夜桜や 夢に紛れて 降る、寝酒・・

観念らの規定性らによる、事象らの成り立ちようらへの解枠にも絡めて、 天下経済系の可能的な成長の度合を増すべき事らを述べる

触れず❗、 感電❗ ➕ 和算❗ ➕ ;  歴史拾遺 ヒロイ❗  ; 解放を急ぐべき、 シナによる、 桜木琢磨市議ら 実質 拉致事件ら❗

2020-09-04 19:12:02 | 政治・経済
☆ 触れず、感電❗ ➕ 和算❗ ; 失われた文字系ら❗。
解放を急ぐべき、 シナによる、 桜木琢磨市議ら 実質 拉致事件ら❗
19/ 8/12 17:28 ;

☆ 失われた文字ら❗
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190810/k10012031231000.html

日本列島で、 文字が使われ始めた、
時期が、 大きく、さかのぼる、
かもしれません。

弥生時代や、古墳時代の遺跡から、
発掘された石が、 調査の結果にて、
「 すずり 」 、 と判断される、
事例が、 九州の北部を中心に相次ぎ、
調査に当たった専門家は、
紀元前 百年ごろから、
文字が使われていた可能性がある、
と、 指摘しています。

調査は、弥生時代や、
古墳時代の遺跡らで、
過去に発掘された、 石などを対象に、
福岡県内の複数の考古学研究者らが、
進めています。

刃物などを研ぐ、
「 砥石 ( といし 」
、 と、 判断されていた、 石
、 などを、 詳しく調べ直した結果にて、
これまでに、 およそで、
百30点が、 「 すずり 」
、 と、 判断されました。

ほぼ、 同じ時代の、 中国や、
朝鮮半島の遺跡から、見つかった、
すずり、 らと、 形が似ている、
ことに加え、
石のすり減り方が、
砥石と異なるほか、に、
一部には、 墨 、 と、 みられる、
黒い付着物が付いていた、
こと、 などから、
「 すずり 」 、 と、 判断した、
という事です。

調査に当たっている、 弥生時代、
への、 専門家で、 國學院大学の、
柳田康雄客員教授によりますと、
「 すずり 」 、 と判断した石は、
九州の北部を中心に、
西日本の各地に分布し、
このうちの5点は、
弥生時代の中期な、
紀元前 、の、 百年ごろまで、
さかのぼる、 という事です。

日本列島では、 古墳時代の中期な、
5世紀ごろには、 確実に、
文字が使われ始め、 それより前は、
土器に書かれた、 墨書など、
文字の可能性を示す、
資料が見つかっているものの、
普及の実態は、よく分かっていません。

柳田さんは、 九州の北部では、
紀元前から、 すずりを使って、
文字を書いていた可能性がある、
として、
「 弥生時代は、 原始時代ではなく、
文字を持った、 高度な、
文化や、 文明があった、
と、 言ってもいい 」 、
と、 指摘しています。

≒ 文字は、 東夷から教わった、
と、 自ら、 伝え得てある、
華夏部族員ら、を、
自らへの先祖員らの一部としてある、
かも知れない場合の、 シナ人ら、も、
文字を使おうが、 使うまいが、
人食い蛮族員でもある、
反社会的な、 儒教型の、
部族倫理員に過ぎない、 者を、
その社会の一般の者として、
あり来たってある、者らであり、
ゲルマン蛮族員らの成れの果ての者ら、
と同様に、
より、 知的共感性 、ではなく、
序列化差別性を我彼に宛て成し合う、
自閉排他性を伴う、 反社会的な、
部族社会なり、 階級社会なり、
を、自作するのが、精々の者らとしての、
文化性なり、 文明性なり、しか、
成し得て来て居らず、
文字を使うか、使わないかは、
その主らの、 文化性なり、
文明性なり、の、度合いの高さ、
とは、何の関係も、無い❗ 。


なぜ、 「 すずり 」 、 と判断? ;

研究者たちが参考にしたのは、
中国の漢の時代に使われていた、
板状の、 「 すずり 」 、 です。

このうちで、 朝鮮半島で見つかった、
すずり、への、 復元模型は、
漆塗りの豪華な台の上に、
平たい石が置かれ、この上で、
水を含ませながら、
粒状の墨をすりつぶした、
と、 考えられています。

≒ その頃の、 任那 ミマナ 半島 ;
韓半島 、 には、
日本列島から、 移住して、
開拓をし、 複数の王家まで成した、
日本人たち、 と、
現代の、 朝鮮人らへの先祖ではない、
外国人ら、が、 国家らや、
それに類する社会らを成していた、
という事、 などを伏せた形で、
NHK 、などの報道員らが、
朝鮮に絡めた報道を成して来てある事には、
現代の朝鮮人ら、の、
事実らに基づかない、 日本人たち、
などへの、 序列化差別性の宛て付け、
を、 助長し、
それらによる、 日本人たちへの、
さらに、あり得る、
犯罪加害性らの宛て付け、
を助長し得る、 問題性がある❗ 。

・・研究者たちは、
こうした形状の、 すずり、 が、
北部の九州、 などにもある、
のではないか、 と、 考え、
発掘調査の報告書に、
「 砥石 」 、 と記されている、
平らで、 細長い形をした石、
への、 再調査を進めてきました。

細かい観察や実測を行って、
形のほかにも、 砥石とは、 異なり、
表面の中央部分だけが、
くぼんでいる、 ことや、
表面から垂れたと思われる、
墨のようなものが、
その側面に付着している、
ことなどの、 すずり、
と、判断できる、
特徴を見つけてきた、
ということです。

日本列島では、 飛鳥時代以降、
官僚機構や法律が整備され、
行政に、 文書が欠かせなくなった、
こと、などから、
文字の普及が進みました。

文字が確実に使用されていた、
ことを示す資料は、 これより前の、
古墳時代にさかのぼります。

例えば、 埼玉県の稲荷山古墳で、
見つかった、 古墳時代の中期な、
5世紀のものとみられる鉄剣には、
115文字が刻まれ、この時期には、
文章として、 文字が使われていた、
ことが、 分かります。

