ねるとんでは、今迄にない、全く新しい多重ロケ方式が採り入れられた。
常に、4台のカメラとVTRが対になっており、同時にスタートさせ、テープが終わるまで、一切ストップをさせない。
4台のカメラVTRが回っている状態で、映画で使われていたガチィンコを撮りスタートマークにする。
4台のカメラは、自由に動き回り、あらゆる角度から収録。例えばグラスを落として割るシーンなど、手元と落ちる床面を撮るカメラを決め撮影。
編集時に、スタートマークを揃え、同時にスタート、4分割画面に、それぞれの画をはめ込んで編集ポイントをチェックする。
早い話が、4画面を見て、タッチをしていけば、面白い表情が、リアルに編集出来るというシステムだ。
もちろん、素人相手なので、従来のストップ、スタートを繰り返していたのでは、とても表情が硬く画像にならない。
まかり間違い、演技をつければ、完璧なやらせになってしまう。
勿論、常に当時では、最高倍率の望遠レンズ、高感度のカメラを用意、かなり離れた距離から、カップルをねらう。
カップルは、近くに人もいなければ、カメラの影もないので、普通の恋人が恋を語るように語る。
皆さんが、テレビを見、その状況は知っているだろう。
編集も、例えば、プロポーズシーンで、別の男が、まった!
誰が見たとしても、生放送、あるいは、それ以上の内容だったのだ。
ロケを採り入れた番組を作りたい、誰もが考えうる発想だが、具体化するには何らかの着想が不可欠だ。
当時のロケ、一番の難点はバッテリー問題だった。ひかるもカーバッテリー等、あらゆるバッテリーを考え、実験したが、やはり無理だった。
試行錯誤、明けても暮れても実験中、小型弁当箱大、きゃしゃに見えるが、ビニール樹脂でコーティングされた物が目に止まった。
テストをすると十分行ける代物だ。ひかるは、これで放送業界を一変させられる、と小躍りした。
BP90という型名で、早速チャージャーを分解、誰もが驚く75連のフローティング式チャージャーを部下を動因し、一月もたたない内に完成させたのである。
メーカーが四個チャージ出来る4連式を得意になって売り込みに来たが、75連を見せると、腰を抜かさんばかりに驚いた。
こんな事をする人など、想像も出来なかったであろう。
タケシの番組で威力を発揮したが、さらに多重ロケという「ねるとん紅鯨団」、当時では考えられない番組手法で、このフローティングシステムが成否を分けたと言える。
ひかるはタケシの番組でロケの真髄を得とくした、Mカメラマンを起用し、本格的なロケ時代の幕開けを確実な形にしていったのである。
現在、秘境番組、NHKの家族に乾杯などオールロケ花盛りだが、40年以上も前にそれ以上の番組が作られていたのだ。
恐るべきは、このBP90なるバッテリイー、あらゆるロケの電源として使われ、なおかつ40年を経た今でも活躍中。
ひかるの着想、電光石火の決断がロケの電源を統一、安定させたのだ。
このバッテリーは照明やVTR,音響機材など全てのロケ機材の電源に使われ、各メーカーが統一電源で機材開発、設計が出来、日本の映像業界が世界の先駆者に成ったのは言うまでもない。
いち早く電源を統一、投資リスクを軽減できた業界は五十年以上もアメリカの放送NTSC方式から脱却。デジタルのスカイツリー時代を築いて行ったのである。
世界の放送方式はアメリカ、ヨーロッパ、共産圏、日本の4方式で放送されている。
20代後半、沖縄が本土復帰をする。
ひかるは大事にしていたパスポートを焼き捨てた。
ひかるの中で何かが吹っ切れたようだ。
そしてちょうどその頃、社内には、一大異変が起きていた。
第一期入社の同期の連中は、管理職として各部門を統括していたが、よりによってその連中が束になって、会社を辞め別会社を設立し、従来の仕事をそっくり持って独立していったのだ。
組合が出来労使問題でガタガタしているとはいえ、発注先であるフジテレビ゙が、設立されたばかりの、資本の入っていない独立会社へ翌日から仕事を廻す。明らかに契約違反であり、フジテレビは、ひかるの所属する子会社を潰しにかかった、と解釈されても仕方のない事情であった。
取り巻く周りからもかなり注目されている中、唯一残った第一期生、ひかるは社のど真ん中へ担ぎ出されてしまったのである。
しかし、ひかるは苦境に立たされれば立たされる程、頭を使う。
次から次と、誰もがあっと驚く奇抜な策を行使、放送業界全体をも覆すリーダーシップを発揮して行くのである。
四度にわたり、管理職が有能な社員を引き連れ独立、残された社員が殆んど組合員、会社の存亡すら危惧され混乱。
当然、沈静化する迄待とう、何んとか無難に切り抜けよう、と守りに徹するのが普通である。
しかし、ひかるは全く逆の発想だ。
こういう時だからこそ打って出る、しゃにむに攻撃態勢を取り、社内の目を組合騒動からそらせ、一丸にする。
攻撃目標も、生半可でないどでかい目標を掲げる、という発想だ。
当時のテレビはドラマやクイズ花盛りで、スタジオ、局内中心で作られている。
ロケを大量に取り入れ、山や川、家の中まで入り込み、外部の映像を茶の間へ届けよう、番組作りの土俵を強引に外へ出す。
