瑞原唯子のひとりごと

「伯爵家の箱入り娘は婚儀のまえに逃亡したい」番外編 伯爵家の次期当主はすこしだけ恩人の恋心に報いたい



「おまえ、来週末から里帰りするんだってな」
 文官のアーサー・グレイが王宮にある事務室で書類仕事をこなしていると、騎士団所属のリチャード・ウィンザーがいつものようにふらりとやって来て、締まりのない笑顔でそんなことを言う。
 こう見えて彼は公爵家の嫡男である。おそらくいずれ爵位を継ぐのだろうが、にもかかわらず騎士という危険な職業に就き、二十代後半になるのにいまだに結婚もせず自由にしているのだ。
 そんな彼に思うところはありつつも嫌いになれない。アーサーにとってはパブリックスクール時代の同級生であり、誘拐された娘を救出してくれた恩人でもあり、いまは友人とも呼べる間柄だ。
 ただ——彼のほうは、どうやら友情以上の感情を持っているらしいのだ。
 あまりにも態度がわかりやすくて周囲はだいたい察しているのだが、それでも本人は何も言おうとしないので、アーサーも知らないふりをしてあくまで友人として接しようと決めている。
「ええ、二週間ほど帰ってきます」
「俺もついていっていいか?」
「……前回もお断りしたはずですが」
「まだダメなのか?」
「ええ」
 シャーロットに誘拐事件のことを思い出させるわけにはいかない。あれから一年近くになるのでそろそろと思ったのかもしれないが、アーサーとしては危険性のある物事はすべて排除しておきたいのだ。
 リチャードは落胆した様子を見せながらも、すぐに気を取り直す。
「じゃあ、里帰りのまえにちょっと時間をくれないか? おまえを連れて行きたいところがあるんだ。おかしなところじゃないから心配しなくていい」
「……わかりました」
 どこへ連れて行くつもりなのかは気になるが、彼の口ぶりからすると秘密にしておきたいのだろう。その意思を尊重して聞き出すことなく承諾の返事をする。それができる程度には彼のことを信用していた。

 次の休日、迎えに来たリチャードに連れられて徒歩で街に向かう。
 どこへ連れて行かれるのかはまだわからないものの、店とだけは聞いている。貴族や富裕層向けの店が建ち並ぶエリアに入っていき、しばらくすると彼が前方を示しながら笑顔で振り向いた。
「あの店だ。先月できたばかりの喫茶店だから、おまえはまだ知らないだろう? 紅茶にこだわってるらしくて、めずらしい茶葉がたくさんあるし、淹れ方にも妥協がなくて美味いんだ」
 紅茶が好きなアーサーに喜んでもらおうと思ったのだろう。その健気さが、不覚ではあるがすこしかわいいと感じてしまった。もちろん表情にも態度にもいっさい出さなかったけれど。

 その喫茶店は、一見、店舗というより邸宅のようだった。
 看板すら出ておらず言われなければ喫茶店と気付けないだろう。中もまるで談話室のようで、暖色の灯りのなかでゆったりと落ち着けるしつらえになっている。アーサーたちは奥のほうに案内された。
「お伺いしていたとおりでよろしいですか?」
 執事姿の男性店員がそう尋ねると、深く椅子に腰掛けたリチャードはよろしく頼むと応じ、その店員が下がったところで正面のアーサーに向きなおる。わかりやすく得意げな顔をして。
「俺のおすすめを出してくれるよう頼んであるんだ。きっとおまえも気に入ると思う」
「それは楽しみですね」
 彼が強引なのはいまに始まったことではない。
 アーサーとしてはメニューを見てみたかった気持ちもあるが、またいずれ来ればいいだろう。いまは彼がそこまでして勧めるものに純粋に興味を持っていた。

「お待たせしました」
 仕事や同僚のことなどについて閑談していると、執事姿の男性店員が紅茶と焼き菓子を持ってきた。流れるような美しい所作でローテーブルに並べていき、一礼して下がる。
「まずは紅茶を飲んでくれ」
「……いただきます」
 期待をこめた目でリチャードが見つめている。アーサーは落ち着かない気持ちになりながらも、ティーカップを手に取った。
 これは——。
 ふわりと鼻をくすぐるさわやかな香りにハッとした。ティーカップに顔を近づけてあらためてその香りを確認し、口をつける。
「……ベルガモットですね」
「さすがだな」
 正解だったようで、リチャードがそう応じてニッと口元を上げる。
 最近、花の香りをつけたフレーバードティーが流行っているが、ベルガモットの香りは聞いたことがなかった。自国で栽培していないこともあって高価なのだ。それを紅茶に使うだなんて贅沢なことをするものだと驚く。だが——。
「あなたが勧めるだけのことはありますね。紅茶とうまく調和した上品でナチュラルな香り、あまり癖がなく紅茶のコクを感じられる味。これほど上質のフレーバードティーは初めてです」
「だろう?」
 彼はうれしそうにパッと顔をかがやかせて、前のめりになる。
「東方の小国で最近作られるようになったものでさ。ここのオーナーはもともと貿易関係の仕事をしていて、その伝手で輸入しているらしくて。この国ではいまのところここでしか扱っていないんだ」
 そう語ると、彼自身もようやく自分の紅茶に口をつけて、あらためて満足そうな笑みを浮かべた。