それ以前にも、 外交の際などに、
文字が使われていた、
と、 考えられていますが、
出土した資料が、 文字か、どうか、
を判断することは、 難しくなります。

三重県で出土した、 4世紀の、
土器の、 「 田 」、 と読める墨書や、
長野県で出土した、 3世紀の、
土器に刻まれた、 「 大 」 、
と読める、 文字資料、
などが、 ありますが、
1文字だけの場合が多く、
何が書かれているのか、
何のために書かれたのか、
明確になっていないのが、 現状です。

また、 福岡市の志賀島で、
見つかった、 とされる、
国宝の金印には、 「 漢委奴国王 」、
という、 5つの文字が、
彫り込まれていますが、
西暦、の、 57年に、 中国の、
「 後漢 」 、 から与えられた、
とする、 考えが、 有力です。


【 人種の成り立つ順番からして、
超白人種、の、 古モンゴロイド、
な、 日本人たちの先祖員ら、が、
寒さに特化しただけの、 劣化版の、
亜種である、 モンゴロイド、な、
華夏員らの先祖員ら、へ、
社会生活らを構成する、
体系知ら、や、文化性らに、
文明性ら、を、 教えてやった、
事ら、が、 基にあって、
シナ朝鮮人らの先祖員らが、
その社会生活らを構成する、
何彼らを成し得てある、
のであり、
文字に類する何彼らも、
古モンゴロイドな人々から、
辺境ら、で、 寒さに特化した、
モンゴロイドな者らへ、
伝え得られていた可能性が、
当然に、ある。

日本人たちの先祖員らが、
所々で、 別々に、創り出し得ていた、
情報な、事柄ら、 を、
特定的に想像させ得る、 記号性のある、
という意味で、 文字に類する、
何彼ら、が、 土器の一部などとして、
海外へ伝わり、
列島では、 絶えた後に、
その変形版な物らが、
日本の人々へ伝えられる、
といった事が、 繰り返し、
あった、 可能性も、 考えられる。

その何度目かの物が、
漢字 、なのかも知れない、
が、
その文字らを読める相手らへ、
その文字らを表した物らを与えたり、
その文字らを宛て付けられる側の、
人々の中の一定数は、
その文字らを読もうとしたり、
その意味な事柄らを知ろうとしたりする、
動機を持たされもする、
といった事が、 当たり前にある、
事である、とすると、
この金印の文字らや、
漢字ら、の、 意味への理解や、
自分なり、の、読みよう、を、
日本側の、 一定数の人々が、
当時や、その、はるかに前から、
成し得ており、
自分でも、 書き記すなり、
刻み記すなりし得ていた、
としても、 特に、 不思議性は、無い 】



・・日本列島でも、 弥生時代から、
すずり、 が普及し、
文字が書かれていた、とすれば、
何のために使われていたのか。

調査を進める1人、な、 福岡市
埋蔵文化財課の、 久住猛雄さんは、
外交のほかに、 交易に使われていた、
と、 想定しています。

久住さんは、 古墳時代の石の破片、
な、 6点を、 すずり、 と判断した、
福岡市の、 「 西新町遺跡 」、
に注目しています。

この遺跡は、 古墳時代には、
多くの渡来人が訪れ、朝鮮半島や、
日本列島の各地と行き来する、
交易の拠点、
と、 考えられています。

また、すずりと判断された、
石が出土した遺跡の多くは、
海や川に面し、港の機能があった、
と、 考えられることから、
久住さんは、 こうした場所では、
交易のために、 文字が使われていた、
と、 見ています。

久住さんは、 「 長距離を結ぶ、
交易の根途枠に関わる人たちが、
交易の記録や品物の名前や数、
などを書き留めて、 記録する、
ことに、 文字を使っていた、
と、 考えられる 」 、
と、 話していました。

http://www.cnn.co.jp/fringe/35068790-2.html ムスリム

『 イスラム教信徒ら 』 、
を中心とする人々が、
『 科学 』
≒ 『 定量的に、 物事らの、
質としての内容の存在や、
変化の様らを記述する事をも成す、
体系知 』 、
の、 研究へと進み始めたのは、
奈良時代の、7百年代の、
8世紀に成立した、
アッバース朝のもとで、であった。

アッバース朝では、 『 カリフ 』 ;
≒ 【 全知全能な神、か、預言者、
への 】 、 代理者 、 教主 、
や、
宮廷の、 ワズィールらによる、保護と、
その学術の振興への意思に基づいて、
主に、 ギリシャ語 、からの、
翻訳が始まり、 特に、 第7代の、
カリフの、 マアムーン氏が創設した、
研究施設の、 バイト・アル=ヒクマ ;
≒ 『 智恵の館 』 、 には、
多くの科学者が集まり、
ギリシャ科学の、 アラビア語、への、
翻訳が進められた。

マアムーン教主に仕えた、
科学者らの一人の、 フワーリズミー氏は、
インドの天文学や数学を取り入れて、
代数学や、数理天文学に関する、
著作らを残した。

平安時代の8百年代の9世紀には、
この成果が、アッバース朝の、
隅々にまで行き渡った、アラビア語 、
による、学問の交信脈に乗せられて、
知識人らに、 広く受け入れられ、
イスラム哲学の祖として知られる、
キンディー氏の様に、
数学、天文学、医学、論理学、哲学、
などの、色々な学問に通じた人々が、
多く現れた。 :

9百年代の、十世紀から、 千年代の、
11世紀には、 :
アッバース朝の政治的な衰退とは裏腹に、
アラビア科学は、 空前の発展を遂げ、
プトレマイオス氏の天文学を改良した、
バッターニー氏や、 数学や天文学に通じ、
光学に関する、重要な著書を残した、
イブン・アル・ハイサム
≒ あのハイサムの息子 、氏、は、
哲学と医学の分野で、
ヨーロッパの人々へ、
大きな影響を与えた。

体系知を成し行う事のその物を愛でる、
能力のある人としての、 哲者 テッサ 、 は、 イスラム教の成立つ前から、
アラブの内外に居ただろうが、
クルアーンへの解釈を巡る論争や、
カリフへの後継者の争い ;
≒ 『 シーア派と、スンナ派 、の対立 』
、 などでの、 広い意味での、
「 哲学的 」、 な論争は、
イスラム教の成立の初めから続き、
そのイスラム世界に、
ギリシア哲学らが伝わったのは、
シリア 、 を介してであった。

