">>">「35年間 37回実施の 「豊後落ちの道歩こう会」 最終回とします。」font> 平成26年(21014)1月19日に無事終了した第37回「伊東一族豊後落ちの道歩こう会」をもって、35年間毎年開催してきたこの企画を終了することにしました。(年2回実施したこともあり37回になりました。)
思い返せば、昭和53年4月に西都市尾八重小学校に赴任し、この集落が「伊東一族の豊後落ち」の時、降りしきる雪の中を落ち延びて行く苦難の道であり、また、尾八重城での宿泊地でもあることを歴史書で学び、ぜひ村人と一緒に当時の道を当時と同じ極寒の時期に歩いて、その歴史を「肌で味わいましょう!」と、始めた行事でした。
この行事,会を重ねるごとに多くの参加者があり、このイベントはもちろん、この伊東一族の豊後落ちの歴史も広く県内に知られることにもなったと思っています。
参加者も述べ3000人程度にはなったかと思います。
また、10年ごとに豊後落ち全行程、佐土原・都於郡城→高千穂→臼杵城(大分)踏破も3回実行でき、西都市長や佐土原町長のメッセージを携え臼杵市長をはじめ臼杵史談会との交流もできたことでした。
本当にアッと言う間の35年間だったように感じます。
このように、民間のほんの一握りの地元歴史好きなメンバーを中心に35年間もできたことは本当に嬉しいことです。この陰には、初代会長壱岐さん(尾八重湯の方=故人)を初め地元の方々、それに日高氏(西都市元市議)並びに日高氏友人等々多くの永年の支援のお陰と感謝しております。
最終的には、主催する会員が日高氏と私の二名となり、年齢的にも体力的にも この歩こう会の企画運営に支障を起こす心配もあり、今回限りでこの活動を終えることとした次第です。
最後に、西都市に現に当時のまま存在するこの「伊東一族の豊後落ちの道」(日向記・日向纂記に記述あり)を、今後いろいろな方法で次の世代に伝えてもらいたいと思います。これまで、小さな民間団体で35間出来たことですので、例えば、西都市の社会教育の市民向け生涯教育の一環としての取り組みの中で・・・最近の伊東マンショへの取り組み同様多くの市民の皆様が気をかけてもらえれば幸いと思います。
35年間いろいろな場所でいろいろな方々のご協力に再度感謝申し上げ、「伊東一族豊後落ちの道歩こう会」企画、運営してきた本人として感謝いたします。本当にありがとうございました。
《これまでの記録と最終回の写真》
思い返せば、昭和53年4月に西都市尾八重小学校に赴任し、この集落が「伊東一族の豊後落ち」の時、降りしきる雪の中を落ち延びて行く苦難の道であり、また、尾八重城での宿泊地でもあることを歴史書で学び、ぜひ村人と一緒に当時の道を当時と同じ極寒の時期に歩いて、その歴史を「肌で味わいましょう!」と、始めた行事でした。
この行事,会を重ねるごとに多くの参加者があり、このイベントはもちろん、この伊東一族の豊後落ちの歴史も広く県内に知られることにもなったと思っています。
参加者も述べ3000人程度にはなったかと思います。
また、10年ごとに豊後落ち全行程、佐土原・都於郡城→高千穂→臼杵城(大分)踏破も3回実行でき、西都市長や佐土原町長のメッセージを携え臼杵市長をはじめ臼杵史談会との交流もできたことでした。
本当にアッと言う間の35年間だったように感じます。
このように、民間のほんの一握りの地元歴史好きなメンバーを中心に35年間もできたことは本当に嬉しいことです。この陰には、初代会長壱岐さん(尾八重湯の方=故人)を初め地元の方々、それに日高氏(西都市元市議)並びに日高氏友人等々多くの永年の支援のお陰と感謝しております。
最終的には、主催する会員が日高氏と私の二名となり、年齢的にも体力的にも この歩こう会の企画運営に支障を起こす心配もあり、今回限りでこの活動を終えることとした次第です。
最後に、西都市に現に当時のまま存在するこの「伊東一族の豊後落ちの道」(日向記・日向纂記に記述あり)を、今後いろいろな方法で次の世代に伝えてもらいたいと思います。これまで、小さな民間団体で35間出来たことですので、例えば、西都市の社会教育の市民向け生涯教育の一環としての取り組みの中で・・・最近の伊東マンショへの取り組み同様多くの市民の皆様が気をかけてもらえれば幸いと思います。
35年間いろいろな場所でいろいろな方々のご協力に再度感謝申し上げ、「伊東一族豊後落ちの道歩こう会」企画、運営してきた本人として感謝いたします。本当にありがとうございました。
《これまでの記録と最終回の写真》
この地を含めて県内には伊東祐親と曽我兄弟の仇討の時代の史跡が多くあり、その歴史を調べるうちに伊東氏の全国への広がりを知りました。
各地には、それぞれの史跡を語り伝える会があるだろう、そして、いずれはそれらの会をネットでつなぎ、互いに励まし合い、助け合い、交流する機会を作れるだろうと思っておりました。
この度、「豊後落ちの道歩こう会」が終了することを知り、一つの星が消えるような寂しさを感じました。後継者が現れることを期待しております。