ふっくふく。

ねことねことババア

猫が増え、人が減る/私は虐待サバイバー

2023-03-08 04:56:34 | 記事

2022年の7月に庭に登場した白黒のおなごがいます

この当時、たぶん生後2ヶ月ほど

親離れしたあとはTNRきょうだいの“おちょぼ”とべったり仲良しで、“しろしま”とは適度な距離を保って暮らしていました

仲良し
とにかく仲良し

こちらの画像は今年の1月ごろ撮影
見てわかる通り白黒のおなごはとても体が小さく、TNRを躊躇っているうちに約生後9ヶ月になっていました

繁殖期に入る前にやらなきゃなぁと思っていた矢先、朝起きたらなぜか彼女がソファで寝ていました
リアルに「はへ?」って声がでた

前日の夜、さくらのトイレ出しをしてた隙に入ってしまったんだと思います
暴れた形跡はあれど粗相はなく、諦めて寝たんでしょうね
すやっすや熟睡してたので、静かにケージを組み立てて、ヒョイっと捕まえました
彼女は決して人馴れはしてないとはいえしろしまに親愛の頭突きをされてふっとぶ天然女子
何が起きたのか理解する前にケージに入れられ、数秒の間をおいてからやっと自分の境遇に気づいたようでした
「だせー、だぁぁぁせぇぇぇ」の声の大きいこと

TNRの予定でいたのですが、病院へ行く予定になっていた日の早朝に父の入院先から電話が入ってそれどころではなくなり、葬式の準備だなんだで時間がすぎる中……
4日目で順調に人馴れ

もうTNRは不可能と判断
明らかに小さいのは理解してたけど、体重は2キロ
それでも発情してました(避妊をお願いしてる先生は発情してても手術ができる)
避妊後体力が戻ってからドロンシットをし、壺形吸虫とマンソン裂頭条虫を駆除(再検査はまだ)
ぱんぱんにかたくなってたお腹が落ち着き、少し太りました
でも2キロ
どんだけ虫おったんやほんと


今ではすっかり飼い猫化しています


先に少し書きましたが、さくらの飼い主である父が他界しました
さくらもわかってるとは思うんだけれど、特に落ち込むこともなく、たくさん歩き、しっかり食べて過ごしています
わたしも、父が生きている時より元気です

理由はタイトル通り
母の最期の言葉「あの人と結婚して、わたしの人生はほんと惨めだった。なんて惨めな人生だったんだろう。ごめんね、ごめんね」を思い出してますけども、とても元気です

アタシさくら、77歳

2022-09-25 23:06:10 | 記事
福太がいなくなった2010年6月27日
その約1ヶ月前の5月20日に実家で飼い始めた犬が「さくら」です
近所にあったコンビニで里親募集の貼り紙を見つけ、「見学だけ、見るだけ行こう」とソワソワだけど人見知りの父に付き合わされお宅へお邪魔し、その日のうちに抱っこで連れ帰りました
我が家の「見ちゃうとダメ伝説」のひとつです
以前飼っていた黒猫のチロの名前をつけようとしていた父を止めるため、花の名前がよいとさくらを推した記憶があります
3月6日生まれなので時期は違うけれど、胸の白い模様が桜の花びらのような形に見えなくもない

そのさくらも、12歳と半年
視覚ハウンド系の体格で細身ではあるものの15キロ前後あるので、人間に換算すると74歳から78歳
半年分を加算すると父の年齢をこえる、どこへ出しても恥ずかしくない立派なハイシニアです

福太がいなくなったあとなんやかんやあって私が実家へ出戻るまで、さくらは父と1対1で暮らしていました
当然、ジジイラブです
そのジジイも昨年より闘病生活
現在も8月の後半から入院しており、やっと退院の目処が立ったところです
しかし、さくらが十分満足できるお散歩はもうできません
今の悩みは、さくらの繊細で控えめな性格とジジイラブなところと、ジジイがいい加減であったこと
まだ動ける父に基本的なお世話を父に任せきりにしていたところ、ハンストを起こしていることに気づくのが遅くなりました
春の換毛がうまくいかず初夏ごろまで冬毛が残り、皮膚炎になり、触ると背骨や肋がゴツゴツ
筋肉も落ち、一時はつまづく転ぶでまともに歩けず、病院通い
ハンストはウエットフードを混ぜることと食べ終えるまで付き合うことで解決しました
(トビキジさんはTNRした“お外組”)
体重も戻り、今では走れるまで回復
運動不足のデブな私を引きずる勢いで走ることもあります
それでも
5分でもういいと帰ることもあれば、颯爽と歩いてたと思えば途中で歩けなくなり、抱えて帰ることもあります
中型犬の平均寿命は15歳程度
あとたった2年と半年でその年齢に到達するわけですが、それまでラブなジジイと過ごせる保証はありません
そのあと
さくらが遺されたあと
ジジイラブで繊細で控えめなさくらとどう付き合っていけばいいのか
今のところわたしにはわからずにいます


