埼玉県比企郡嵐山町大蔵。現在の大倉神社は大蔵館跡。
源頼朝や義経の祖父、源為義。この源為義の次男で木曽義仲の父が源義賢(よしかた)。嵐山町大倉に居をかまえた。
↓実際の館跡は神社より広く約4万平米あったと言われる。今でも周辺地域で土塁の跡が確認できる。
↓それにこの大蔵周辺は、鎌倉街道と都幾川が交わり交通の便が良かった場所。
↓学校橋と都幾川
↓1155年、大倉の合戦で甥の源義平に討たれ悲運の最期をとげる。
↓その墓も大倉にある。
↓古式五輪塔。一部は復元。密教の宇宙観に基づいて上から「空・風・火・水・地」となっている。
↓お墓の近く
↓こちらも近くの大行院
↓源義賢(よしかた)菩提所とある。
↓源氏家臣の供養塔も
↓源義賢が大倉合戦で亡くなった時、子供の駒王丸はまだ二歳。木曽に送られ木曽義仲となる。
↓嵐山町にある鎌形八幡神社。
↓ここの水で産湯をつかったとされる
↓確かに今でも清水が湧き出している。
↓源氏の氏神とも言われている。
↓龍の彫り物
↓鳳凰
↓一時は木曽義仲の勢いがあったものの
↓後白河法皇の策略にひっかかり
↓31歳で壮絶な戦死。
この後比企氏も・・。大河ドラマがこれから悲劇を描くはず。