「しつこく」新×3もろもろ日記

今になって夫が「進撃の巨人」に興味を持ち始めました^^

風のようにうたが流れていた

2005年05月27日 | 音楽(ゴスペラーズ・小田和正・KAN)
(え~今回は思い切り小田和正22年好きだぞ!
モードでお送りします。引いちゃう人は読まないように)


小田和正のファンである。中学生からだから
もうえらい年数になってしまいました。
こんなに長いことファンを続けるとは思いませんでした。
先日、大学のときからお付き合いのある
小田ファンの友人と会いました。
小田さんの話やそうじゃない話も含めて喫茶店で
二時間近くねばりましたが(^^ゞ
彼女からファンクラブ限定発売の小田さんの
一年を記録したDVDを借りました。

2時間ちょっとでした。毎年収録時間が違ったと思いますが
今年(去年分)は長かった!TBSの深夜に三ヶ月放送された
「月曜組曲」という番組の模様をDVDに収めてあったから。
名古屋ではやってないので北陸のファンの友人に
録画して送ってもらいそれをダ○ングして昨日会った友人に送っていて、
見切れてない部分が実はあったのです。
DVDは小田さんも参加したんでしょうけどおいしいとこどり、
実にうまく編集してて見入ってしまいました。


オフコースが伝説の武道館10日間ライブを終え活動休止に入る。('81)
その後、鈴木康博が脱退し4人で活動を再開したのだが
このときは何かと大変だったらしい。
「一冊本が出せる」と本人が言っていた。
でも本は出さないだろう。
小田和正というのはそういう人だと私は思っている。
(一ファンがえらそうにすんません)


4人になってからのオフコースの数年を知らない人が多い。
「5人の時で解散してしまった」と思われてることに
私もあとから気づくことがあった。そのことだけでも
活動の困難さを物語っているとはいえまいか?


4人のとき、アメリカ進出を狙って「Back Streets of Tokyo」
というアルバムを出す。私が高校のときだ。
「たそがれ(Endless Night)」という曲がアメリカの
ラジオ局でちょっといい線行きかけたというのは知っていた。
小田さんは「アメリカに住んで頑張ってればお前なら売れるよ」
と関係者に言われたらしい。
でも帰国した。その事実は「月曜組曲」で知った。

本当に何年か滞在していれば、売れたのかもしれない。
なぜそうしなかったのか?あくまでも予測に過ぎないが、
他のメンバーのことを考えたら決断できなかったのだと思う。
途中からオフコースに入った若い三人に小田(敬称略)は
恩義も責任も感じていたのではないかと。
彼らが加わったことで、オフコースには骨太さが出て
「さよなら」のヒットも出すことができた。
その彼らを差し置いて一人でアメリカで活動することなど
考えられなかったんじゃないだろうか?


89年だったか?ソロになった小田さんがはじめて取り組んだ
仕事は「ネスレ」の「違いのわかる男」CM。
ファンは皆驚いたに違いない。「小田さんがCM?」
グループではできなかったことをやってみよう!
という思惑だったらしい。
和服美女に赤い番傘を差しかけられる小田さん。
ロケ現場は京都だと思い、当時大阪の大学に通っていた私は
足が痛くなるまで探し回った。のちに京都でなく奈良の
「今井町」(古い町並みの残る地区)と判明したのだが(^^ゞ

今回のDVDを見て小田さんの足跡を改めて考えた。
月曜組曲の中で演奏された曲はどれも名曲で
これからも歌い継がれてほしいものばかりだ。
テレビでそういう曲を聴いてもらえたのはとても
意義があることだったと思う。


さて、小田さんのツアーがもうすぐ始まります。
私が行く日はくしくもアルバムの発売日。
(前の日に店頭に並んでるという噂も?)
美しい歌声と意外と毒舌(?)なトークを楽しみに。

あ~やっぱり長くなっちゃったじゃ~ん!
(アンガールズ田中くん風に?)
どうもありがとうございました~~m(__)mm(__)m

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
同世代? (Keiry K)
2005-05-29 01:58:21
この話題、「ストライク!」です。
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お!いらっしゃいませ (のら)
2005-05-29 10:51:28
そうなんですか?今から伺いますね。

トラバありがとうございます(^.^)
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