イスラム哲学は、 ファルサファ ;
≒ falsafah 、 と、呼ばれた。

これは、 アラビア語ではなく、
ギリシア語
≒ φιλοσοφια フィロ・ソフィア ;
≒ 知恵を愛でる 、 知恵愛 、
に由来する言葉で、 英語などで、
哲学 、を意味する、 philosophy 、
と、語源を同じくし合っている。

イスラム教の信徒らが、
哲学的な方法を必要としたのは、
『 シャリーア 』 ;
≒ 『 イスラム法 』 、
への解釈が多様化してきた為でもあった。

すでに、 イスラム教の信徒らにおいて、
その唯一の全知全能の神、の、
『 ロゴス 』 ;

【 言葉 、 事割り コトワリ 理 、 論理 、
神から人々へ授けられた、倫理事項ら 】
、 を、
『 神から預かり、触れ回る者ら 』 ;
≒ 『 預言者ら 』 ;
、 の、最後の人、とされる、
ムハンマド氏の頃とは、 違い、
異民族らのムスリム達を抱えた、
世界帝国になっていた、
イスラム帝国は、 もはや、
聖典の、『 クルアーン 』、 と、
『 ハディース 』、 だけでは、
人々を治め切れない存在になっていた。

治め切れない場合でも、 もはや、
預言者らを得る事が、
できなくも成っていた、 ので、

学者らの合意により、
決定されるべき事、とされ、
孤立した誰彼の推論は、
忌避されていた。

柔軟に制定されている、
イスラム法に対しての、
正確な解釈らが必要とされてきたし、
多くの学者らが、他者の異説よりも、
自説が正しい、と、考えていた。

この様な、まちまちな解釈らが、
在る様では、合意に、支障がでるので、
客観的で、妥当な立場からの見解を成す、
為に、 哲学的な方法が歓迎された。

その他にも、 数学の分野では、
代数学における発明な事らを、
イスラム圏の人々は成したが、
それらの素材な事らを生んだ、
ギリシャの数学は、
大プラトンの時代までに、
大きな変化を遂げた。

ギリシア人らは、 線で描いた、
幾何学図形の、それぞれの線へ、
文字を添え、 その文字を、
式の項として用いる、
幾何代数の考え方を生み出した。

ディオファントス氏 ;
≒ 【 卑弥呼女王の、 2百年代な、
3世紀 、の、 エジプトは、
アレクサンドロス大王に名が因んでいる、
アレクサンドリアの、 数学者 】
、 は、
『 算術 』、 という書を著し、 時に、
「 代数学の父 」、 とも呼ばれる、
が、
その書は、
代数方程式の解法に関する、
事らを述べている。

代数学 ;
≒ algebra 、なる語は、
アラビア語の、 al-jabr
、 に由来し、 近代数学は、
アラビア数学から発展した。

その起源を遡ると、 古代の、
インドの数学に辿り着く。

平安時代の8百年代は、9世紀の、
バグダードの数学者である、
アル・フワーリズミー氏が著した、
『 イルム・アル・ジャブル
・ワル・ムカバラ
" Ilm al-jabr wa'l-muqabalah "
≒ 約分と消約との学
≒ The science of reduction and cancellation 』
≒ 820年 、を、
チェスターのロバート氏が、
" Liber algebrae et almucabala "
、 として、 ラテン語に翻訳した。

この書により、 フワーリズミー氏は、
代数学を、幾何学や算術から独立した、
一分野として確立した。

これが、 その後の5百年間に、
ヨーロッパの大学らで教えられた。

al-jabr 、は、 アラビア語では、
「 al 」 、 が、 英語の、
The 、 の様な、 定冠詞で、
「 jabr 」 、 が、
「 バラバラの物らを、再び結合する
≒ 移項する 」 、 という、
意味で、
インド数学の存在を反映し得た物だ。

その前に、 フワーリズミー氏は、
インドの数学から学び得た事らを、
『 インドの数の計算法 』 、として著し、
イスラム世界に広めた。

これは、 2次方程式や、四則演算と、
➕進法に、 『 0 、の概念 』
、 などを内容とし、 ラテン語に翻訳され、
著者の名は、 『 アルゴリズム 』
、への語源 、と、いわれている。

代数学の起源は、 今のイラクの辺りの、
古代のバビロニア 、と、されており、
古代のバビロニア人らは、
アルゴリズム的に計算する、
高度な算術の体系知を生み出していた。

彼らは、 今日では、 一次方程式に、
2次方程式や、 不定一次方程式
、 を使って解くような、
問題らを計算する為の、
公式らを発明していた。
:
一方で、 同じ時代 ;
≒ 紀元前、の、 1千年紀 、の、
エジプトや、 ギリシアに、 中国では、
そのような問題らは、
幾何学的に、解かれていた。


☆ 算額は、 数学の問題が書かれた、
絵馬で、江戸時代になってから、
神社仏閣に奉納されるようになりました。
美しい図形を扱った問題が多く、
ほとんどが、彩色されています。
現存するもので、一番に古い算額は、
栃木県は、 佐野市の星宮神社に、
天和3年 ( 1683年 ) 、に、
奉納されたものです。

しかし、 この算額は、 1975年に、
火災に遭って、 判読出来なくなり、
現在は、 複製が掲げられています。
次に古いとされるのは、
京都の、 八坂神社に、 元禄4年 ;
( 1691年 ) 、 に奉納されたもので、
1993年には、 国の重要文化財 、
に指定されました。

算額の風習は、 江戸時代には、
非常に盛んであったそうで、
明治時代まで続きました。
しかし、以降は、すたれ、また、
掲げられていた算額も、 破損などで、
取り払われたりして、 現存するのは、
約 千件 ;
( 江戸時代のものは、 約 4百件 )
、 と、 いわれます。

実際に、 どれ位に、 算額が作られたか、
については、 完全な記録は、なく、
算額を転載した本から、
どのような算額があったかを、
うかがい知ることができるのみです。

算額について言及した最初の本は、
村瀬義益氏の、 『 算法勿憚改
( ふつだんかい 』 ( 1673年 )
、 と、 いわれ、 目黒不動に掲げられていた、
算額について記しています。

