みなさま、こんばんは。
先日TVで松島基地の現状が流れていましたね。ご覧になった方も多かったのではないかと思います。私もその一人です。基地の方の無念さ、涙、そしてこれからに向けての強い決意。。。私たちは一生忘れないと思います。
今回はJr.隊長さんからの強い願いがあっての記事となります。めまぐるしく過ぎていく日々。。。余震や寒さに耐えながら、自らも被災者である自衛官としての救助活動は本当に想像を絶するものだと思います。
そんな中で隊長さんからJr.の現状が届きました。この写真たちはJr.部室内の写真となります。
Jr.部室は航空機格納庫の裏にあります。とても頑丈な建物なんです。そんなJr.部室にも津波の濁流は容赦なく入ってしまいました。
1枚目の写真は部室内部から出口に向けての角度で撮ったものと思われます。Jr.の機体や部室内のグッズや写真などが泥や流木などに埋まってしまいました。
2枚目の写真は5番機です。その横の壁に残っている線から水位の変動が見てとれます。尾翼にもくっきりと跡が残っています。機体の翼上にもずっしりと泥がのっています。
3枚目の写真はJr.機体の内部、座席の部分です。座席の中にも泥が。。。確かこのJr.機体たちにはお守りのようなものが張られていたと思います。そのお守りがあったおかげでかろうじて形は残ったのかなと思っています。
この座席にはJr.のパイロットさんがのって自由自在にJr.の機体を操縦していたんですよね。。。
4枚目の写真は内部全体を映したものと思われます。津波により全機体がへし合い押し合いしたのでしょう、1番機の下部にはほかの機体の部品のようなものが見られます。
これらの機体は皆さんもご存じの通り、部品一つ一つがJr.隊員さんたちの手作りによるものです。
そんなJr.がこのような状態になってしまいました。。。この状態を目の当たりにした隊員さんたちの気持ちを考えると言葉が見つかりません。
今回、Jr.隊長さんがこの写真を載せてほしいとおっしゃったのにはわけがあります。
それは津波の恐ろしさを知ってほしいということです。今回のこの震災の恐ろしいところは数多くありますが、史上最大のM9.0という揺れだけでなく誰もが予想もしていなかったこのような巨大な津波であると思います。
松島基地の格納庫裏手にあるここでさえも、そしてしっかり扉が閉められ頑丈な建物の中にあったにもかかわらずこのような状態になってしまいました。津波の威力は計り知れないものなのです。それをみなさんに知ってほしいという願いがありました。
そのような中、今でも隊員さんたちは余震や余震による津波の恐怖にも耐えながら必死に救助活動に当たっています。
そんな自衛隊のみなさんを、そしてJr.の隊員を私たちはこれからも応援していきます!!!
みなさんのご支援ご協力よろしくお願いします!!!
よさぶろう
jrの被災の姿を目の当たりにすると,言葉を失います。
幸いにして我が住む大和町は,人的被害がなく,身内も矢本や石巻に住まいするも,住宅がなくなったり,冠水したものの,偶然が重なり奇跡的に難を逃れました。
私事ながら,災害対策本部にて被災者対策と復旧作業の毎日です。今夜も庁舎に泊まり込みです。
うちの庁舎は,一年前に完成し昨年の5月に引っ越しをした物ですが,その新築の鉄筋コンクリートの2階でさえも液晶のモニタやプリンタが落下し,あちらこちらにクラックが入りました。立っていることさえできない揺れでした。旧庁舎ならば間違いなく犠牲者が出たと語り合っています。
内陸部ゆえ津波の被害はありませんでしたが,かつての宮城沖地震を知る私でも,足がすくむような,すさまじい揺れでした。
jrの隊長様がおっしゃられるように,地震や津波の怖さを是非知っていただき,できる対策を講じられることを皆さんにお願いします。
家具の転倒防止,ガラスの飛散防止の処理をしておけば,揺れによる人的被害はかなり防げます。
海沿いで大きな揺れに遭遇したら,1分でも1秒でも早く,高台に避難してください。
貴重品の持ち出しや非常食が必要になるのは,命が残った人だけです。まずは助かるのが一番です。これは自分の力によらねばなりません。また周囲の方々と力を合わせてください。公の力も地震や津波の発生直後には,広報でお知らせするくらいしかできないのが現実です。
いまうちの町には,四国と北海道から2500名もの自衛隊員の皆さんが寒さの中,テントで寝起きしながら滞在され,沿岸部の被災地の救援の任にあたっておられます。本当にありがとうございます。
松島基地の皆さんも,同様にがんばっておられます。微力ではありますが私も我が町の復興のためにがんばって参ります。
真っ青な空の下,jrにまほろばエリアを飛んでもらう日を信じています。
がんばろう,日本!がんばろう,宮城!
