長いので分けちゃいました。
2日目の続きです。
クラブの帰り道に、たまによって食べていた麺線のお店によりました。
長袖の薄いカットソーを着ていたのですが、半袖にすればよかったと思うぐらい暑い日に、熱い麺線をクーラーもないお店で食べる・・・
汗だくになりますね(笑)。
でも、せっかくなので食べました。
麺線は、そうめんのように細い麺がとろんとろんのスープの中に入っていて、一口大にカットされた大腸と牡蠣がはいり、おろしにんにくと香草をトッピングされたものでとてもおいしいです。
食べる私の足元に懐くお店のニャンコです。
それからまたMRTに乗って、淡水線の終点の淡水へ。
この駅からバスに乗り、更に歩いた場所に、昔私が所属していた2軒目の乗馬クラブがあります。
しかし、このクラブで私が親しくしていたインストラクター達やスタッフ達はほとんど辞めてよそに行ってしまったと友達から聞いていたので、行こうかどうしようか迷いました。
淡水まで来たのだからバスに乗っていってしまえばいい。
でも、さっきのクラブ同様、まるっきり様変わりしたクラブを見るのは更にショックかも・・・
結局クラブへは行かず、淡水の駅付近のお店を回りました。
淡水の駅は海沿いにあり、そこから出ているフェリーで漁人碼頭という観光地へいけます。
私のクラブはその観光地から車で5分ぐらいのところで、海沿いにあり、いつでも練習馬で海岸を走れました。
淡水駅のそばも観光地になっており、たくさんのお店や露店があり、夜は夜市になります。
おみやげ物やで王子のブレスレットを選び、射的をやり、イカ団子を食べ、大好きだった豆花のお店へ。
豆花とは、絹ごし豆腐よりもっと柔らかい豆腐を、あずきや甘く煮たピーナツなどといっしょに食べるスイーツです。
とってもおいしいです~。
ここの豆花は、クラブで手伝ってる時、研修生の子に頼んで買ってきてもらったりしてよく食べていました。
そして、淡水といえば阿給です。
阿給というのは、そのままアーゲーといい、お揚げの中に春雨をつめ魚のすり身でふたをしたもので、赤いたれの中に浸って出てきます。
これは特に好きではないんですが、せっかく来たので食べました。
これだけではさびしいので、ちまきも頼みましたが、ここのちまきは甘いたれがかかっていていまいちでした。
そして海を見ながらぶらぶらし、真珠ナイ茶を飲みながら座って涼み、王子は輪投げをして景品をとり、のんびりしました。
ここでも一頭、陶器の馬を見つけて買いました。
これもハンドペイントの馬装された緑の馬です。
MRTで市内へ戻り、その足で台北唯一のデューティーフリー、エバーリッチへ行ってみました。
市内にはギャラリアもありそっちの方が有名ですが、そこは実はデューティーフリーではないのです。
でも、住んでいる当時はたまにギャラリアの方へ行っていました。
私が行きつけだった美容院や友達の家がそばだったので、ついでによっておみやげ物のパイナップルケーキを食べに行ってたのです(笑)。
今回は売り場に試食としてしか置いてませんでしたが、昔はお茶を飲ませてくれるコーナーに大きなタッパウエアーにいっぱいケーキが入れてあって、座ってお茶を飲みながら食べることができたのでした(買って食えよ・・・)。
エバーリッチの話は住んでいた頃他の日本人の人から聞いていましたが、行ったことはありませんでしたので、今回が初めて。
結構広くて、内容も充実していたように思います。
買おうと思ってきたエスティー・ローダーの化粧品の値段をチェック。
今日は化粧品は値段のチェックだけにとどめ、王子の腕時計だけを買いました。
それから南京東路にあるアジアンワールドという百貨店のトイザラスへ。
帰りに再び大好きな葱ツォワ餅(卵つき)と、胡椒餅を買ってホテルへ戻りました。
胡椒餅は外はぱりぱりの皮で、中は胡椒がいっぱいの激辛の団子状のジューシィな肉が入ったものです。
辛いけどすごくおいしいです。
昨日行った夜市のお店が有名ですが、この南京東路の、アジアンワールドからブラザーホテルに行く途中に良く出ている屋台の胡椒餅もおいしくて、昔よく食べていました。