算額を集めた最初の本は、 藤田貞資氏 ;
( 1734 - 1807年 ) 、 の、 『 神壁算法 』
、で、 寛政元年 ( 1789年 )
、 に刊行されました。

寛政8年 ( 1796年 ) 、 には、
増補版が、 『 増刻 神壁 算法 下 』
、 と題して、また、 文化4年
( 1807年 ) 、 には、 息子の、
藤田嘉言氏 ( 1772 - 1828年 ) 、 が、
続編として、 『 続 神壁 算法 』 、
、 を刊行しました。

主に、 藤田氏の弟子たちの、
算額を収録しています。

中村時万氏 ( ? - 1881年 ) 、 の、
『 賽祠 神算 』 ( 1830年 ) 、は、
写本でのみ流布しましたが、
2百4件の算額を収録しています。

江戸時代には、 各地を旅して、
和算を教える、 遊歴算家 ユレキサンカ
、と呼ばれる、 和算家たちがいました。

そのうちのひとりな、 山口和さん
( c.1781 - 1850年 ) 、 は、 文化14年
( 1817年 ) 、 から、 文政11年
( 1824年 ) 、 にかけての遊歴の記録を、
『 道中日記 』 、 として残しました。

彼は、 この中に、 各地で見た、
算額の問題を、 324題 、 を、
書き写しています。

ほかに、個別の神社に奉納された、
算額を記録した写本も、
多数が残されています。

明治に入ると、和算は、 実践より、
数学史の対象として研究されるようになり、
和算への研究は、 和算書を解読する、
ことから、 進められました。

が、 各地に残る算額に注目する、
研究者もいました。

戦前期に、 全国に残る算額を調べて、
本にしたのは、 清水義雄氏
( 1896-1983年 ) 、 の、
『 社寺奉納算額集 』 ( 1942年 ) 、
が、 最初で、 百41件の算額、
が、 記載されています。

孔版印刷で、 68部しか、
印刷されなかったため、
入手が、むずかしくなっています。

戦後に、 各地に残る、 算額、への、
調査が行われるようになります。
和算研究家な、 平山諦氏
( 1904-1998年 ) 、は、 1960年代に、
山形、福島、千葉の算額、への、
調査の結果を刊行しました。

そのころに、 長野、茨城、新潟、埼玉、
栃木の算額集も、刊行されています。

和算研究家な、 下平和夫氏
( 1928-1994年 ) 、 は、 三上義夫氏の、
『 文化史上より見たる日本の数学 』 ;
新版 ( 1984年 ) 、 の付録として、
817件の現存する算額の所在、
への、 表を作りました。

この仕事を引き継いだのは、
1970年代から、 愛知の算額、への、
調査を行っていた、 深川英俊氏
( 1943- ) 、 で、
『 例題で知る日本の数学と算額 』
( 1998年 ) 、 に、
884面の現存する算額、と、
91件の復元された算額、 の、
一覧表を作っています。

さらに、現存しないが、
文献で確認される、 千749面の、
算額の一覧も作りました。

2千5年には、 百30件ほどの、
算額を集めた、 「 庶民の算術展 」 、
が、 名古屋市科学館で開かれました。

なお、算額の写真は、 「 和算の館 」
( http://www.wasan.jp/ ) 、 という、
ホームページで見ることができます。

算額には、 美しい図が描かれ、
簡潔な式が、 答えとなる問題 が多く、
深川英俊氏の本は、 英語でも、
出されていますので、
海外の算額ファンも増えています。

フランスでは、
G. Huvent: Sangaku; le myste`re des enigmes geome'triques japonaises ( Paris, 2008 ) 、
という算額の本が刊行されています。また、
Japanese temple mathematical problems in Nagano Pref. Japan ( Nagano City, 2003 ) 、
のように、 英語で、算額を紹介した、
国内の刊行物もあります。

また、最近では、 和算を扱った小説も、
沢山が書かれるようになりましたが、
その中に、 しばしば、
算額の話が登場します。

例えば、
『 算法少女 』、 に題材をとった、
児童文学作家の遠藤寛子さんの、
同名の小説 ( 1973年 ) 、 は、
主人公が、 算額の問題への解答が、
間違っていることを見つける、
ことから、 始まっています。

遠藤寛子さんの、 『 算法少女 』、
に出てくる、 算額の問題図で、

△ ABC 、 は、
O 、 を中心とする、 半径、が、
r 、 の半円に内接する、 直角三角形で、
円 、 の、 O1 、 と、
円 、の、 O2 、 は、 等しい半径 、
の、 r1 、 を持ち、
O1 、は、 弧ABと線分ABに接する、
最大の円、
O2 、は、 △ABC 、 に内接する円です。
この時に、 r 、と、 r1 、
との関係を求める、 問題で、
解答は、 腕試し問題 Q11 、にあります。

算額の問題は、このような、
図形の問題が多く、山本賀前氏
( 1811-? ) 、 の、 『 算法 助術 』
( 1841年 ) 、 のような、
数学的に美しい関係を集めた、
公式集も作られました。

和算では、 図形の中に、 また、
図形を入れて、 その関係を調べる、
『 容術 』、 という分野があります。

腕試し問題 Q9~11 、に、
いくつかの例が入っていますので、
そちらもご覧ください。

算額を解く途中で見付けた、
 『 新たな類題 』、 を、
算額として掲げることにより、
問題が、 さらなる問題をもたらし、
結果的に、 超人的な数学力を、
庶民が身につけたのが、
『 和算 』、 と、 『 算額 』、 
という、
日本独自の文化なのです。

