ぶらりぶらり

今日が一番

またスペインに行ってきました

2017年06月14日 | 日常での自分のあり方

知人からブログを見てくださっている事を知り久々に開いて見ました。

10年前に知り合ったレオン地区のMansillaに住む獣医さんの奥さんLinaと5年前一緒にcaminoを歩く約束をしていました。もうすぐ70歳を迎える私、この3年間体調不調だった。

100歳まで歩くと常々豪語している私ですが、正直言っていつまで歩けるかは未知数です。

Linaとの約束もこの先どうなるかわから無いので70歳というキリの良い時期に実現しようと思い立ちました。

少しづつまた記録を書き足していこうと思っている。

10年ぶりでフランスの道を歩きました。

 


前途多難な故郷熊本だが???ガマだせ熊本

2016年05月08日 | 日常での自分のあり方

6月高校の同級会(卒業後50年)に出席の予定だったが会場が被災して秋に延期になった。

私が予約していたホテルは今再開した。

義兄の葬儀には、できたらそこに宿泊して少し活動したかった。

帰宅後数日して再開のニュース。

同期会は延期になったが宿泊先があれば予定通り行く予定。

熊本県内で一人として災害に合わなかった人はいないと思う。

しかし、中心地は私が帰宅する時動き出していた。

頑張れ熊本と言いたい。

電車で駅で向かう時、私の大好きな電車通りから見える熊本城の石垣はしっかり頑張っていた。

6月に行って何をする?何も考えていない。

68歳の私に何もできないかもしれないが姉達、友人と会えることを楽しみにしている。

九州の観光やホテルのキャンセルが増えているとニュースで伝えられる。

私の住む地域境で熊本の行政に変わって故郷納税をしたくださっているとのこと。

私もぜひ参加たいと思っています

みんなが「ガマ出しています」見届けようと思う。

ガマだせ熊本!


ふるさと熊本から2日後に帰宅

2016年05月07日 | 日常での自分のあり方

葬儀日程の知らせを受け、どれくらい滞在できるかわからないので新幹線で行くことにした。

姉に駅からの路面電車が動いていると聞いたので、空港から市内へ移動し易いと判断。

下の姉が駅まで迎えに来ると言ってくれたが、高齢の姉夫婦に混雑する市内への迎えは返って心配だった。

路面電車が動いているというので、電車の停留所へ迎えをお願いする。

自宅から博多までの乗り継ぎはスムースでした。

博多から熊本までのJRの特急券が購入できなかった。

博多ちゃく後、熊本までの特急券は熊本で着払いできるとの駅員さんの言葉に急いでホームへ行った。

博多の駅員さん達は誠に的確な受け答えだった。

全て自由席、みんな並んでいる。

熊本までの特急が通過して、博多に避難していたが八代まで帰るという女性が前後並んでいたS。

二人とも揺れの恐怖を話してくれた。

5年前の東日本の地震もすごかったが、今回は何か違う。

熊本到着後、すぐに路面電車に乗り、葬儀場へ向かう。

憔悴しきった姉と姪。

それでも姪は健気にも立ち振る舞っていた。

姪の息子達がなんとも頼もしかった。

姪の夫は初めの地震発生から仕事で地震の対応に追われていた。

そして姪が家庭と葬儀の手配に追われていた。

運良く死後翌日には通夜を迎え無事義兄を送ることができた。

到着当日は斎場で通夜を迎え、翌日は姪の家に宿泊。

何かしたいと思っても私にやれることはなかった。

時期が時期なので泊まる宿はなかった。

被災している姉達にこれ以上迷惑をかけられない。

姉達には子供や孫がそばにいてそれだけでも安心。

故郷を離れて50年、熊本で生活をしたのは小学入学までと高校の3年間だけ。

しかし、熊本が私の故郷であることを今回心から思っている。

今帰宅することが私にできることと思い帰宅。

 

 


熊本へ向かっています

2016年04月25日 | 日常での自分のあり方
兼ねてより入院していた義兄が亡くなりました。
地震の影響?と息子からLine で聞いてきた。
直接の原因ではないが、この地震が無ければ兄は未だ生きていただろう。
入院先の建物が危険ということで転院を余儀なくされた。
日々続く余震とは程遠い揺れに人も家も街も………………

心満たされない
日々を送っていた私に故郷を訪れる機会を兄が与えてくれたのかも?
亡き両親は、晩年を姉夫婦の家で過ごしあの家から送り出してくれた兄。
しかし、その家はこの地震で崩壊。
兄を自宅から送り出せない事を思うと胸が痛みます。

