過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・
「私ってめんどくさいですよね、こんなふうに考えて」
彼女はルーツについて話しをしているとき、こう漏らしました。
日本と韓国の2つのルーツを持つ彼女。幼いころから
ことあるごとに、みずからのルーツについて考えること
を余儀なくされ、傷つくことも少なくありませんでした。
そうしたことは毎日のようにあるので、いつの間にか
慣れてしまいました。でも、家族や親友、それに好きな人の、
ふと口にしたことばが彼女の心をぎゅっと締めつけるのでした。
だから自分自身のことを「めんどくさい」と考えるように
なったのかもしれません。
3歳の時に日本へ
彼女の名前は金沢優美さん(仮名・29歳)です。
韓国・ソウル生まれで、韓国人の父親と日本人の母親
の間に生まれました。
両親が離婚したことから、3歳のころ、母と8つ上の
姉と一緒に日本に帰国しました。中学3年生までは
韓国名で過ごしていました。
日本に来た当初は、日本語が全くわからず、幼心に
ストレスを感じていましたが、小学校に入るころには
日本語も話せるようになり、都内の小学校に入学しました。
自分は「いじめていい子」
彼女が自分のルーツをはっきりと意識せざるを得なく
なったのは小学生の時。名前が韓国名だったことから、
いじめを受けたり、差別的なことばを言われたりしました。
いきなり顔をたたかれることもありました。
「おまえはどれいだ」水鉄砲で水をかけてきた上級生に、
こんなことばをぶつけられたこともありました。
そんなことが繰り返されるうちに、こう考えるようになりました。
「自分はルーツが違うから、『いじめていい子』なのかも
しれない…」
だから「『役に立って、やさしく、おもしろい外国人』に
なろう」とがんばってみたこともありました。でも、やっぱり
「いい外国人」でいることに疲れて、日本人も韓国人も
どっちも自分なんだと、一生懸命思い込もうとして
みたりもしました。
だけど韓国のことは何一つ知らないし、日本のことだって
あまり知らない。そんなことを考えているうちに、結局、
自分のことが「中途半端な存在」に思えてきて、自分の
価値がどこにあるのかさえわからなくなっていました。
「私ってめんどくさいですよね」
そんな風に思うようになった自分のルーツのことを友達に
相談すると、友達は「“そんなこと”気にすることないよ」
と言ってくれました。
友達は優しさでそう言ってくれたのだと思います。
でも優美さんは心の中でこう、つぶやいてしまいました。
「”そんなことって”言わないでよ」
「そんなこと」と言えるのは、友達がマジョリティーだから。
「気にすることないよ」ということは「実は私のルーツのこと
気にしてるじゃん」。「そうなんだね」って言ってくれれば
いいのに。・・・
そして毎回、決まって「そんなこと」を考えてしまう自分に、
自己嫌悪に陥ってしまうといいます。「私ってめんどくさい
ですよね、こんなふうに考えて。自分でもよくわからなくて」
彼女は私の前で伏し目がちに漏らしました。
「日本人」の母
「小さいころのあなたは、よく『生まれた時からやり直したい』
って言ってたわよ」これは母親が自分に教えてくれたことです。
そんな母親は女手一つで自分と姉を大学にまで行かせて
くれて、とても愛してくれていると感じています。
一方で、母親は優美さんたちがほかの人から「外国人扱い」
されると、すごく怒るんだそうです。そんなとき心のなかで
こう思ってしまいます。
「お母さんは私たちの国籍にそんなにこだわっているんだ」
ルーツが原因でいろいろなことを経験し、自分自身が
「日本人」ではないと思うこともあるのにな。
でも、お母さんは純粋な日本人。私の中には日本以外
のルーツが入っている。「母親にも理解してもらえない
のかも…」そう思うと、なんともいえない気持ちになって
しまうのだといいます。
つらく、寂しかったこと
優美さんが、いまだにすごくつらく寂しいと感じることが
あります。小学6年生の時に友達になり、大人になって
からも友人だった男性がいました。男性は優美さんの
ルーツのことを昔から知っていて、特に気にせず友人で
いてくれている、そう受け止めていました。
2人が成人してからのある日、優美さんが韓国籍と
日本国籍のどちらを選ぶかという話題になりました。
すると彼は「韓国籍を捨てに行こうよ」と言ってきました。
優美さんは、なぜそんなことを言うのかと思い
「私がどっちの国籍を持ってるのって意味あるの?」
と聞いてみると、彼は言いました。
「俺の印象が違う」
彼にとっては、「韓国籍の友人」と「日本国籍の友人」では
友達として大きな差がある。10年以上友達だと思って
いたのに。私が日本人ならよくて、韓国人だとダメ。