天才理論物理学者である、
フリーマン・ダイソン氏
( 1923~ ) 、は、
和算について、 こう述べています。

『 西洋の影響から切り離された時代に、
和算愛好家たちは、 世界的に類を見ない、
芸術と幾何学の結婚と言うべき、
算額を創造した 』。

これは、 偶然ではなく、日本人は、
古来から、  『 数を遊ぶ 』、
 感性がありました。

例えば、 万葉集に、「 二八十一 」 、
と書いて、 「 にくく ( 憎く 」、
と、 読ませる箇所があり
これは、

9 ✖ 9 = 81 ⇒ 
くく・はちじゅういち、 

なので、『 八十一 』、 を、『 くく 』、
 と、読ませるのです。

このような、 掛け算戯寓 ゲグ
≒ 『 ギャグ 』 、
は、 古典で、 よく見かけます。
日本人は、 数を愛でる、
感性を持っているのです。

和算が盛んであった江戸時代には、
数学の専門書が、 千戴堵 タイト
≒ 『 タイトル 』 、
を越えていたようです。

その中で、現在でも出版されている程に、
有名な専門書が、
『 塵劫記 ( じんこうき 』、です。

当時から、人気の文学であった、
井原西鶴氏の、
『 好色一代男 』、や、
十返舎一九氏の、『 東海道中膝栗毛 』、  
よりも、売れたそうなので、
当時の和算 『 振迂 ブー 』
≒ ブーム 、 が、 どれほどのものか、
想像ができる、 と、 おもいます。

絵が、ふんだんに書きこまれた、
『 塵劫記 』、は、 日本で最初の、
多色刷り本であり、
この本が、 きっかけで、多色刷りである、
浮世絵が生まれた、と、 されています。

まさに、『数学なくして、浮世絵なし』  、 なのです。

現代人が想像する以上に、数学は、
日本文化に深く関わっていたのです。

和算が大きく発展した背景として、
中国を通過域として、入ってきた、
『 天元術 ( てんげんじゅつ 』 、
が、あります。
それは、 今で言う所の、
未知数、な、 X 、 を用いた、
代数学 、 でした。

その代数学は、 算盤 ( そろばん ) 、
では、 解くことができず、
かわりに、 算盤 ( さんばん )、と、
算木 ( さんぎ )、 を用いました。

図1、の、 ボード盤が算盤
( さんばん ) 、で、
赤と黒の棒片が、 算木です。
与えられた代数問題の係数を、
この、 ボード盤、と、 木片 、とを用いて、
計算するのです。

とても、原始的に感じますが、
あなどるなかれ。
この算盤 ( さんばん ) 、と、
算木は、 2次方程式、
3次方程式は、 お茶の子菜々。

何と、何次元の方程式でも、
解く事が、できるのです。

( ただ、 使用には、 それなりの、
コツがあるので、
簡単では、ありませんが ) 。

つまり、 次のような、 8次方程式も、
八百屋の熊八が解いていた
( かもしれない )、 のです。


図2 : 山形県鶴岡市遠賀神社・算額
( 1695年 ) 。

これは、 現在の数学として考えると、
面倒なだけで、 簡単な計算問題ですが、
それは、 『 紙に数式を書きつけて計算 』、
 する手段を、
私たちが、知っているからです。

紙に書いて計算する、 という手段は、
当時の和算には、なかったので、
方程式を解くには、算盤 ( さんばん ) 、
と、 算木を用いるしかありませんでした。

そんな状況を打破したのが、
超天才和算家、の、 関考和氏でした。

彼は、数式を紙に書きつけて計算する、
  『 傍書法 ( ぼうしょほう 』、
 を開発しました。

この計算方法により、 和算は、 まさに、
世界一の高等数学 、としての、
道を歩み始めます。


◆ 触れなくても、 感電死の可能性 :
駅で、釣りざおを振り、男子高校生が感電❗
2014- 7-26 16:25:49 ;
ネット記事+論評群 :

http://kumanichi.com/news/local/main/20140725006.xhtml
7月25日の午前11時半ごろ、
芦北町の肥薩おれんじ鉄道の、 「 たのうら御立岬公園駅 」 、で、
列車を待っていた、 高校生の釣りざおが、架線に接触、 感電して、
その、 両手、両足に、重いやけどを負う事故があった❗

同鉄道によると、
沿線では、 過去にも、 鹿児島の県内で、 釣りざおの感電事故が、
3件も発生❗

内、 ➖件で、 中学生が死んだ❗。

夏休みの、釣り季節だけに、注意が必要だ❗

感電したのは、 菊池市の県立高の3年の男子

ホームで、 上り列車を待っていた際に、 持っていたカーボン ;
( 炭素 C 。 電流を通し易い❗ )
、 製の振り出し、ざお ;
( 約 5メートルの長さ )
、が、 高さが、 約 4 メートルの高圧線 ;
( 約 2万ボルト )
、 に触れた。

居合わせた男性が、 119番し、
男子生徒は、 ドクター・ヘリで、 病院に搬送された。

同駅は、 無人駅。

署によると、 男子生徒は、 同級生の男女な、8人で、
海水浴に来た帰りで、 線路を海にみたてて、
さおを振り出していた、 という。
:
@ 血管が焦げて、 手足への切断の可能性も❗ 。

@ 感電でのやけどは、 電気の通った道筋が焼けるから、
体の中を通ったのなら、 見た目は、軽そうでも、重傷とかあるからな、
第一報だけでは、まだ判らんよ。
内臓の損傷があったら、 だんだん弱って、死ぬかも知れん❗

@ 2万ボルトなら、 落雷を食らうよりも高い電圧 :

@ でも、 静電気と同じ位い。
やばいのは、高電流と周波数 ; ( 商用周波数が、一番やばい ) :
2万ボルトだと、 安全距離は、 30 cm 、 より遠く❗
、らしいな :

@ 人体の電気抵抗値 = 2千 Ω オーム ;
電車 = 6百 V ( 以上 )
、 とすると

人体に流れる電流値は、 6百 / 2千 = 3百 mA ;

50 mA 、以上だと、
強烈なショックを受け、 心臓の停止や火傷により、死ぬ❗
、可能性が極めて高くなる

http://denk.pipin.jp/jitumu/kandenn.html

@ 交流で、 2万V ( ボルト ) 、 の架線なら、
30 cm 、を離れてても、 感電する❗
:
@ 5 m って 、 遠投用だよな。 キス釣りでもしてたのか❓

@ 釣竿が、 カーボン ( 炭素 ) 、 製になりだした頃に、
竿を伸ばしたまま歩いてて、 感電っていう事例が続出したから、
注意書きとかがついてる、と思う。

@ 電車の上の通電ケーブル・綱に接触したってあるが、
2万Vなら、 触れる前に、感電するだろ❗。
無人駅なら、 注意する駅員もいないし、 高校生なら、
触れなきゃ、大丈夫とか、思ったんじゃない?
:
◇ 幼稚園でも、 小学校でも、 危険な事項らの成り立ちを予防し、回避する、
という事に役立つ、 体系知を、真っ先に、
生徒らへ構築させしめ得る様にすべきだし

あらゆる学科らの知識らを、それに活かせる様に工夫し、
子供らにも、 その危険予防回避学の習得度に応じて、
危険予避士の何級とかの資格への認定をしてやる、といった事が、
子供らだけでなく、 その子らを通して、
知識らや、自他を生かす事への真摯な心構えといった物の現れらを、
精神的に吸収し得る立場に在る、 その地域社会などの、 より、
全ての人たちにとっても、 極めて有用な事で在り得る❗

是非とも、国を挙げて行うべきだ❗

:
@ 釣竿って、電気を通さなさそうな素材で出来てるのになあ。
塩水に濡れてたからか?