兄の冥福を祈る

大人の休日JRで福岡まで南下、1週間の一人旅Part5尾道

2015年11月15日 | 日常での自分のあり方

10月19日⑤

ロープウエイを降りるとここは盛りだくさんのものがある。

頂上展望台からの眺めを楽しむが広すぎて日暮れまで時間がそんなには無い。

人の流れに乗り文学のこみちへと流れることにする。

著名な文学者の碑が25名、詳しくは無いが聞いた名前の石碑がある。

甘いr詳しく無いので一つ一つ噛み締めて石碑を読むほどの気持ちが起き無いまま下る。

石碑というより私はその大きな石そのものが好きで見事な石を眺めながら下る。

よくぞこの岩の間に数々の地蔵尊を祀ったものだと、ここへ来たことを感謝しながらさらに進む。

ここでポンポン岩を見逃したことに気がつき、方向転換する。

見逃して行ったり来たり、方向音痴のおかげで随分歩いた。

音は大したことはなかったがそこからの眺めがふ~ん素晴らしかった。

一息すると遠くに見える山並みにほっとする、美しい

さて、そろそろ暗くなら無いうちに矢宿に戻ることにしよう。

大好きな路地をくねくねしながら、宿に着いた時はすっかり陽が沈んでいた。

 本日ルームメイトは銀行にお勤めで3ヶ月お休暇で12月まで日本滞在オーストラリア人のお嬢さん。

日本に留学の経験が有る日本語が上手なアメリカのお嬢さん。

日本人はもう一人のお嬢さんと私の4人でした。


大人の休日JRで福岡まで南下、1週間のひとり旅Part3尾道

2015年11月07日 | 日常での自分のあり方

10月19日③

林芙美子の家を出てアーケードを歩く、全長約2kのアーケード。

中国銀行の四角を右折と聞いたが、なかなか中国銀行が現れない。

左手に私を誘惑する路地がある。

ザックが背中にあるのでこれ以上みちくさをするわけにはいかない。

このアーケードの路地の先は踏切、階段その奥にはきっとお寺?

 とにかく先へ進もう、う、うん?右手にレトロな建物。

商店街が途切れるがまだ中国銀行の姿は無い。

みちを訪ねるとまだアーケードは続いていた。

なるほど長いアーケードだ。

やっとお目当の銀行のある十字路に到着。

右折して少し進むと左手に古民家を利用してできたホステル(ゲストハウス)に到着

 

 


大人の休日を利用してJRで福岡まで南下、1週間の一人旅Part2尾道

2015年11月06日 | 日常での自分のあり方

2015年10月19日(月)

この旅の1週間前頃から夫とはなんとなくギクシャク。

夫はかなり無口になり、会話が最小限度になっていた。

原因は大したことではなかった。

早く支度ができたので長居は無用、この日は予定より1時間早く出発。

東京ラインに乗る予定が上野駅行きに乗ることになった。

乗り換えて東京駅到着すると、東京8時33分発ひかりにタッチの差で乗れなかった。

1時間早くつけたはずだった、ざんねん!

1時間待つのかと思っていたら9時3分があることが判明。

岡山乗り換え、こだまで福山まで行き山陽本線で尾道到着。

確かに新幹線は速いが景色も早く通り過ぎ、時々左右が閉鎖的でやはり在来線がすきだなあ。

気のせいか新幹線内のテロップの文字が大きくなった気がした。

やはり我々団塊の世代がシニアになったせいかしら?

 尾道の改札を出るとすぐ観光案内所が目についた。

かわいいお嬢さんが二人、早速本日の宿「Fuji hostel」とお勧めの観光をお聞きする。

即、的確に案内してくださった。

直ぐに記憶することの苦手な私が一回で了解するほど解りやすい説明だった。

なんて優秀な女性なんだろうと感心してしまった。

駅を振り返ると、遠く山のてっぺんに城らしきものが見える。

 朝家を出る時は少し寒かったので、それに対応するものを着込んでいた。

教えていただいた目的地へ歩き出す、なんと26度が示されていた。

暑いはずだ寺らしき

 商店街を歩いていると、尾道で忘れていけない人林芙美子の部屋?

宿に荷物を降ろしてから入ろうか?と迷うが、予定はどう変わるかわからないので見学。

入場料は無料でした、良いのかなあ?ありがたいけどやっぱり100円でも良いから無料はねえ?