彼はそういう意識で私と一緒に過ごしていたんだ。
そう思うと、胸が締めつけられる思いでした。
彼とはそれ以降、連絡を取らなくなりました。
すごく緊張する瞬間
優美さんは正直、いろいろなことを期待しなくなったり、
諦めたりすることにも慣れてしまいました。
同級生や見知らぬ人に、嫌なことを言われることさえも…。
でも、すごく緊張するのは、すごく仲のよい友達が
できたとき。それと、好きな人ができたときです。
「小さなころからネットの情報に触れてきて、韓国に対して
罵詈雑言とも言えるようなことばが飛び交っているのを
見てきました。自分のSNS上でも言われたこともあります。
でもネット上では、誰がそんなことばを言っているのか
わかりません。もしかしたら、私が仲よくしている友達、
好きになった人がそう言っているかもしれません」
だから優美さんは、仲よくなった人には自分のルーツ
を明かすことにしたそうです。
その日以降、話しかけてこなくなった人もいます。
つきあった男性にルーツを伝えると、「えっ」という声と
ともに顔がこわばるのがわかりました。
それから優美さんはそんな顔を二度と見たくないので、
好きになった人ができると、つきあう前にルーツ
を伝えることにしました。
私は「ミックス」
中学3年生の時、姉が留学していたカナダに2週間ほど滞在
したことがあります。そのとき、そこにはいろんな人種の
人がいて、誰も私のことを気にしていないという状況を経験し、
人生で初めてほっとした気持ちになりました。
同時に、自分の中で何かが吹っ切れた気もしました。
自分が「いい外国人」であろうが、「悪い外国人」であろうが、
人からの自分に対する印象は変わらない。私は日本人でも
韓国人でも、どっちの人間だっていい。
そう話す優美さんですが、次のようにも話していました。
「私は日本国籍を選んだので、『あなたは日本国籍だから
日本人だよ』と善意で言ってくれる人もいます。でも、
私の中ではいまでもどっちの国の人間でもありません。
日本と韓国のどちらに行っても、結局は異分子になってしまう。
だから私は自分のことを『ミックス』と呼ぶのが好きです」
・・・・
旅人算につるかめ算…
そのリアリティのなさが気になるのは、私だけ?
医療現場で日々、患者さんを相手に診察、治療に従事する
次郎先生は、性癖として、リアリティにこだわる。現実を
無視した空虚な理論には我慢がならないのである。
そんな先生が、子供の勉強をみてあげているときに、
思わずぶちきれてしまったが、算数の問題だったんです。
その理由とは……。
設問に、あまりにリアリティがないんです……。
受験生が家庭にいると、本当に気を遣う。模擬試験の
成績が伸び悩み、ナーバスになっているわが子に接する
ときは、まるで腫れ物に触れるような思いだ。
一方で、ちょっと目を離した隙に、ゲームをやっていたり
すると「そんなことする暇があるなら勉強しろ!」
と言いたくもなる。 中学受験は、高校・大学受験とは
また違った性質を持つ。
子どもは成長の過程にあり、中学受験は反抗期と重なる
ことも少なくない。小学校高学年ともなれば、社会に不満
を持ち始め、「大人なんか嫌いだ」などと言ったりする。
両親の束縛が窮屈で、「俺を自由にしてくれ!」などと
ゴネるのもこの頃だ。さらにこの時期、子どもたちの
この言葉が、ママたちに衝撃を与える。 「クソババァ」
さて、小学校時代の算数を思い出していただきたい。
○○算というのを勉強したことを御記憶でしょうか?
つるかめ算、旅人算、植木算、流水算……。
つるかめ算はその名の通り、動物のツルとカメが出てくる。
問題のパターンはこんな感じだ。 「ここにツルとカメがいます。
足の数は全部で60本でした。ツルとカメは合わせて25匹です。
ツルとカメはそれぞれ何匹いるか答えなさい」
答えはツルが20匹、カメが5匹。 中学生ならば、連立方程式
で解くことができる。ツルをx匹、カメをy匹とすれば、
①2x+4y=60 ②x+y=25 この2つの式を解けばよい。
だが、小学生は方程式を使えない。小学生が方程式を
理解できないことはないと思うのだが、小学校で方程式
を使ってはいけないことになっている。
したがって中学受験では、頭をやわらかくして問題を解かねば
ならないのだ。 つるかめ算は基本問題でさえ難しいのに、
受験問題になるとまさに「手も足も出ない」のである。
そして問題を解きながら、そのリアリティのなさに私は段々
憤慨してくる。 前述の問題文を見てほしい。そもそも、
こんなにたくさんのツルとカメがどうしていっしょにいるのか?
問題作成者は池や沼にツルとカメがいたと言いたいのだろう。
では百歩譲って、この両者がいっしょにいたとしよう。
だが、ツルとカメを数えるなら、普通最初からそれぞれ
何匹いるか数えるんじゃないのか?