技術プロダクションとしてテレビ局と番組の内容で勝負しようとの考えである。
ひかるが手始めにトライしたのが、タケシのデビュー番組「天才タケシの元気が出るテレビ」だった。
兵頭ユキや高田順次の映像は、お茶の間に大いに受けた。
そして、業界を、あっと驚かせたリアルな表現、しかも素人を相手にした、オールロケの集団お見合い番組「ねるとん紅鯨団」だった。
勿論この番組はとんねるずのデビュー番組だ。
この二つの番組でスタジオ中心から強引に外の映像を茶の間へ届ける。
並行して海外ロケ機材開発、海外の電源事情や電波問題などデータを確立。
30年後ノーベル賞に輝くリチュームバッテリーの初期商品BP-90を開発。
その後、日本は世界に類を見ない映像、テレビ王国へと突き進んでいったのである。
次回、裏話など・・・ご期待を。
東通は、TBSから社長が送り込まれ、経営陣もTBS色が強かった。
第一事業所がTBS内に置かれ、第二事業所が、フジテレビ内に置かれた。
頭が良く入社試験の成績の良い人がTBS内第一事業所に配属されたと言れたが、たぶん事実であろう。
TBSはドラマ制作に力を入れ、ドラマのTBSというイメージで、フジテレビは、ピンポンパンなど子供番組がヒット、母と子のフジテレビというイメージで、両局とも快調に業績を伸ばしていった。
昭和40年、白黒からカラー放送へ転換していく中、NHKは視聴料はなし完全国家予算で運営されており、開局の早かった4チャンネルの日本テレビは巨人戦と力道山のプロレス超二大スポーツ番組の放送権利を保持。
横綱級で次に開局したTBSはドラマに挑戦で大関級。次に開局した8チャンネルのフジテレビはやっと幕の内かな?
親会社毎日新聞のTBSと産経新聞のフジテレビは手を結びカメラマンや音響証明VTRスタッフを有する東通を設立、将来はカメラ機材やVTRスタジオなど共有し巨大メディヤ企業化、日本テレビやNHKの番組まで作る想定だ。
しかしお互いがライバル局として見るようになり、第二事業所は、後に100%フジテレビ子会社化していくのである。
バブル時、東通の経営陣が、巨額の資金をゴルフ場開発に注ぎ込み、バブル崩壊と同時にあっけなく倒産した。
新聞紙上を賑わせ、昨日まで社長と崇めた社長を、今度は社員が放送カメラを持って犯人扱いで追い回すという、考えられない事が起きたのだ。
第一事業所配属、同期の連中は、設立当時から心血を注ぎ、大きくした会社が訳の分からない倒産をし、どれ程つらい思いをしたのか、胸が痛む思いである。
勿論、会社更生法が適用されているとの事だ。
ひかるは、ここでも頭がよくなくて、第二事業所へ回され、幸運だったと胸をなでおろした。
カラー放送も軌道に乗り、毎年新入社員が大量に採用され、社内は活況を呈していく。
しかしひかるは、冷暖房完備、皆んなが好むスタジオの仕事より、外の中継の仕事を自ら好み、王、長嶋選手の活躍していた当時の野球中継、ファイティング原田のボクシング中継、コント55号の萩本欽一とは、関東近辺の公開場をドサ回りをしていた。
たっぷり汗をかき、焼き鳥屋で仲間と酒を飲むのが一番の楽しみだ。
年々増える社員に、同期の仲間達は、主任、課長、部長へと次々に出世していくが、ひかるには全く蚊帳の外だった。
窓際族というよりは、むしろ窓外族だ。
課会や部会、全体会議があっても外回りのため全く出席しない、出社しても機材室へ直行、機材をまとめそのまま中継で、帰って来るのが夜遅いから、管理職や上司と顔を合わせる場がないのだ。
しかし、上司の批判を焼き鳥屋で聞きながら、自分ならあのような管理職にはなりたくない、管理職はこうあるべし、という脳内トレーニングはしっかりと出来ていたのだ。
野球放送は、巨人戦を中心に編成されている事は言うまでもない。
野球ファンの5割は巨人ファンと言われ、アンチ巨人が2割いるとすれば、7割が巨人戦、観戦という事になる。
同時間帯に、巨人戦以外のカードを放送しても、なかなか視聴率が取れないのである。
巨人戦は、資本関係にある、日本テレビが過半数の放送権を持っている。
年間、140試合とすると、70試合は、日本テレビが放送する。
残りの70試合が、五つの球団、14試合ずつ分割されるという事だ。
横浜は、TBSと資本関係にあり、横浜対巨人戦14試合は、必然的に放送する。
フジテレビは、ヤクルトとの資本関係で、ヤクルト巨人戦14試合を、必然的に放送する。
それ以外に中日、阪神、広島もそれぞれ14試合ずつ権利がある。
例えばフジテレビだと、ネット系列の関西テレビが、阪神や広島などと交渉し、放送権を獲得する。
それを、関西テレビ発、フジテレビ系列で全国放送するという訳だ。
勿論、名古屋にもネット系列の局があるので、そこ経由で放送するという事。
TBSと、フジテレビ系列で、年間、だいたい55本くらい、半々で放送する。
残りの15試合をテレビ朝日やNHK、はたまた日本テレビの系列局で争奪戦するという形になる。
だから日本テレビは、70試合以上の放送枠を確保し、巨人が低迷すると大変だ。
現在はインターネットが普及し各球団とも試合開始から終了までネット配信。
巨人戦中心が緩和されているようである。