せめて寄付の箱でも置いてもらうと良いですねえ。

 


大人の休日を利用してJRで福岡まで南下、1週間の一人旅

2015年11月05日 | 日常での自分のあり方

2015年10月19日(月)

気がつけばブログを2週間以上ご無沙汰してしまった。

高校の創立120周年の同窓会に参加。

飛行機で往復もつまらないので、行きは尾道、下関、福岡へJRで新幹線や各駅列車で南下した。

大人の休日は「のぞみ」が利用できない。

寄りたいところはたくさんあったが日程にも限りがある。

飛行機はJALのマイレージがあるので早々と予約。

出発の時期を考えながらの数ヶ月だった。

年金暮らしなので、相変わらず節約旅行。

国内の旅は宿が高く、30年以上海外の旅が多かった。

今回宿を探しで日本にもゲストハウスが増えていて、これから国内も旅ができると喜んでいる。

東京駅新幹線乗り場で噂のかっこいいお掃除隊に遭遇。

そして興味を持ったのはトイレ、自動で便座のフタが上下する。

まるで子供のように68才のおばあさんは大はしゃぎでした。

もう一つ座席の横にはコンセントがあった、充電はたっぷりしていたので利用することはなかったがこれも嬉しい旅のお楽しみでした。

 


5月末から記録が停止しているおちょこちょいの私です。

2015年06月14日 | 日常での自分のあり方

2月初めに私の失態から肋骨骨折した。

なんとか回復しなくてはと頑張っていました。

4月からジムも復活していましたが、就寝中右の腕肩頭と痛みで目が覚めます。

6月に中山道を歩くので、5月末に医者に行来ました。

筋トレで筋痛症が良くなるように指導していただいたのですが、私の努力不足もあり一向に良くなりません、

先生が夜の痛みが緩和する薬を出してくださいました。

その折筋痛症になっている私へのメンタル的なご指導を受けました。

その夜服用すると二日間まったく就寝した記憶もないほど熟睡。

さあ元気になり、6月3日歩く会の定例会を済ませ6月4日中山道の旅へ出かけました。

今回は大井宿(恵那)から出発です。

先日テレビ東京の番組で恵那から明智戦がありその沿線が面白いとのことで街道歩きの前にひと遊び。

二日間明智線沿線を楽しみ6日より久々の中山道。

5泊の中山道歩きは良かった、持病の筋痛症にも良いはずだった。

しかし、私が思ったより以上に私の体は疲労困憊だったのだ。

いつもの事だが自分の体なのにこんな事が解らない?????

まったくお恥ずかしい今回はよ~くわかりました。

体を回復させて、なるべく早く私の記録作りを再開したい。

 

 


初めての骨折part4

2015年02月10日 | 日常での自分のあり方

骨折4日目

痛みが良くなっているのか良く解らない?

起床時の痛さが半端ではない。

起き上がるのに,こうかな?ああかな?と毎回思案する。

その後考える事は先ず、この痛みを緩和するには薬。

その為には何か食べよう、痛めた骨の回復の為にも食事はキッチリしよう。

痛み止めを服用後どれくらいで痛みが収まるか未だに解らない。

気がつくと上半身を真っ直ぐにしていて動かないでいれば大丈夫。

夫の気持ちが限界に来ているのが良く解る。

どうしたものか?

今の私にはどうしようもない、しかし痛みをこらえて行動する力もない・・・困った

本来本日は同期会で午前中に出かけるはずだったのだが行く様子も無い。

送り迎えも出来ないしどうするのか聞く事も出来ず時間ばかりが過ぎていった。

どうも朝の言葉のやり取りで気に触った事があったらしいが

とりあえず目の前をウロウロしてると気に触る事も多くなるので寝室に籠る。

しかし,横になるのが一番辛いのだ。

タブレットでいろいろ検索、多分この動作も夫の気持ちを悪くしているに違いないふ~む

暗くなってきた、食べなくては,薬を飲まなくては

うどんが出来ていた。

どんな事があってもとにかく治癒しなくては話にならない。

私は今迄こうやって山をいくつも乗り越えてきた、こんな事にへこたれてはいられない

本日は夫もジムに行く気持ちにならなかったようだ、お風呂が出来ていた。

湯船につかり体を温める(医者からはお風呂は許可済み)

恐怖の就寝

立ち上がりや起き上がりに助っ人を見つけたバランスボールだ。

同じ姿勢を長く続けると辛いが凄く良い助っ人でした。

もしかしてここにもヤコブ様?