
2016年1月31日(日) 晴 (序盤戦、366P付近からこれから向かう北の稜線を観る。)
こんにちは。最近食生活が不摂生気味で、これだけ毎週山に出向いているのにベスト体重を2キロ以上超過気味のななころび”です。これから春にかけて多少絞っていきたいと思います。
1月も最終の31日は、単独歩きなので、ヤブ尾根に突っ込んでみましょう。
でも予定の尾根は、おそらくそんなにヤブはうるさくないはずです。野球親爺さん、ノラさんが相次いで歩かれた閑馬町の西の長い尾根です。末端に千躰庚申山っていうのがあって、それが南の末端です。北上すると441Pとか三角点490Pを経由して稜線歩きができます。この尾根には、自分は多少思い入れがあります。三角点490Pの北には399Pがあって、そこは始めてたそがれさん、ハイトスさんとお会いして歩いた石尊山、大久保山の稜線の南端だったのです。今日、予定通り歩き通せれば、閑馬町の尾根南末端から大久保山までつながることになるので、頑張りましょう。。
閑馬の町の中心地的な、とある場所に車を停めさせてもらってスタートします。静かな町中から畑の間の道を辿って、千躰庚申山の入口から入山です。入口には大きな庚申塔や石柱が建っていました。
コース: 駐車地 8:45 --- 千躰庚申山 9:02 --- 307・2m三角点 10:04 --- 浅利山 10:49 --- 小野久保山 12:29 --- 399P 13:06 --- 舗装道路出合 13:44 --- 金原バス停 14:00
足がかりの乏しい落ち葉だらけの急登をしていると、周囲の大きい石には庚申の文字が彫られているのが目に付いてきました。かなり大量な数の石で、信仰の深さがわかります。山頂は、石碑や石仏庚申塔などいくつも林立する林間の広場でした。
千躰庚申山は、山全体が神社といった趣です。山頂にあった石仏です。
千躰庚申山ピーク。
千躰庚申山からは踏跡を辿って北西に少し下ります。いったん下って細い舗道を横切ります。正面の斜面には最近急速に増えている太陽光発電所。それを右側に少しそれてから巻いて進んですぐに尾根型に乗りますが、そこは背丈以上のかやとのヤブでした。そのことは事前情報で知っていたことです。かやとの原の向こうにこれから向かうピークの頭が見えています。かやとのヤブは結構しつこくしばらくヤブをかき分けて進みます。
一番のくぼ地を歩くと明瞭な作業道の残骸のようなものに合流、それをしばらく追って右手にある尾根に取り付きました。尾根に乗る地点は、岩の多い傾斜地だったので、尾根上に乗るため木々や岩をつかんで体を持ち上げていく対応になります。尾根に乗ると樹林間の急な登りを少しだけしてピークにたどり着きました。三角点307.2Pです。
307.2pは明るい樹林間の中の尾根路の途上にあります。その辺から2,3日前に降った雪が出てき始めます。ここには、RKさんの名板がありました。
千躰庚申山/北から307.2P直下までは、ヤブっぽいというか、混沌としてごちゃごちゃした歩きでしたが、307.2Pからはきれいな尾根あるきができるようです。
(307.2Pから、これから向かう稜線方面)
307.2Pの次の顕著なピークは366Pで、そこを目指します。アップダウンもありますが、それほどきつくない緩やかさです。366P前の小ピークには祠がありました。
366P付近に行くと、進路前方に顕著なピークやその先にも明瞭な稜線が確認できました。これから行く441Pや490Pでしょう。(見出し写真 ↑)
366Pのピークは明るいピークでしたが、何もなし。しぼれさん、野球親爺さんの情報で東に城跡や石碑があるというので、南北稜線を外れて東のピークに寄り道します。いったん下って鞍部には峠のような道のような跡があります。そこから登り返すと、城あとのような地形がいくつか確認できました。(P ↓)
東のピーク340Pの一角には石碑が3,4並んでいます。左に一体とその右のは損壊していますが、かろうじて表情は残っています。
右にも・・・。
寄り道地の340P付近から稜線復帰して進む441Pと思われるピークが北に見えていました。
北東方面を見ると、私が昨年末にそれとは知らずに登りたった閑馬岩峰群方面の稜線も見えています。今度はその北側も歩いてみたいですね。