@ カーボン・ロッド ; ( 炭素繊維製の竿 ) 、 とかは、
思いきり、電流を通すから、感電注意って書いてある。
落雷の危険がある時には、さっさと逃げるのが基本。

@ 落雷の危険がある時には、 車の中へ居るのが、
大木の側などに居るより、 遥かに安全性を高め得る❗

車体が通電して、地面へ電流を放ち、 ヒトは無事。 :

@ 人体は、電気抵抗性が低く、
特に、水に濡れている場合は、
電流が通り易い為に、危険性が高い❗

感電は、 閉回路が形成された場合に起こる❗

➖本の送電線だけに止まっている鳥は、
閉回路を作らない為に、感電をしないが、
例外として、 大型の鳥が、複数の送電線へ、同時に接触すると、 感電❗
、という事が成り立つ。


@ 感電の危険性は、
電圧と、電流に、 周波数と、電流経路によって異なる

電圧としては、
皮膚が乾燥している状態では、
数➕ V ( ボルト ) 、 でも、 感電しない場合もある❗
、が、
皮膚が、 発汗や水濡れに因って、 湿潤していたり

口や鼻に、 生殖器 、 などの、 電気抵抗値が低く、
神経組織が豊富な部位に通電した場合は、
10V 程度でも、 強い苦痛とショックを受ける、危険性がある。

この様な電圧は、 商用電源の他に、 点火プラグや、オルタネーターなどの、
自動車内の電気回路や、 低い電源電圧から高電圧を生成する、
電子回路に、 特殊用途に使われる、
高電圧の積層電池や、 圧電素子も、 発生源となりうる。

高電圧では、 直に、接触が無くても、 空中放電により、
感電❗ 、 という、 事象を成立たせてしまう事がある。

電源回路からの接続が切り離されていても、
コンデンサに充電された電荷が原因となり、 感電する事もある。

商用電源の、 百V ~ 2百V の場合、
短時間、かつ、小電流ならば、 ショックのみで、
傷害を負わない場合もあるが、
4百 V 級の通電部から感電した場合は、
アーク放電を伴う事例らが多く、
短時間、かつ、比較的小電流の感電でも、
重篤な火傷を負う、危険性が高い❗

:
高圧線の、 6千6百Vや数➕万Vを超える事もある、落雷では、
即死に至る❗
、危険性が極めて高く

即死を免れた場合でも、 電流の通った所々の細胞らの壊死による影響で、
長期の療養を経て死に至る❗
、か、
手足の欠損❗
、などの、 重篤な後遺障害を残す事例らが多い。

電流としては、 商用の周波数で、
0.5 mA 、 が、 人体に感じる最小の電流
、と言われており

10 mA を超える電流では、 筋肉の随意運動が不能となる。

電流密度が高く、 通電部組織の発熱量が多い場合には、
ジュール熱による、 火傷や、 組織壊死を生ずる場合もある。

人体の器官らの中で、 心臓は、 特に、 電流に敏感であり

百 μA ( マイクロ・アンペア = 0.1 mA )
、 を 超える電流が、 心臓を通ると

心室細動や、心停止を起こし、死に至る❗
、 危険性がある、 と、 されている。

@ 平均的体格の成人男性と比して、
女性では、 この、
百 μA ( 0.1 mA )
、 を超える電流の、 2 / 3程度

小児では、 1 / 2程度の、 電流値で、 同等なショック❗
、 及び、 傷害を生じる
、 と言われている。

周波数としては、 1 kHz ( キロ・ヘルツ )
、 以下、 特に、 40 - 150 Hz
、 付近が、 最も有害とされ、
直流や、 高周波 ;
( 特に、5万 Hz
、以上 ) 、 は、 比ぶるに、影響性が少ない。
:
ただし、 放送局のアンテナ 、 などでは、
大電力の高周波により、 感電に至る場合がある。

この場合、 死ぬ事は少ないが、 失明や火傷を被る事がある。

電流経路としては、 感電元に触れて、
体内に電気が侵入した部位を、入電部位
、と呼び、
接地などにより、 地絡が成立し、 侵入した電気が、
体外へ出た部位を、 出電部位
、と呼ぶ。
:
この入電部位と出電部位との間の経路に、 心臓が在った場合に、
心室細動や、
心停止に至る❗
、危険性が高まる。
:
その確率は、 心筋を通過した電流の値と、 通電せる時間との積 ;

『 それらの数値らを、かけ算して観る事によって得られる、
答えの数値に相当する、ある量 』 ;

に、比例する。 :
:
経皮的に ; ( 肌を通り抜ける形で ) 、
感電した場合は、
手 ~ 胸へ、 胸 ~ 背中へと通電した場合が、
最も危険で、
同一腕内の感電や、左右の脚らの間の感電では、
心室細動や、心停止に至る、 確率が、比較的に低い。
:
危険性は、 通電せる時間によっても、異なり、
低電流でも、 長時間の通電により、感電し得る、一方

高電圧の場合は、
無条件反射により、
筋肉が瞬間的に収縮し、 そのまま、 手などの感電部分が、 離れなくなる事がある

感電の衝撃で、
人体が跳ね飛ばされて、 稀に、大事故を免れる事例がある。


◆◇ シナとの密約がある❗、
アメリカの裏の実態を明かした、
アメリカの要人からの直言❗ ;
2016/ 1/30 1:9:30 ;