増えた

2020-03-07 05:25:05 | 記事

福太と別れてもうすぐ10年になります

当時アラサーだったわたしもアラフォー

福太がいた頃は痩せてたんですけど、今じゃ小太りなおばさんになりました

骨太で出るとこ出てて肩幅広いっていう身体的特徴もあって「福太の大きさが伝わらないなあ」なんて思ってたのも懐かしいくらい、小太りなおばさんになりました

って改めて肩乗り福太の画像見たけど、大きさわかるわ、でけーわ福太

 

福太が他界して数年は、譲渡会へ行っては情緒不安定になり、完全に自信を亡くしてたんだろうなと思います

しかし友人が保護猫を飼い始めたり、地域猫と接したり、TNR活動に関わったりと、徐々に猫と接し始めました

 

その頃に出会ったのが大福です


保護してからも気づけば1年半経ちました

 

 

そして増えた

 

れりです

庭に来た野良猫

FIV陽性

三白眼の瞳にやられたババアは保護するつもりで餌付け

昨年9月、出会って10日後に保護

台風19号の直前のことです

「れでぃー」「れでぃ」と呼んでたので、れり

 

近所に餌やりがいて野良猫が多く、そん人は避妊去勢反対派

ものすごい剣幕で反論されたけど、思うところ山ほどあって少しずつTNRしました

 

 

今日の記事は「新年度あたりから新しいブログをはじめよっかな」という宣言

猫のことだけでなく、雑多な内容になると思う

アフィも貼ります

清浄と餌やりの継続にお金かかるので、ほんの少しでもポイント稼ごうという魂胆です

でもあんま集客は考えてないかも

そういうセルフプロデュースやマーケティングが下手だし、無理したくないし

 

でも、よろしくお願いいたします

 



おかあちゃん、大福を飼う

2018-08-28 04:43:28 | 記事
ご無沙汰しております、ぶーこです。
突然ですが本題入ります。



彼らとの出会いは、夏の道端でした。

ベタ甘になりそうな茶トラ男子(茶色氏)
人馴れしそうな予感のする白黒の男子(白黒のダンシ)。
人馴れしなさそうなもう1匹の白黒は全く近寄れず、しかし体の大きさや毛並み、顔の感じからメスだろうと「ぢょし」と呼んでいました。
情報源や詳細は書けませんが彼らは母猫とともに遺棄された兄弟。
逆算すると、出会った頃は生後8から9ヶ月くらい。確かにまだ顔に幼さがあり、白黒のダンシと茶色氏のにゃんたまも控えめでした。
彼らには餌やりさんがたくさんいました。そのためか次第に人馴れし、茶色氏は通りかかる人にお腹を見せ、白黒の男子は足元をなんと福太と同じ声で鳴きながらまとわりつくようになりました。
その様子を、白黒のぢょしは遠巻きに見ていました。

時は流れ冬。
この頃になると「白黒の男子だけでも保護しよう、他の子らはTNRか、可能なら里親募集を」と考えるようになっていました。抱き上げても喉を鳴らすその人馴れ加減に不安を感じるようになったからです。
年末年始は忙しく、しばらく散歩を中断。
正月休みが終わり散歩を再開してみれば、案の定というべきか、3匹はいなくなっていました。
幸せになってりゃいいけれど、大きな猫はなあ……と散歩は続けていました。

白黒のダンシは、人為的に縄張りの外に出され行方不明。未だ再会していません。
茶色氏は事故死。遺体を見かけ、市役所に連絡しました。
明らかに行動範囲が狭かった白黒のぢょしだけ安否不明。
1匹だけでも戻っていやしないか(当時茶色氏まだどこかで生きていた)と、怪しまれても仕方ない歩調でトボトボと散歩を続けていました。

