瑞原唯子のひとりごと

「ピンクローズ - Pink Rose -」第18話 束の間の依存

「お母さま、私、今日はラウルに夕食をご馳走になるの」
 よく通る澄んだ声が、広い部屋に響く。
 授業を終えたレイチェルは、ラウルとともに階下に降りると、居間の扉を開けるなりそう言った。さらりと金の髪を揺らしながら、屈託のない笑顔を見せている。
「レイチェル、あなた、また我が侭を言ったのね」
 母親のアリスは溜息をついてソファから立ち上がり、まっすぐレイチェルの方に足を進めた。そして、彼女の背後に立っていたラウルを見上げると、僅かに首を傾げて尋ねる。
「ラウル、いいの?」
「……構わん」
 ラウルは無表情のまま、感情のない声で短く答えた。
「じゃあ、今回はよろしくお願いするわ」
 アリスは申し訳なさそうに会釈した。それから、再びレイチェルに視線を移すと、表情を引き締め、毅然とした声で言いつける。
「レイチェル、あまり遅くならないうちに帰ってきなさい。明日の準備もあるんだから」
「はい、お母さま」
 レイチェルははきはきと聞き分けのよい返事をした。

 風が緩やかに吹いている。
 人通りの少ない裏道に立ち並んだ緑の木々は、微かなざわめきを奏でながら、燦々と降り注ぐ陽光を浴びてきらきらと輝いていた。その上方に広がる鮮やかな青空には、薄い筋状の雲がかかっている。そろそろ夕刻に差しかかろうという時刻だが、その光景には早朝のような清々しさがあった。
 ラウルとレイチェルは、いつものようにその裏道を並んで歩いていた。
「私がおまえに夕食をご馳走するのか?」
「ええ」
 ラウルが横目を流して尋ねると、レイチェルは声を弾ませて当然のように返事をした。後ろで手を組み、心地よさそうに空を見上げている。軽い足どりに合わせて、薄水色のリボンが小さく揺れた。
「おまえからは何も聞いていなかったぞ」
「先にお願いしたら断られてしまうでしょう?」
 そう言ってラウルに振り向くと、眩しいくらいの笑顔を浮かべる。
 やはり、そうだったのか――。
 言い忘れていたわけではなく、あえて言わなかったのだ。普通に頼めば断られることではあるが、いきなり母親の前で決定事項のように言ってしまえば、話を合わせてくれるのではないか――そんなふうに計算したに違いない。稚拙だが効果的な作戦である。それがずるいことだとは、彼女自身は少しも思っていないのだろう。無邪気な笑顔に毒気を抜かれ、怒る気も失せてしまった。
「今日だけだぞ」
「ありがとう」
 アリスに意思を尋ねられたとき、そんな話は聞いていないと冷静に突っぱねることはできた。そうすることなくレイチェルの作戦に乗ったのは、自分も心のどこかでそれを望んでいたからに他ならない。いや、以前の自分であれば、たとえ望んでいたとしても拒絶したはずだ。これ以上、彼女との距離を縮めるわけにはいかないのである。
 なのに――。
 ラウルは空を見上げて目を細めた。緩やかな風に吹き流され、焦茶色の長髪がさらさらと音を立てて揺れた。

…続きは「ピンクローズ - Pink Rose -」でご覧ください。

ランキングに参加しています

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「小説」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事