Pillsbury氏 :
ニクソン政権から、対シナ政策を担当。
今は、 国防総省の顧問で、
ハドソン研究所の、中国戦略センター所長❗ ;
http://www.news-postseven.com/archives/20160129_376559.html
・・まずは、 アメリカが、 同盟国な、
日本には、 全く、知らせずに、
軍事や、安全保障の面で、
中国に与えてきた援助について、
アメリカに、 日本側は、
その意図や責任を問い質すべきだ。
http://www.bbc.com/japanese/video-35426196

「悪夢の未来」を回避するために

2020- 8-27 9:00:20
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令和2年9月19日(土) 三橋経済塾第九期 第9回講義(一般参加可能です)
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https://ws.formzu.net/fgen/S78662785/

戦後最悪のマイナス成長! 政府には、消費税廃止以外の選択肢はない![三橋TV第280回]

https://youtu.be/PpxHfOqwrrY

 昨日も触れましたが、第二次安倍政権発足以降、まともに経済成長したのは
2013年度のみでした。
 消費税増税前の2013年度は、正しく政府支出
(公共投資など)を拡大したこともあり、経済成長率は2.6%でした。

 2014年4月に緊縮財政に転じた以降、日本の経済成長率は
目を覆いたくなる状況になりました。
14年度から19年度までの経済成長率の平均は、何と0.67%。
 まさに、「まるで成長していない・・・」。

【日本の公的固定資本形成(左軸)と経済成長率(右軸)】

http://mtdata.jp/data_71.html#kouteki

 2013年度以降の日本では、
「デフレは貨幣現象。マネーの量が足りない」<正しくは
「消費・投資という総需要(GDP)が足りない
「マネタリーベースを増やせば、デフレ脱却できる」
<日銀と金融機関と政府しか使えない日銀当座預金を増やせば、
民間経済で消費・投資が増える、という謎理論
「マネーストックが増えれば、デフレ脱却できる」<マネーストックは
「銀行からの借入」で増える(主に)。銀行から借り入れて、
土地や株式、為替の購入に回ったところで、GDPは1円も増えない。

 といった謎理論が横行し、いわゆる
リフレ派の実験が八年近くも続けられ、

結局は、
「貨幣(MB、MS)を増やしたところで、政府が
緊縮財政で消費・投資を減らす政策をすると、デフレ脱却できない」
 という、恐ろしく当たり前のことを実証したのでございました。

『検証アベノミクス:2度の消費増税で財政政策が機能せず=藤井・元内閣参与
https://jp.reuters.com/article/abe-fujii-idJPKBN25M0D0
 第2次安倍内閣で内閣官房参与を務めた藤井聡氏(京都大学大学院教授)は、
歴代最長政権となった安倍晋三首相の経済政策「アベノミクス」について、
消費増税によって第2の矢である財政政策が十分に機能しなかったとの見方を示した。

 その上で、足元のコロナ禍で内需が低迷する状況に対応するため、
さらなる財政出動と消費税減税が必要と語った。
24日に書面で回答した。

<財政政策がマイナスに>
 藤井氏は
アベノミクスの成果について、
「2014年3月までの期間、消費税5%の状況下で
10兆円の補正予算を組んだこと。
この時、非常に大きな効果があったことは間違いない」と指摘。

3本の矢のうち、2本目に当たる
「機動的な財政出動」の初期の対応を評価した。

 一方で藤井氏は、
「14年の消費増税で、この成功は消し飛んでしまった。
そもそも第2の矢は
『財政支出額マイナス増税額』で測るべきもので、
増税前までは、 プラスだったものが
14年4月の増税以降、それがマイナスになった」と説明。

「アベノミクスをやろうとしてやれなかったことを意味する」
との見方を示した。

 「第1の矢(大胆な金融政策)や第3の矢
(民間需要を喚起する成長戦略)をいくらやっても、第2の矢を打たなければ
資金は市場には回らないし、デフレも終わらない」と述べた。(後略)』

 藤井先生が書かれた通り、アベノミクス三本の矢の
「第二の矢 財政政策」は機能しなかった。

というよりも、行われませんでした。
 そもそも、2013年6月にPB黒字化目標が骨太の方針に入った時点で、
安倍政権は
適切な財政政策を推進する気はなかったという話です。
PB黒字化と財政拡大は、絶対に両立しません。

【三橋貴明の音声歴史コンテンツ 経世史論】

http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/

 不思議な話ですが、デフレ継続は緊縮財政派(財務省など)、
構造改革派(竹中平蔵など)にとって、都合が良いのです。

 緊縮財政で
デフレが続き、
名目GDPが成長しなければ、
税収が増えない

(税収はGDPと相関関係が高い)。

となると、結局は
PB赤字が拡大するため、
「国の借金で破綻する! 消費税増税だ! 政府支出削減だ!」
 と、さらなる緊縮財政が推進される。

 つまりは、デフレが「都合が良い」緊縮財政派が、
「効果があるデフレ対策(第二の矢)」など、単年度はともかく、
長期に認めるはずがなかった。

 また、構造改革派にとっても、デフレが都合が良い。

 デフレ継続で経済成長率が低迷すると、(先日、解説した通り)平均概念の潜在GDPを使っている我が国では、潜在成長率が下がる。となると、
「潜在成長率を引き上げるためには、規制緩和だ! 民営化だ! 公共インフラの叩き売りだ! 自由貿易だ!」
 といった、構造改革が可能になる。そして、構造改革が進めば、既存の所得のパイに新規参入を果たしたレント・シーカーが儲かる。

 緊縮財政はもちろん、構造改革もまた、インフレ対策です。つまりは、デフレ化政策。デフレ化政策である構造改革を「成長戦略」と呼び変え、第3の矢と称していた以上、これまた「端からデフレ脱却などする気がなかった」というのが真実なのでしょう。

 とはいえ、さすがにデフレ対策を全く「やるフリすらしない」のはまずい。だからこそ、採用されたのが「いわゆるリフレ派政策」だったわけでございます。

 改めて整理すると、話はシンプルです。

● 安倍政権にはデフレ脱却の意志は無かった。だからこそ、緊縮財政と構造改革が推進しされた
● デフレ脱却の「フリ」をする必要があった。だからこそ、いわゆるリフレ派政策が採用された