時は流れ寒い寒い夜のこと。
「いつもの場所」で白黒のぢょしと再会しました。

それから半年の出来事は諸事情により割愛します。
触れるまで距離が近づいた頃、ぢょしは甘えた声でオスに近づき(しかしこのオスはTNR済)尻尾を持ち上げお股を見せる仕草をするようになりました。
焦りました。
ある方に野良猫であることを改めて確認。
抱き上げられるまで距離を詰め、レボリューション投与。
そして、ぢょしを捕獲しました。
私はまだ猫を迎えられる環境やメンタルが整っておらず、まず友人宅へ。
つい最近のことです。

もちろん病院へ連れて行きました。
レボリューションしてたので回虫もおらず、猫白血病ウイルス・猫エイズともに陰性。
体重3.8kg。
採決前のバリカンで「んまぁー」した以外はおとなしく、獣医師に「こんだけどっしりしてるなら、すぐに(人に)慣れるよ」とお墨付き。
しかしここでおかしなことが起きました。
獣医師が「オスだね」とポツリ。
びっくりしました。
「ついてるよ」と言われお股を見てみれば、推定1.8歳から2歳にしちゃ控えめな、ほんと控えめなオタマさん。
「誰かに飼われてたのかなあ」と獣医師が言うので、「いや、ずっと野良です」と言いながらもえ?まさか去勢済?と不安。
不安でふにふに……いや、中身入ってる。
獣医師も「あ、入ってるネ」と言うくらい小さい。
生後半年のにゃんたまよりずっと小さい。けど入ってる。

そんなことより、ぢょしはぢょしではなかった。
私の知るオス猫の中で、3.8kgは最小です。
福太の最期くらいの重さ。
19歳まで生きた私の初猫「千露(チロ)様」の最盛期が4.5kgくらい…そりゃ軽いわ。
千露より小さいのか。
さらにぢょしは未去勢のオス的な筋肉はなく、全体的にふにゃふにゃ。
発情期を経験したオス猫にありがちな軽い脂っこさもなくふわふわで、外にいる頃からマーキングの臭いもなし(嗅いだ)。
タテガミもなく、ヒゲダマリもメス的。
友人曰く「あなたあの時面白い顔してた」そうです。
そりゃそうだ。
自慢ですけど、成猫のオスメスは顔や体格でなんとなくわかります。
未去勢なら上記の通りわかりやすく、多くの猫基地の特技だったりしませんかね。

ここで問題が起きました。名前です。
ぢょしじゃなあ…。
動物看護師さんも「お名前どうしましょ」と笑う。
ああでもねぇこうでもねぇした結果、タイトルに戻る。
福太に一字もらいました。

後出しですが、何かに噛まれたらしい足の怪我もよくなってきています。
友人が毎日洗浄をと投薬を頑張ってくれています。
栄養が充分になり毛がフコフコになったら、なんとタテガミもわずかに確認できるようになりました。
なるほど小さいけどオスだわ……。

今しばらく、大福は友人宅にいます。
遅くても年内には、引き取る予定です。
写真は友人が送ってくれたものを、ツイッターの福太アカウントに少し載せています。

久しぶりの猫です。
8年経ってやっとだなあ。



【お知らせ】

2011-09-02 02:57:38 | 記事
ブログを閉じてからも、アクセスありがとうございます。
福太の元おかあちゃん、ぶーこです。
結局、福太と離れられないわたくしは、福太のツイッターアカウントをとりました。
なんということでしょう。

URL
http://twtr.jp/user/fukuta_n/

至極たまに、福太がつぶやきます。
「なかのひとなどいません」

お知らせ終了です。


このブログに辿り着く方は、猫白血病ウイルス感染症と闘う猫と暮らしている方が、ほとんどだと思います。

残念ながら福太は、2010年の6月27日、リンパ腫により他界しました。
2歳。短命でした。
閉じられたブログを見て、落胆される方もいらっしゃるでしょう。
わたしも福太を迎える前夜に検索の鬼となり、閉鎖されたブログを見ては何度も落胆しました。

長く一緒にいたい。
その気持ちは誰しも一緒です。
けれど。
長くいられなかったことが必ず苦しみになるかといえば、意外とそうでもありませんでした。


わたしは、福太に何もしていません。
遊び、寝て、眺めて、遊び、一緒に寝て。
その繰り返しでした。
その繰り返しを、どれだけ密にするかを考え過ごしていました。

今思えば、PCにかじりつき検索しまくっていた時間。
福太がわたしの膝に乗り、ちょっかいを出していたあの時間。
あれは無駄だったと思います。

短いのなら、濃く。
福太はたくさんのものを遺し、わたしはたくさんの福太を残した気がします。