南北の主稜線上の366pに復帰して、また尾根を北上します。またいくつか小ピークを超えて2つ先のピークに到着です。(p ↓) ここで小腹がすいたので、軽く食事。樹林の中の地味なピークで東方面に尾根が降りていっていました。
振り返るとだいぶ歩いてきた稜線が、後方遠くに見えています。閑馬の里も小さく見えるようになってきて、高度感も出てきました。
441pピーク周辺に東側を向いた石祠がありました。この周辺からは稜線上にはうっすら積雪がずっと続くようになります。
441pからは、北に三角点490p周辺が見えています。490pはもっと奥の地点かもしれませんが、遠望する限り地形がはっきりとは見えません。
490m直下は植林の中のくらい森の中を進みます。積雪が結構ありますが、あるといっても15センチ程度です。頭上から雪融けの水滴がぽたぽた落ちてきて、少々まいりました。
森が少し明るくなった地点が三角点ピークでした。(p ↓)ここが小野久保山という山のようですが、名板はありません。
小野久保山からは西に赤城山も薄っすら見えていました。この日の眺望は、天気はよかったですが、くっきりというわけにはいきません。少々気温は暖かめだったようです。
小野久保山は南北に長い尾根で構成されています。三角点からは北に数分小ピークがふたつほどあって、最後のピークにたちます。ヤブですが、積雪が潤沢にあります。今日の最終目的地の399pはこの北、直線300mほどですので、もう少しです。ここから北へは、ストンと落ちています。降り始めこそ、平穏でしたが徐々に危険と感じる地点が増えます。急傾斜なのと、右も左も切れ落ちている感じなので、雪もあって気が抜けないのです。ゆっくり木々や岩をたよりに下って行きます。
前方にはかつて、一度だけ立ったことのある石尊山が結構な存在感を示しています。この雪の斜面と、急降下と前方の石尊山と、なぜかかなりの荒涼感を感じました。
急降下の最後は岩場になって、左に巻いてなんとか鞍部に無事到着します。
鞍部周辺からの石尊山。
鞍部から少し登って目的地399pに到達です。ここに3年くらい前来たことがあるのですが、景色はよく覚えていません。その時はこの稜線は南北につなぐことなど、考えてもいないので、399pを意識もしていなかったのでしょう。これで閑馬の尾根末端(南側)から大久保山までつながりましたが、単なる自己満足です。
(399p周辺)
野球親爺さんは399pから少し北の地点から破線路をたどろうとして下山されたようですが、なな”はいったん少し来た道を戻り鞍部から小尾根を使って東方面(金原集落)に下るつもりです。
鞍部に行くといかにもといった感じの作業道らしき踏み跡があったので、小尾根作戦をやめ、斜面を踏跡に沿って降りて行きました。(p ↓)
予想はしていましたが、踏跡はジグザグして、すぐわからなくなって、あとは一番窪地になった地点に向けて斜面を下って行きます。ヤブですが障害はないので、木を掴んで下って行きます。(p ↓)
予想していた通り、簡単に林道の残骸のような地点に下ってきました。そこから先は倒木が道をふさいでいます。2年前の大雪の影響でしょうか。しまった、この地域の林道は結構倒木地獄になっているのを忘れていました。まさか、尾出山の時のように続くのではないだろうな、とか思いながら、倒木を潜ったり、乗り越えたりしていきます。
林道を少し進んで、大きな倒木を乗り越える時、バランスを崩したのか、倒木に左手をついたら、枝の切れ端がナイフのように尖っていて、手のひらをさしてしまいました。とっさに手を引っ込めましたが、後のまつりです。流血になって、バンドエイドを持ち合わせていなくて、とっさに手袋をして、手を頭上にあげて止血の代わりにいて歩きました。ずきんずきんと、痛かったです。
と、ここで手のひらの写真をと思いましたが、小さく載せても気持ち悪いので、ボツ。8日経過した現在、穴がふさがりましたが、キズになってしまいそうです。
民家が出てきて、ようやく終わりと思ったら、柵があります。野球親爺さんが簡単に出られたとあった、柵でしょう。今日は硬そうなワイヤーでねじられて閉められていました。
手の自由があまり聞かないですが、左手をできるだけ使わないようにしてなんとか上下のワイヤーを外します。安心してください、出られますよ。(って、もう古いか?)