屋台なのででている日と出ない日がありますが。
ホテルでそれらを食べながら休憩し、しばらくしてからまたMRTで出発。
王子はこのMRTの一日カードがとてもお気に入りで、毎回シュワッとカッコをつけて尻ポケットから取り出して改札を通っていました(笑)。
今度は忠孝復興の駅で降り、新しくできたSOGOへ。
もともとこの駅の交差点にはSOGO(日本のそごう百貨店)があったのですが、なんとその斜め向かいに新しい、そしてかなり大きなSOGOがまたできていたのです。
三越といいそごうといい、なぜ同じ場所に何軒もどんどん建てる・・・
9階までがお店の店舗で、10階以上がレストラン街のようです。
9階に上って驚きました。
広いフロアの3分の1ほどが吹き抜けになっており、天井には天の川が、フロアには巨大な日本庭園が・・・・
すげ~~
ウエッジウッドのカフェもありました。
古いSOGOの地下2階で好きな銘柄のパイナップルケーキを買いました。
パイナップルケーキは山ほど有りますが、私はここのお店のが一番好きです。
紫色のパッケージが目印の、ジウ振南(ジウという字が変換できませんでした)というお店です。
1個30元とちょっと高めですが、とてもおいしいです。
それからSOGOの裏手にある牛乳大王で、木瓜牛ナイ(パパイヤミルク)を。
これもこのお店のが一番美味です。
またホテルに戻って王子をお風呂に入れ、ロビーまで迎えに来てくれた友達の小兎とディンタイフォンへ。
小兎は一軒目の乗馬クラブの元スタッフで経理をやっていて、あのクラブで一番の仲良しでした。
今は辞めてよそで働いています。
昔は王子は現地の同じ年の子供と同様に北京語がぺらぺらだったので、小兎にもとても懐いていましたが、日本に戻ってわずか半年のうちにあれよあれよと言葉を忘れていき、今ではほとんどわかりません。
本当に言葉は使わないと忘れていく。
でも、子供の方が忘れるのが早いです。
なので、タクシーの中やディンタイフォンでも、私たちが盛り上がっていても全く何を話しているのかわからなくなってしまった王子はぜんぜんしゃべらず借りてきた猫のようになっていました。
ディンタイフォンは日本にも支店のある小龍包のおいしい有名なお店です。
小兎は一度も食べたことがないそうです。
なぜなら、おいしくないと聞いているから、だそうです。
確かに値段も高いので、現地の若い子はわざわざやってこないかもしれません。
小兎は、クラブハウスは立派になったけれど、どんどんイントラやスタッフが辞めて行き、昔は楽しかったのに楽しくなくなったので辞めたといっていました。
有名なイントラが辞めていったので(一人だけ馬場の有名な選手は残っていましたが)、お客もどんどん減ってしまった。
なのでレストランも取り壊され、スタッフも減らされたと。
確かに昔は常時2、3人いた受付の小姐たちも一人もいなくなっていて、レストランで働いていた小姐が受付にいたし、たくさんいた営業スタッフもほとんどいなかったし、お客もいなかったし・・・
小兎が言うには、藍先生はオーナーと意見が対立してよそのクラブに行ったけれど、その後またそこから違うクラブへ行ったそうです。
なので昼間私がクラブのスタッフから聞いたクラブにはもういなくなっているとか。
私が一度だけ、自分の先生が遅刻した日に習った若いイントラも、藍先生が連れて行ったそうです。
そしてトップコーチのアーミンは、もう一人のイントラを連れて出て自分のクラブを作ったとか。
でもほとんど生徒を取らず、自馬ばかりの小規模なクラブだそうです。
そのほかのイントラの行った先のことも聞きました。
皆ばらばらになってしまってさびしいです。
彼女も昔のクラブが好きだったので、楽しくなくなって辞めたといっていました。
もし今、台湾に戻るとしたら、どこへ行けばいいのかしら・・・と、意味のないことまで考えてしまいました。
ずっと、戻れるならあのクラブへ、と思っていたので。
3年ぶりに会った小兎は、前と変わらず常に優しく、気遣いにあふれていて、楽しい時を過ごせました。
2日目の続きです。