何で足だけ数えるんだよ!? しかもツルとカメの足の
合計を数えてどーすんだよっ! ったく!
つるかめ算とは要するに、足の数が異なる複数の物を提示し、
計算させて頭数を答えさせるものだ。
イカ(足が10本)とタコ(8本)あるいは人(2本)と犬(4本)の
組合せでも問題は作れる。動物でなくても良い。椅子(4本)と
生徒(2本)という場合もある。
今挙げたバリエーションならリアリティはある。イカとタコは
同じ海にいるし、犬は愛玩動物だから、人間といっしょに
暮らしている。教室で生徒が座るのは椅子である。
だからつるかめ算ではなく、「イカタコ算」などと名前を改めれば、
現実味も増し、私だけでなく全国の受験生や親御さんたちの
怒りも少しはおさまるかもしれない。
ところが、問題のパターンが、ひどいものではこうなる。
「ここに人とスズムシとイカがいます……」
ちょっと待て! この三者が一堂に会するのはどんな
シチュエーションなんだ?
リアリティーのありそうなものといえば「植木算」だろうか?
問題形式は次の通りである。
「長さ100 mの道路の両側に5 m間隔で木を植えます。
木は全部で何本必要でしょうか?」
リアリティーのない○○算ばかりの中で、この植木算は
役に立ちそうな気がする。気をつけなければならないのは、
道路に木を植える場合と、池のように円形の土地に木を
植える場合とでは、必要な木の本数が異なるのだ。
詳細は省略する(私もわからないので……)。
さて、中学受験に必要な「〇〇算」で有名なものには他に
「旅人算」がある。この問題のパターンはこんな感じだ。
「A君が家を出て学校に向かいました。その後、
弟が追いかけました。何分後に追いつくでしょうか?」
「旅人算」まずネーミングからして笑える。そう、旅が
テーマなのだ。実は、算数の「旅人算」に旅人が登場
することはめったになく、旅が話題になることもほとんどない。
たいていは、先に出発した人を誰かが追いかけ、
追いつくのにどのくらい時間がかかるかを答えさせる
問題なのだ。
この旅人算でもリアリティのなさに直面する。たとえば
こんな問題だ。
「お父さんが朝早く車で家を出ました。お父さんの忘れ物に
気付いた息子の次郎君が1時間後にバイクでお父さん
を追いかけました。次郎君は何時間後に父親に
追いつくでしょう?」
これのどこが旅なのだ? 旅人はどこにいる?
さらに、リアリティーのなさを露呈するのはその答えにある。
問題によっては答えが「10時間後」などという場合
があるのだ。
問題が解けたりすると、喜びのあまりつい見過ごして
しまいがちだが、待ってくれ。バイクで10時間も走った
次郎君ってスゴくね? 10時間耐久レースか?
この息子、相当体力あるよ。口渇と空腹はいかばかりか?
次郎君って、まさか小学生じゃないよね? ちゃんと
バイクの免許持ってるんだよね? トイレにも入ら
なかったところをみると、途中でちびったな?
父親のほうにも怪しい点はある。父親も車で10時間以上
走っていたわけで、この父親の勤務先って一体どこ
なんだろう? 無駄に遠いんじゃないか?素直にそう思う。
通勤に片道10時間以上かかるということは、往復で
20時間を超える。仕事をする時間もないではないか!
「次郎、おまえに捕まるなんて、俺も焼きが回ったな」
「父さん、こんな遠くまで一人で……なぜ?
なぜなんですか?」あ~、複雑な家庭の事情が
うかがわれる……。
いや、そんなことよりも、最初から携帯電話で連絡すれば
いいのではないか? すると答えはこうなるはずだ。
「すぐに連絡がつき、お父さんは自宅に戻ってきました」
栓を抜き水を流しながら、浴槽に水を貯める!?
最後の問題は「流水算」である。流水算とは、お風呂の
浴槽に水を満たすまでに、どのくらい時間がかかるのか
を答えさせる問題だ。実際の問題は次のようなものである。
「B君は浴槽に毎分2リットルで水を入れました。浴槽の
容積は200 リットルです。浴槽に水を満たすのに要する
時間は何分ですか?」
この流水算も一筋縄にはいかないもので、簡単な
応用問題ではこうなる。「B君は浴槽に毎分2リットルで水
を入れました。同時に栓を抜き、毎分1リットルの水
を流しました。浴槽に水を満たすのに要する時間は
何分ですか?」
何というリアリティーのなさ!B君はまったく何をしているんだ!
誰がこんな水の貯め方をするというのだ!
現実にこんなことをしたら、次のような結末を迎える
ことは必定だ。
「『水がもったいないでしょ!』とお母さんに叱られたので
やめました」
受験生の皆さん、私みたいに疑問を持たずに、頑張って
素直に問題を解いてください! 合格を祈ってます!
・・・・
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