(次の通過点)にへの一番の近道が桟橋が崩落して通行止めとの看板があるので、仕方なく七石小屋経由でブナ坂に向かう。最初ちょっと急登が続くも、あとは平穏ななだらかな巻き道が続く。おかげで、初めて(たぶん)七石小屋を見られた。小屋の看板には、”富士山の見える山小屋”などと洒落たことが書かれていた。
七石小屋には富士山の見える小屋とあった。以前この山を歩いていて、この小屋のスタッフのような人たち数人が薪をしょって歩いていたのとすれ違ったことを思い出した。
この地点になると富士山がくっきり、栃木の山からよりさすがにでっかく立派に見える。(写真掲載はもっと上部からのもので・・・)
ブナ坂に到着。そこまで、山中泊のかたは20人くらい降りてきた。こんな早朝に下山なんてちょっともったいないな。きっとこの朝は素晴らしい眺望を山頂で見られただろう。ブナ坂には多数のハイカーが集中した。
(ブナ坂からは、開放度が増す。主稜線、というか石尾根に合流)
飛竜山から丹波に向かう尾根と、その先に見える南アルプスらしき稜線が見えた。
奥多摩小屋まであと少しの地点。雲取山へ続く稜線が確認できる。真ん中に見えているピークがそれかな。このコース、主に積雪時期に歩いていたので、季節がちがって結構新鮮に感じる。それとだいぶ記憶がなくなっている地点もあった。
奥多摩小屋の前で大学生らしきグループの近くに座りちょっとゆっくり食事休憩、前回の大佐飛のエネルギー補給ミスだけ今回は気をつける。小屋を過ぎるとすぐ一度めの大登り。長くは続かないけれど、結構急に登っていく。
この山域は前回2012年に来た時も感じたけど、若者が多い。大学生風、20代、30代くらいのグループ、若い家族連れ、単独の若者、いろいろなタイプの登山者がいるけれど、若者が多いのは一昔前とずいぶん違うように感じた。
(奥多摩小屋を過ぎると、いいきなりの急登。若い時は巻き道をまきまきだった気がするけれど、昨今は真っ向勝負。今のほうが、体力がある気がする。)
ひととおり急登をこなすと、しばらくは穏やかな樹林尾根の歩きが続き癒される。
奥多摩小屋からは3段階の急登の波状攻撃がある。これは小雲取山直下の急斜面だったかな。なんとか順調に粘って登っていけた。
進路左の眺望は全く飽きさせることがない。大菩薩連峰と富士山。
左.国師、右.甲武士だと思われる山が遠くに見えてきた。ちょっと望遠で撮影。これらの山々、ここまで連なっている。金峰山から奥多摩駅まで、いつか歩きたい。
小雲取山から開放的な防火帯の尾根をなだらかに歩き続けて1年半ぶりの雲取山山頂に到達。さすがに人気山で、まだ結構時間が早いのに、10人超の登山者でにぎわっていた。
山頂に来たからには、この山を見なくては。昨年行けなかったなな”未踏の和名倉山。浅間は見えなかったと思う。
ここまでの稜線でずっと見えてきて、この日もう何度も撮影済みの富士山。山頂からがやはり一番全容がよく見える。左はガンガハラスリ山でしょうか。この日たっぷり楽しめた日本一の富士山。
実は、富士山より好きな飛竜山と手前、三岩。一度行っているけど、20年くらい前。また行ってみよう。
建造中、完成真近の状態を見ている避難小屋を軽く覗き、下山開始。相変わらず、きれいな小屋だったが、”この避難小屋を泊まる前提の計画は立てないように”との張り紙がされてあった。
この日は単日で石尾根を奥多摩駅まで行こうとの計画なので、山頂でそうそうゆっくりもしてられない。コースタイムは12時間で、日陰名栗峰、高丸山、城山あたりを巻いたコースタイムのようなので、実質13時間くらいと思えばいい。朝5時ちょっとにスタートしたので、多少がんばって歩けば、数字上は16時か17時くらいに達成できるのでは、と考えていた。ダメなら、奥多摩湖側にいくつかあるエスケープルートで逃避しよう。
眺望はここまで来る過程でも十分楽しんでいるので、一通り、写真を撮り、少ない食事を腹に収めてすぐ復路歩きを開始する。頂上直下で本日一番の馴染みになった中野区のかたが登ってこられた、「またどこかで・・・」とお別れする。
(雲取山頂直下からはこれから歩く予定の山が連なって見えた。右から、七石山、無名峰、日陰名栗峰、高丸山、鷹ノ巣山だと思う。違ってたらすいません。)
奥多摩小屋まであと少しの所で、先ほどから音が聞こえていたヘリが近づいてきた。小屋の上部付近で停止して荷を届けようとしているようだった。写真にとらえてみたら、偶然立派な富士山をバックにいい感じに撮れたので掲載。ヘリは何を落としていったかというと・・・
ヘルメットをかぶった小屋のスタッフの青年が荷を小屋に片付ける作業中だった。ビールがメイン、中のダンボールはレトルト食品だったみたい。この小屋は確か素泊まりだったので、夜、小屋泊やテントの人が買うのだろう。
コースタイムでは6時間代にさしかかるはずの七石山への登りは日差しをさえぎるものもなく暑く、さすがに多少足にくる。
このあとの行程も予想通り長かった為、記事も長くなりそうなので・・・、 粘って歩いて誰もいない七石山山頂に約20年ぶりに到達するところからPt.2 は始めようと思います。 ======> Pt.2
(七石山への鞍部からの登りは長くはないものの、急登がだらだらと続く。)
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