クラブの帰り道に、たまによって食べていた麺線のお店によりました。
長袖の薄いカットソーを着ていたのですが、半袖にすればよかったと思うぐらい暑い日に、熱い麺線をクーラーもないお店で食べる・・・
汗だくになりますね(笑)。
でも、せっかくなので食べました。
麺線は、そうめんのように細い麺がとろんとろんのスープの中に入っていて、一口大にカットされた大腸と牡蠣がはいり、おろしにんにくと香草をトッピングされたものでとてもおいしいです。
食べる私の足元に懐くお店のニャンコです。
それからまたMRTに乗って、淡水線の終点の淡水へ。
この駅からバスに乗り、更に歩いた場所に、昔私が所属していた2軒目の乗馬クラブがあります。
しかし、このクラブで私が親しくしていたインストラクター達やスタッフ達はほとんど辞めてよそに行ってしまったと友達から聞いていたので、行こうかどうしようか迷いました。
淡水まで来たのだからバスに乗っていってしまえばいい。
でも、さっきのクラブ同様、まるっきり様変わりしたクラブを見るのは更にショックかも・・・
結局クラブへは行かず、淡水の駅付近のお店を回りました。
淡水の駅は海沿いにあり、そこから出ているフェリーで漁人碼頭という観光地へいけます。
私のクラブはその観光地から車で5分ぐらいのところで、海沿いにあり、いつでも練習馬で海岸を走れました。
淡水駅のそばも観光地になっており、たくさんのお店や露店があり、夜は夜市になります。
おみやげ物やで王子のブレスレットを選び、射的をやり、イカ団子を食べ、大好きだった豆花のお店へ。
豆花とは、絹ごし豆腐よりもっと柔らかい豆腐を、あずきや甘く煮たピーナツなどといっしょに食べるスイーツです。
とってもおいしいです~。
ここの豆花は、クラブで手伝ってる時、研修生の子に頼んで買ってきてもらったりしてよく食べていました。
そして、淡水といえば阿給です。
阿給というのは、そのままアーゲーといい、お揚げの中に春雨をつめ魚のすり身でふたをしたもので、赤いたれの中に浸って出てきます。
これは特に好きではないんですが、せっかく来たので食べました。
これだけではさびしいので、ちまきも頼みましたが、ここのちまきは甘いたれがかかっていていまいちでした。
そして海を見ながらぶらぶらし、真珠ナイ茶を飲みながら座って涼み、王子は輪投げをして景品をとり、のんびりしました。
ここでも一頭、陶器の馬を見つけて買いました。
これもハンドペイントの馬装された緑の馬です。
MRTで市内へ戻り、その足で台北唯一のデューティーフリー、エバーリッチへ行ってみました。
市内にはギャラリアもありそっちの方が有名ですが、そこは実はデューティーフリーではないのです。
でも、住んでいる当時はたまにギャラリアの方へ行っていました。
私が行きつけだった美容院や友達の家がそばだったので、ついでによっておみやげ物のパイナップルケーキを食べに行ってたのです(笑)。
今回は売り場に試食としてしか置いてませんでしたが、昔はお茶を飲ませてくれるコーナーに大きなタッパウエアーにいっぱいケーキが入れてあって、座ってお茶を飲みながら食べることができたのでした(買って食えよ・・・)。
エバーリッチの話は住んでいた頃他の日本人の人から聞いていましたが、行ったことはありませんでしたので、今回が初めて。
結構広くて、内容も充実していたように思います。
買おうと思ってきたエスティー・ローダーの化粧品の値段をチェック。
今日は化粧品は値段のチェックだけにとどめ、王子の腕時計だけを買いました。
それから南京東路にあるアジアンワールドという百貨店のトイザラスへ。
帰りに再び大好きな葱ツォワ餅(卵つき)と、胡椒餅を買ってホテルへ戻りました。
胡椒餅は外はぱりぱりの皮で、中は胡椒がいっぱいの激辛の団子状のジューシィな肉が入ったものです。
辛いけどすごくおいしいです。
昨日行った夜市のお店が有名ですが、この南京東路の、アジアンワールドからブラザーホテルに行く途中に良く出ている屋台の胡椒餅もおいしくて、昔よく食べていました。
屋台なのででている日と出ない日がありますが。
