足袋の街、埼玉県行田市。NPO法人”ぎょうだ足袋蔵ネットワーク”では、老舗足袋商店牧野本店の土蔵と工場を借用して改装。「足袋とくらしの博物館」として、昭和初期の足袋産業全盛時代の工場を丸ごと再現している。土日祝のみの公開で、今回やっと中に入ることができた。
二階建ての木造洋風建築。
1台のモーターで多数のミシンを駆動。
↓工程ごとに分業生産されていた。展示で再現。
↓⑤の掛け押え。かかと部分。
↓⑦甲馳(こはぜ)付
↓奥ではミシンの調整を行っていた。
↓2F展示へ
行田市では江戸時代前期に足袋作りが始まっている。周辺地域で原料となる綿栽培や青縞の生産が盛んだったことが背景にある。
江戸時代中期に足袋づくりが盛んになる。手ぬいでの足袋づくりと道具↓
↓大正時代初頭ごろの行田の足袋商店。
↓明治時代になってミシンが導入された。これは初期のミシン。
↓機械化が進み生産体制が近代化される。
最盛期の昭和13年には約200社の足袋商店が操業、年間約8500万足を生産する日本一の足袋のまちに。
しかし、昭和30年前後を境にナイロン靴下の普及や洋装化の進行などで徐々に衰退。現在では約20社あまりが生産・販売に携わっている。
↓特級品
◇「見学のしおり」を参考に記事を構成。
◇幼少の頃、家にミシンがあったのでとても親近感を持って見ることができた。
◇マーケティングに出てくる製品のライフサイクル、導入~成長~成熟~衰退を目の当たりにした印象。
TV化された小説「陸王」は、衰退期にあった足袋を再び導入期へ回帰させる試みだったのでは??