某の日々是好日

本来無一物。身一つあれば何とでもなる

本能寺址

2019年03月23日 22時13分00秒 | 史跡めぐり


本能寺址。
   
言わずと知れた本能寺の変の舞台。
      
光秀の「首」と「胴」を追った最終地点は、光秀「三日天下」の始まりの地へ振り出し・・・。
小栗栖で討たれた明智光秀の「首」と「胴」は本能寺に運ばれ、晒された(「天正十年夏記」)。
  
その後、光秀の遺骸は、織田信孝の命により「首」と「胴」が縫合され、六条河原で斎藤利三と共に磔にされたという。


  

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明智光秀首塚

2019年03月23日 21時51分10秒 | 史跡めぐり


明智光秀首塚。
   
「胴」の次は「首」を追って、更に北上。
京都市営地下鉄東西線「東山駅」から徒歩3分。
    


市内を流れる白川の左岸を進むと「餅寅(饅頭屋)」横に
「東梅宮明智光秀墳」と彫られた石柱が建っている。
その路地を10mほど進むと一角に「明智光秀首塚」がある。
 




天正10年(1582年)、本能寺にいた主君の織田信長を急襲した明智光秀は、すぐ後の山崎(天王山)の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗れ、近江の坂本城へ逃れる途中、小栗栖の竹藪で農民に襲われて自刃、最後を遂げたと言われる。
家来が、光秀の首を落とし、知恩院の近くまできたが、夜が明けたため、この地に首を埋めたと伝えられている(案内板より)。
   




現在は五重石塔が明智光秀首塚として知られる。
この石標は五輪塔のかたわらに建てられ明智光秀首塚の所在を示すものである。
尚、本来の所在地と現在地への移転の経緯については「華頂要略」巻57の記述がもっとも詳しい。
→明智光秀首塚
在西小物坐町人家ノ後ニアリ光秀於山科郷落命之後首屍ヲ捕テ梟シ所ナリ云々○天正十五年之御記云六月廿一日明智日向守頸其外数千ノ頸トモヲ当所ノ東ニ埋テ塚ヲ築奉行村井清三・・(未詳空白ヲ示ス)次右衛門云々○今十露盤師平兵衛酒造嘉兵衛両人之家ノ間ニアリ此所除地ニテ古券外ノ地面云々谷川ノ南岸ノ上ニアリ○私云近年梅宮町ニ住セル能ノ笛吹明田理右衛門ト云ル人光秀カ子孫ナル由申触レ彼首塚ニ有シ石塔婆ヲ我私宅ニ移シテケリ明田某ハ死シテ今尚梅宮町梅宮ノ旧地ノ西辺ニアリ渡辺山城是ヲ守ル




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明智光秀之塚

2019年03月23日 19時59分50秒 | 史跡めぐり


明智光秀之塚(胴塚)。
    
光秀が最期を迎えたという小栗栖から北東へ1.5kmの場所にある明智光秀胴塚。
   
天正10年6月2日、明智光秀は、本能寺で織田信長を討ち取った(本能寺の変)。その後、中国地方から引き返してきた羽柴秀吉らと13日に山崎で戦ったが敗れた。
光秀は近江坂本に戻ろうとしたが、小栗栖で土民から襲撃され、明智藪で自刃したという。
その際、首は介錯をした溝尾庄兵衛尉によって隠されたというが、持ち去られたとも伝えられ、首を埋葬した塚が東山区三条通白川橋下るに所在している。一方、胴はここに埋められたと伝わる。


「胴塚」は小栗栖に昔から存在していた。
長い年月の末に石碑は失われたが、昭和39年に石塔が建てられた。
その後、周囲の開発に伴い「胴塚」は現在地に移され、現在の石碑に改められた。


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明智藪

2019年03月23日 19時39分20秒 | 史跡めぐり


小栗栖。
明智光秀、終焉地。




        
近江坂本城主、明智光秀は(1582年)天正十年六月二日早朝、中国地方へ出陣のため、上洛していた織田信長を本能寺に襲撃して自刃させた(本能寺の変)。
その後、光秀は六月十二日山崎の合戦で秀吉軍に敗れ、近臣十数名とともに暗夜に乗じて坂本城をめざしたが、途中小栗栖の附近にさしかかったところを信長の近臣小栗栖館の武士集団飯田一党の襲撃によりあえない最后を遂げたといわれている。
この明智藪は、今日に到るまで戦国武将明智光秀の終焉の地として傳えられており、現在は西側にある本経寺(日蓮本宗)の寺領となっている(案内板より)。 
   


  

しかし、光秀最期の地とされる小栗栖を、伝承ではなく史料で確認できるのは甫庵「太閤記(1626年)」、「豊鑑(1631年)」、「池田氏家譜集成」「別本黒田家譜」「明智軍記(1688年~1702年頃)」といった後世の二次的な編纂物ばかりである。
  
同時代の一次史料で確認すると、
➀「醍醐の辺」 兼見卿記 6月15日条
②「勧修寺在所」 晴豊公記・日々記 6月15日条
➂「醍醐辺」 言経卿記 6月15日条
④「山階」 多聞院日記 6月17日条
➄「上ノ醍醐」 蓮成院記録 6月14日条
⑥「山科藪中」 高木文書 6月19日付
以上から、山崎合戦直後には、光秀は醍醐もしくは山科あたりで最期を遂げたと認識されていた。いずれも小栗栖と近接するが、一次史料に拠る限り、その最期の地は定かではない。
<参考文献>
桐野作人『真説 本能寺』、学研M文庫 2001年、238頁-239頁




明智光秀を主人公にした2020年大河ドラマ「麒麟がくる」に備えてか、明智藪周辺は、ショベルカーが大活躍・・・。竹林が伐採され、土が剥き出しという惨状。
あまり観光地化して欲しくないのだけれど。。。




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米川英之/新宿ReNY公演(2019年3月3日)

2019年03月03日 22時45分00秒 | LIVE



3月3日(日)、米川英之さん 「35th Anniversary & BIRTHDAY TOUR」
新宿ReNY公演に行って来ました。




【本日のセットリスト】
-Set1-
01.1.Potato Shuffle
02.Aim at the Moon
03.ALRIGHT!!!!
04.CALLIN'
05.There is Light
06.Paradox~迷路~
07.Voyager
08.夜明け前~Before Down~
09.Starting Over
10.月に光る涙
11.ハートブレイク・カラー~風のラリー~マニュアル・ワールド
12.Maverick
13.Circle Game
14.Oue Song
15.祈り
16.Getteing Better
17.DEAR MY BLUE
-ENCORE-
18.月に叫ぶ
19.Bad Loser
20.墜ちた天使の夜
21.Potato Shuffle
22.奇跡

全22曲、2時間30分の公演でした。



35周年!
そのうち33年くらい追いかけてきた私ですが、いつ見ても、いつ聴いてもドキドキという乙女のような心境。
これからも、多分、ずっと。

ライヴは、というと新旧織り交ぜたセットリスト。
もちろん、あれが聴きたかった、これも聴きたかったはありますが、それは今後のお楽しみ。

はるばる東京まで赴いた甲斐がありました。










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