ホテルでそれらを食べながら休憩し、しばらくしてからまたMRTで出発。
王子はこのMRTの一日カードがとてもお気に入りで、毎回シュワッとカッコをつけて尻ポケットから取り出して改札を通っていました(笑)。
今度は忠孝復興の駅で降り、新しくできたSOGOへ。
もともとこの駅の交差点にはSOGO(日本のそごう百貨店)があったのですが、なんとその斜め向かいに新しい、そしてかなり大きなSOGOがまたできていたのです。
三越といいそごうといい、なぜ同じ場所に何軒もどんどん建てる・・・
9階までがお店の店舗で、10階以上がレストラン街のようです。
9階に上って驚きました。
広いフロアの3分の1ほどが吹き抜けになっており、天井には天の川が、フロアには巨大な日本庭園が・・・・
すげ~~
ウエッジウッドのカフェもありました。
古いSOGOの地下2階で好きな銘柄のパイナップルケーキを買いました。
パイナップルケーキは山ほど有りますが、私はここのお店のが一番好きです。
紫色のパッケージが目印の、ジウ振南(ジウという字が変換できませんでした)というお店です。
1個30元とちょっと高めですが、とてもおいしいです。
それからSOGOの裏手にある牛乳大王で、木瓜牛ナイ(パパイヤミルク)を。
これもこのお店のが一番美味です。
またホテルに戻って王子をお風呂に入れ、ロビーまで迎えに来てくれた友達の小兎とディンタイフォンへ。
小兎は一軒目の乗馬クラブの元スタッフで経理をやっていて、あのクラブで一番の仲良しでした。
今は辞めてよそで働いています。
昔は王子は現地の同じ年の子供と同様に北京語がぺらぺらだったので、小兎にもとても懐いていましたが、日本に戻ってわずか半年のうちにあれよあれよと言葉を忘れていき、今ではほとんどわかりません。
本当に言葉は使わないと忘れていく。
でも、子供の方が忘れるのが早いです。
なので、タクシーの中やディンタイフォンでも、私たちが盛り上がっていても全く何を話しているのかわからなくなってしまった王子はぜんぜんしゃべらず借りてきた猫のようになっていました。
ディンタイフォンは日本にも支店のある小龍包のおいしい有名なお店です。
小兎は一度も食べたことがないそうです。
なぜなら、おいしくないと聞いているから、だそうです。
確かに値段も高いので、現地の若い子はわざわざやってこないかもしれません。
小兎は、クラブハウスは立派になったけれど、どんどんイントラやスタッフが辞めて行き、昔は楽しかったのに楽しくなくなったので辞めたといっていました。
有名なイントラが辞めていったので(一人だけ馬場の有名な選手は残っていましたが)、お客もどんどん減ってしまった。
なのでレストランも取り壊され、スタッフも減らされたと。
確かに昔は常時2、3人いた受付の小姐たちも一人もいなくなっていて、レストランで働いていた小姐が受付にいたし、たくさんいた営業スタッフもほとんどいなかったし、お客もいなかったし・・・
小兎が言うには、藍先生はオーナーと意見が対立してよそのクラブに行ったけれど、その後またそこから違うクラブへ行ったそうです。
なので昼間私がクラブのスタッフから聞いたクラブにはもういなくなっているとか。
私が一度だけ、自分の先生が遅刻した日に習った若いイントラも、藍先生が連れて行ったそうです。
そしてトップコーチのアーミンは、もう一人のイントラを連れて出て自分のクラブを作ったとか。
でもほとんど生徒を取らず、自馬ばかりの小規模なクラブだそうです。
そのほかのイントラの行った先のことも聞きました。
皆ばらばらになってしまってさびしいです。
彼女も昔のクラブが好きだったので、楽しくなくなって辞めたといっていました。
もし今、台湾に戻るとしたら、どこへ行けばいいのかしら・・・と、意味のないことまで考えてしまいました。
ずっと、戻れるならあのクラブへ、と思っていたので。
3年ぶりに会った小兎は、前と変わらず常に優しく、気遣いにあふれていて、楽しい時を過ごせました。
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