金原バス停まではさほど歩かず到着します。すれちがいが困難なほど舗道は細くて、たまに民家が出てくる程度で、それも廃屋のような家もあります。金原BSは、昨年暮れの金原山、三床山縦走の時の基点地なので、覚えています。
手のひらのキズがずきんずきんして、血もまだ止まっていなくて、手を頭に乗せたりしての歩きですっかり戦意喪失です。金原のバス停車にはさーのって号が走ってきます。ただ、午後の便はオンデマンド、予約を1時間以上前に誰かがしていないと走行しないそうです。なな”は14:00にバス停に着。次のバスは予定では14:19、に金原着。事務所に電話をしてみると誰も予約してないとのこと。じゃあ、だめだなと思っていると、乗りますか?と、たずねられます。なな”「来てくれるんですか?佐野市民じゃないですけど・・。」といったやり取りで結局、来てくれることに。19分前の電話で、時間通り来ててくれるなんて、なかなかナイスじゃないですか。ますます、さーのって号が好きになりました。
(金原バス停と後ろに石尊山。)
閑馬の町の中心地、総合センターバス停まで”さーのって号”に乗せてもらってXVまで戻ります。なな”が5時間かけて山中を北上した距離は、バスはたった7、8分で戻ってきてしまうのです。やはり歩かないといろいろなものは見えてこないな、という印象をもちました。
今日は、初っ端と最後の少しだけがヤブ、途中ルーファンはほとんど必要なし。でも、出会う人もない静かな山中を歩けて、尾根を繋げられました。この尾根は意識には入っていた尾根ですが、野球親爺さんとノラさんの記事に触発された為に、今日歩けました、ありがうございます。
XVに戻る頃は、血はようやく止まったようですが、キズは開いたまま。早く佐野のカワチにでも行って、消毒液とバンドエイドをか買って治療しなければ・・・。 ■■
(閑馬総合センターふきんから観る、千躰庚申山とその北の尾根)
やはり冬枯れの里山は風情がありいいものですね
帰りの足が問題になります。
最後の林道へ出る前が大変だったのですね。私が降りたほうは倒木地獄はなかったです。柵はありました。
お次はどこでしょう?
痛そうですね。U+1F61EU+1F61E
自分も時々やっちゃいます。
そんなときに限ってグローブをしていないのですよね。小野久保山の下りはややスリルありですか。
ちよっと面白そう。
さすがにこの辺りの山といった感じで,小野久保山の先も,中々,手ごわそうですネ。
ななころびさんと違って,自分は,沢口から488m経由で登っちゃったから,峠から石尊山まで登らないと,その先と繋がらないんですヨ。
それに,車道歩きも長くなりそうだし,さーのって号も運行してくれると良いケド。どうしようか,中々,悩ましいですヨ。
怪我は11日現在で、ようやく治ってきた感じですが、当てるとまだ痛いです。
ハンターは当日は姿も発砲音も無しでしたので、いなかったんだと思います。
帰りは、チャリという手もありますし、佐野の融通のきくバス利用もお薦めです。
あの辺の林道末端は、倒木地獄なのを忘れてました。尾根すじを狙うべきだったです。
野球親爺さんとノラさんには感謝です。次はちょっとこの山域を離れて、雪遊びです。
佐野の里山にも、とても行きたいですけどね。・・・
ああいう時の為に、できるだけ手袋は必要なのですね。帽子も同様です。なかなか、手袋は常用できませんよね。
小野久保山の下りは急です。雪がついていいなければ、普通の急な下りです。最後の大岩も普通に巻いて降れます。
今回歩いて、始めてハイトスさん達と歩かせてもらった石尊山、大久保山の思い出が蘇りました。
小野久保山の北斜面は急でした。石尊山の北も急ですよね。あと大久保山の南も急だったような・・・。あの辺の山はアップダウンが意外とあります。
峠から石尊山ピークも歩かないといけないのですか、。。
とすると、今度は西のほうのヤブ尾根から石尊山に登って南下するか、その逆方向ですかね。
さーのって号は頼めば必ず来てくれるようです。できるだけ頼む時間は早めのほうがよいようですが。
お怪我はいかがでしょうか?2週間近く経ちましたからもう大丈夫でしょうか?倒木などのちょっとした突起は予想外の怪我を引き起こしますね。私も何度も刺されそうになっています。
小野久保山からの下りは雪があるとかなり怖いですよね。凍っていたら尚更かと。
柵のワイヤーは両手が使えればそんなに手間がかからなかったと思います。
左手のほうは、ほぼ完治です。代わりに今日、高鳥屋山で側面転倒してふくらはぎに擦過傷と打ち身を作ってしまいました。ダメですねー。
小野久保山からの下りは、雪面だったのでちょっとびくびくして降りました。
今回も、歩きのヒントというか、まるまる写しをさせていただきありがとうございました。