 という話なのですが、今後の日本経済は、
1.PB赤字が史上最大規模に拡大(2020年度は、第三次補正を組めば100兆円に迫るでしょう)
2.潜在成長率がゼロに落ち込む
 ことが現時点で決まっています。

 となると、当然ながら、
「PB赤字を減らすために、緊縮財政!」
「潜在成長率を高めるために、構造改革!」
 と、相も変らぬデフレ化政策が推進される可能性が高いわけです。

 この「悪夢の未来」を回避するためには、「知識」「情報」「データ」そして「言論」で戦うしかありません。我が国が民主制の国民国家(一応)である以上、他に方法がないのです。

 日本国民の多くが藤井先生の記事や、本日のわたくしのエントリーの内容を「正しく」理解することができれば、状況は変わります。

「悪夢の未来を回避しよう」に、ご賛同下さる方は、
↓このリンクをクリックを❗ 。


◇◆ ガン細胞たちは、
ブドウ糖だけ、 を、
唯一の、主な、栄養分としてあり、
炭水化物な、 糖質 、 を制限する事を含む、
ビタミン・ケトン療法は、
ガン細胞たちを兵糧攻めにする事でも、
ガン、の、あり得る度合を減らす事になる。

タンパク質たち、と、
ビタミン、たち、に、
ミネラル 、たち、を、 完全以上に、
飲み食いなどして、 摂取し続ける、 事が、
一部の人々を除いた、
ほとんどの人々の健康性を成し続ける、
代謝ら、を、
完全以上に、 成し続ける事に、 必要であり、
これら、を、 より、 欠いてしまう事は、
万病を引き起こす、 可能的な度合ら、を、
より、 余計に、 成す事を意味する。

☆ Cancer cells
Only glucose,
As the only main nutrient,
Including restricting carbohydrates,
Vitamin / ketone therapy
Even if
you make cancer cells attack soldiers,
This will reduce
the possible degree of cancer.

With proteins,
Vitamins,
Minerals, more than complete,
Drink and eat, keep taking,
Excluding some people,
Keeps the health of most people,
Metabolism,
It ’s necessary to continue
to do more than perfect,
The more you miss these things,
Cause all kinds of illness,
possible degree,
More than that, it means to do it.

☆ いずれにせよ、
日本人たちは、 より早くに、
日本人たちの足元の、 地下へ、
より、 どこからでも、
より、 速やかに、 落ちついて、
歩み降りてゆき得る、 避難経路ら、と、
より、 快適に住める、 避難所らとを、
作り拡げてゆく、
公共事業らを成す事により、

日本の、 財務省の役人ら、と、
与野党の、 主な政治家らとが、

英米のカネ貸しらの主張する事らを、
そのまま、自らもまた、
オウム返しにして、主張し、
実行もする事において、

日本政府の財政における 、緊縮 、
を、 繰り返し、 成す事を通して、

彼らへの、 主 アルジ の立場にある、
日本の主権者としてある、日本人たちへ、
物価だけではなく、
その労働らへの賃金らの水準へも、
より、 押し下げる向きへ圧力をかける、
要因らの系である、
デフレ不況性 、を、
押し付け続けて来てある、

その、 デフレ不況性 、を、
解消し去ってゆく、 と共に、
日本人たちの防衛性の度合いを、
飛躍的にも高めてゆくべき、
ぎりぎりの状況にも、 ある 。

地上を襲い、 地上をおおい得る、
あり得る、 災害らへ対して、

地上に、 避難所らや、
避難経路らを設定して、
日本の主権者たちを、
それらへ誘導する事は、

人食い虎どもの住む、 密林へ、
わざわざ、 人々を誘導する事に類する、
行為であり、

日本の主権者としてある、
日本人たちの一般 、へ対して、
個々の日本国民においても、
執事なり、 召し使いなりの立場にある、
公務員などの、 者らにおいても、
成す事が、 許されない 、
行為なり、 態度なり、 であり、

日本人たちの一般の、 あり得る、
福利ら、を、 より、 能くも、
最大限にも、 成す事を、 約束して、
日本の社会に、 存在し、 存続する事を、
日本国民たちの一般から、 許されてある、
筋合いにある者としての、 義務 、 に、
違反性を成す、 行為であり、

それが、 作為型では、 無く 、
無知性と痴愚性とにもよる、
不作為型の、 行為なり、 態度なり、
であっても、
それへの責めを負うべき、 筋合いを、
その主らの側に、 成すものである事に、
変わりは、 無い。

日本人たちには、核武装❗、と、
地下避難網ら❗、が、より、
日本の内外に、本格的な、
平和性らを成し付け得てゆく上でも、
必要❗。

この事らを、 より、 日本人たちへ、
伝える措置を自ら成さない、 者らは、
より、 反日員としての、
負の度合いを、 自らへ宛てて、
観積もらせる、 筋合いを余計に成し、
より、 伝える措置を自ら成す主らは、
より、日本人たちの一般の、
足しに成り得る向きに、 働き得た主として、
正の向きの度合いを、 自らへ宛てて、
観積もらせる、 筋合いを成す。

差し引きで、 より、
どちら側であるかの、度合いを観積もられ、
その度合いらに相応しい処遇を、
宛てられるべき立場にも、
誰もが、ある。

より、 日本人たちへ、
知らせるべきを、 知らせず、
不作為型の、 煙幕を張る、
報道員ら、とか、 より、
早くに、 知らされながら、
根途の宛先や、 職場などの、
周囲の人々へ、 より、
伝える事を差し止め得て来てある者ら、は、
特に、
◇◆ 1日に、 一度も、
日本人たちや、 日本への観光客ら、
などに、 色々な災害らや、
攻撃性らへ対する、
地下避難網の、あるべき事を、
伝えず❗ 、
に、
何千もの、 おしゃべり、や、
報道を成してある、
ラジオやテレビらの報道員ら、は、
特に、
地下に避難網らを欠いてある、
が、 為に、 余計な、
損害性らや、 自分や、
自分の家族員ら、などの死を、
予定され、 押し付けられる、
度合いを成し宛てられてある、
人々の一般へ対し、
あり得て来てある、 あり得る、
災害らや攻撃性らへの共犯として、
償うべき、度合い、を、
日々に、 余計に、 自らの側に、
成し増す、 立場にある者らだ❗ 。