「そういえば、シャーロットはもう学校へ行く年齢じゃないのか?」
 のんびりと紅茶を楽しみながら閑談をつづけていたところ、里帰りの話題になり、その流れで思い出したようにリチャードがそう切り出した。アーサーはそっとティーカップを置いて答える。
「学校には行かせていません」
「だろうな。でも家庭教師はつけてるんだろう?」
「ええ」
 もともとは王都の学校に通わせるつもりでいたが、誘拐事件に遭ったことにより心配で外に出せなくなったのだ。学校を楽しみにしていた娘には申し訳なく思うが、身の安全には代えられない。
 とはいえ家庭教師には学校教育にない利点もある。子供と相性のいい優秀な家庭教師を選定できるし、理解度に応じて授業を進めていけるし、カリキュラムを自由に設定することもできるのだ。
「学校教育以上の教養を身につけさせるつもりです」
「それを聞いて安心したよ」
 ティーカップを置いてリチャードはふっと笑う。
「一般教養だけでなく、領主の仕事についてや、政治的なこと、主要な貴族の情報なんかも教えておくといい。あとダンスもひととおり踊れるようにしておけよ」
「そうですね……」
 やけに具体的だが、おそらく貴族に嫁ぐことを想定しての助言だろう。シャーロットのためを思えば確かに必要かもしれない。ただ——。
「ん、どうした?」
 微妙な顔をしてうつむいていると、リチャードが不思議そうに覗き込んできた。思わずアーサーは重い溜息をつく。
「あなたに男親の心情はわからないでしょうね」
「まさか嫁に出さないとか言うんじゃないだろうな」
「いえ……」
 さすがにそこまでのことをするのはシャーロットのためにならない。いつまでも娘として当家にいてほしい気持ちはあるが、適切な頃合いに大切にしてくれるところへ嫁がせるべきだろう。
「ただ、成人するまでは何も考えたくありません」
 そう答えると、ハハハッとおかしそうにリチャードが声を上げて笑った。
 あなた自身の結婚こそ早く考えるべきではありませんか——すこしムッとしてそう言いかけたものの、すんでのところで飲み込む。アーサーがそれを言うのはさすがに残酷だろうと思った。

 紅茶が尽きたころ、リチャードがふいに手を上げて執事姿の男性店員を呼んだ。何かを頼んだようで、いったん奥に下がった店員がすぐに紙袋を携えて戻ってきた。
「これ、おまえに」
「えっ」
 リチャードはその紙袋を受け取ったかと思うと、アーサーに差し出した。
 いささか困惑しながら紙袋の中を覗いてみたところ、茶葉の詰まった小瓶が三つ入っていた。かすかに鼻をくすぐる香りから察するに、これもベルガモットのフレーバードティーなのだろう。
「オーナーに無理を言って分けてもらったんだ」
「あの……このような貴重なものをいただく理由がないのですが」
「おまえ、あいかわらず堅いよなぁ。水くさいこと言うなよ」
 リチャードが眉をひそめて言う。
 だが、彼の恋心に応じる気はないのに、素知らぬ顔で高価なものをもらうのはやはり抵抗があった。だからといってせっかく用意してくれたものを断るのも悪い気がして、目を伏せて逡巡する。
「……わかりました。これはありがたくいただくことにします。領地に帰ったら御礼をかねて何かおみやげを買ってきましょう」
「ああ」
 うれしそうに彼の顔がほころんだ。こんな無防備な笑みを他のひとに向けたところは見たことがない。何ともいえない複雑な気持ちになりながら曖昧に目をそらす。
「あ、シャーロットの写真も頼むな」
「またですか?」
「俺にとっては特別な子なんだよ」
 自分が救出した子ということで本当に特別に思っているのかもしれないし、アーサーの気を惹くためにそう言っているだけかもしれないが——。
「わかりました」
 いずれにしても、恩人である彼が望むのなら写真を渡すことに異存はなかった。

 喫茶店を出ると、西の空はすでにやわらかい茜色に染まっていた。頬をなでる空気はすこし冷たい。このところ朝晩は日に日に涼しくなっており、否応なく季節の移り変わりを感じさせられた。
「けっこう冷えるな」
「ええ」
 二人はとりとめのない話をしながら歩き出す。
 やがて住まいであるタウンハウスの前まで来ると、アーサーは足を止め、あらためて隣のリチャードに向きなおり茶葉の礼を述べた。彼はたいしたことではないかのように軽く笑って応じる。
「おまえが里帰りから戻ってきたら、またゆっくり話そう」
「はい」
 じゃあなと片手を上げながら身を翻した彼に、アーサーは一礼する。
 その後ろ姿はいつもよりこころなしかゆっくりと遠ざかっていく。まるで後ろ髪を引かれているかのように。アーサーは目を細め、茶葉の入った紙袋を抱えたままじっといつまでも見送った。




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