長文,お許しください。
この日、ウチのガキ1号が先輩を訪ねて仙台の地を訪れていました。
勤務先の防災センターでモニターに映し出される凄まじい津波の中継画像に居合わせた人全員が悲鳴を上げました。
基地の被害も甚大だと聞いています。
そんな中でも津波の恐ろしさを伝えたいとおっしゃるJr.隊長に改めて敬意を表します。
私は後方支援職種のためかまだ招集命令は出ていませんが出れば1番に手を上げるつもりで準備しています。
がんばろう、日本!
初めてJr.の画像を見ました。津波は改めて怖いなと思いましたね。 バイクの損傷が予想以上でびっくりです。
これからもよさぶろうサン達と一緒にJr.の応援をしたいです。 一日も早い復旧を願います。 頑張りましょう!!!!!
初コメ質問いたします。
私とブルーは40年近く共にしております。
私は秋田に住んでいながら松島基地へは行った事が無く、昔小さい頃に父に連れられ三沢基地航空祭にばかり行ってました。
今では嫁や子供達もブルーやjrのファンになり今年は松島基地と三沢航空祭の連ちゃんで行こう!
と、話してたばかりでした。
今は復興と災害にあわれた方の暮らしの確立が優先でしょうが是非とも復興してもらいたいです。
うちの子供達はブルーを知ってからは将来パイロットになって観覧してる方の笑顔を見たい!と。。。
私達夫婦の夢・・・
それは子供達二人でブルーのパイロットになり日本全国で笑顔の華を咲かせてもらいたい!と・・・
過酷な状況、続く余震。。。その後いかがでしょうか?T.ICHIさんも被災されたのに町民のために頑張っておられるんですよね。でも決して無理だけはしないでくださいね。
私は白木蓮が好きなのですが、この花はつぼみが必ず北を向くことからコンパス・フラワーとも呼ばれています。大和町にも多くの自衛隊員の方々が支援に当たっているように、日本中の心が被災者の救助と復興に向かっいるのではないでしょうか?
自分にできることは何か?みんな一人ひとりがそれを意識し前へ前へと進んでいけるといいですね。
ともに頑張りましょう!!!
あの震災後、この画像を託され本当に迷いましたが、Jr.隊長の意思が強く伝わってきたので上げさせていただきました。
あの後も余震がつづき本当に過酷な日々を送っておられるようです。。。
またいつか、Jr.がみなさんに笑顔を届けてくれる日がきますように。。。願ってやみません。
おっさんさんの後方支援職種ですから大変だと思いますが、頑張ってくださいね!!!
この画像を見ると。。。津波の威力がどれほどのものだったのかと思い知らされます。
けれど、きっとまたJr.は青空のもと飛行展示をする日が来るのだと信じています。
これからも応援よろしくお願いいたします。
バイクの損傷は本当に津波の恐ろしさを伝えてくれますね。だからこそ、Jr.隊長さんはみんなに伝えたかったんじゃないかなと思います。
また一緒に応援できる日が来るのを心から楽しみにしているね!!!
そして、ゆかちゃんのまわりも1日も早く復興しますように。。。