瑞原唯子のひとりごと

「伯爵家の箱入り娘は婚儀のまえに逃亡したい」番外編 公爵家の騎士団長は新妻のいとこを牽制したい



 それは、休日の朝に響いた呼び鈴から始まった。

 常識的にいって来客にはすこし早い時間だ。約束もなかったので、執事に対応を任せて妻のシャーロットとゆっくりダイニングを出ると、そのとき玄関のほうがやけに騒がしいことに気がついた。
「さっきの来客か……君はここにいて」
「はい」
 シャーロットを残し、いささか緊張しながら玄関の様子を見に向かう。よほどの馬鹿でもないかぎり、正面きって公爵家に殴り込みには来ないだろうが、よほどの馬鹿はいつの時代にもいるのだ。
「僕はシャーロットと話をしたいだけなんだ!」
 耳に届いた名前にドキリとする。
 そこには十代半ばくらいの見知らぬ少年がいた。執事が丁寧にお引き取り願っているにもかかわらず、しつこく食い下がっている。しかし気配を感じたのかふとこちらに目を向けると、ハッと息を飲む。
「おまえがリチャード・ウィンザーだな!」
 そう指差しながら叫んで駆け出そうとしたものの、一瞬で執事に組み伏せられた。腕を取られたまま硬い大理石の床に押しつけられて、苦しそうに顔をしかめて呻く。
「えっ、アレックス?!」
 声を上げたのはシャーロットだ。向こうにいるよう言い置いたはずだが、自分の名前が聞こえたので来てしまったのだろう。リチャードの後ろで、組み伏せられた少年を目にしたまま唖然としている。
「知り合い?」
「いとこです」
「ああ……」
 リチャードは溜息をつき、組み伏せられた少年を横目で見ながら腕を組んだ。

 アレックス・グレイ——。
 父親はグレイ伯爵家の次男として生を受けたが、爵位を得ていないため、息子のアレックスはあくまでも平民である。ただ金銭的には余裕があり、何不自由ない恵まれた暮らしを送っている。
 シャーロットのいとこで現在十四歳。
 幼少期には父親や母親に連れられて頻繁にグレイ邸を訪れていた。二歳下の弟が生まれてからは、弟も一緒のことが多かった。二人ともシャーロットの貴重な遊び相手だったと推察される。
 四年前、十歳からは王都の全寮制パブリックスクールに在籍している。成績は中の上。素行もまずまず。ただ行事においても勉学においても積極性は見られず、基本的に指示に従うだけである。

 それが、リチャードの記憶にあるアレックス・グレイの情報だ。
 婚姻にあたり、グレイ伯爵家と親類縁者については調査したので、いとこである彼のこともひととおり頭に入っている。ただ、顔までは知らなかった。報告書に写真はなかったし会う機会もなかったのだ。

 応接間のソファで腕を組んだまま小さく溜息をつくと、向かいの彼はビクリとした。
 約束もなく押しかけてきたのだから追い出してもよかったが、後日また来られても面倒なので、とりあえずシャーロットとともに話を聞くことにしたのだ。後ろには執事と侍女が控えている。
「それで、アレックス、君はどういう用件で来た?」
「……シャーロットと二人だけで話をさせてほしい」
「話ならここでしろ」
 ついリチャードはきつい口調で返してしまった。幼なじみであろうがいとこであろうが異性なのだ。どうあっても二人きりになどできるはずがない。圧倒されたようにアレックスは顔を硬くしてうつむいた。
「二人だけというのは無理だけど、いまここでなら聞くわ」
 シャーロットがあらためてそう静かに声をかけると、彼は下を向いたままわずかに眉をひそめて逡巡し、やがてそっと口を開く。
「本当に結婚したんだね」
「ええ」
 緊張からか、怒りからか、アレックスの体にグッと静かに力が入った。膝の上のこぶしも強く握り込まれていく。
「どうして教えてくれなかったの?」
「ご実家には招待状を出したわよ」
「僕は聞いてないっ!」
 はじかれたように顔を上げて彼はそう声を上げた。訴えかけるような、どこか泣きそうなまなざしでじっとシャーロットを見つめる。それでも彼女は揺らがなかった。
「それは、ご実家のほうの問題ね」
「個人的に教えてくれてもよかっただろ」
「どうして?」
 ただ純粋に疑問を呈され、アレックスは返す言葉をなくしてしまったようだ。つらそうな顔を隠すようにうつむいていく。膝の上のこぶしはかすかに震えているように見えた。

 なるほどな——。
 アレックスの両親からは、息子は学校があるので結婚式を欠席すると聞いていた。そのときは特に疑問に思わなかったのだが、結婚することすら伝えていなかったとなると、学校は口実なのだろう。
 彼はおそらくシャーロットに恋心を抱き、執着している。
 両親もそれを知っていたのだ。だから縁談を妨げるようなことをしでかすのではないかと危惧し、結婚式が終わるまで秘密にしていたに違いない。そしてそれは賢明な判断だったと言える。

「駆け落ちでもするつもりだったか」
「かっ……?!」
 鎌をかけてみると、彼はぶわりと顔を赤らめて動揺した。
「そんなんじゃない! 僕はただシャーロットを救いたかっただけだ! 貴族の結婚は親が決めるものだって話は聞いてたけど、いくらなんでも幼女趣味のおっさんに嫁がされるなんてあんまりだろ!」
 おっさんはともかく幼女趣味ではない。
 いったい彼はどこでそんなことを聞いたのだろう。否定したいが、下手に触れると藪蛇になりかねない。隣ではシャーロットがうつむきながら笑いをこらえていて、じとりと横目を送る。そのとき——。
「シャーロット、僕が守るから離婚しよう!」
「えっ?」
 ダンッとローテーブルに手をついて身を乗り出したアレックスが、そんなことを言い出した。驚いて目をぱちくりさせるシャーロットを覗き込むように見つめる。思わずリチャードは彼の顔面をつかんで力尽くで押し戻した。
「ぶっ……、何するんだ!」
 アレックスは背中からソファに落ち、威勢よく喚きながら体を起こしてキッと睨めつける。リチャードはわずかに顎を上げて冷ややかな視線を返した。
「あまり調子に乗るなよ」
「公爵だか何だか知らないけど恥ずかしくないのかよ! 同級生だったアーサー伯父さんの娘に目をつけて、差し出させるなんて! しかも国王命令で断れないようにしたとか卑怯だろ!」
 そんなことはいまさら言われるまでもない。すべて自覚したうえでの行動だ。まじろぎもせずアレックスを見据えつづける。
「権力だろうが、縁故だろうが、自分が持っているものを使って何が悪い」
「シャーロットやアーサー伯父さんの気持ちを無視しておきながら最低だな!」
「君に責められる謂われはないな」
 そう受け流すと、腕を組みながらソファの背もたれに身を預ける。
「そんなに大事ならとっとと婚約すべきだったんだ」
「えっ?」
「どうせシャーロットと会える立場に甘えて何もしてこなかったんだろう。シャーロットに好きになってもらう努力も、アーサーに認めさせる努力も。なのに他の男にさらわれて慌ててピーピー喚き立てるのは恥ずかしくないのか?」
 もしウィンザー公爵家が縁談を持っていくまえに正式に婚約していたなら、リチャードはあきらめるしかなかっただろう。さすがに婚約を解消させるような非道な真似まではしない……多分。
「どのみちもう手遅れだ」
 そう告げると、彼は羞恥のにじんだ顔をくやしそうにゆがめて目を伏せた。それでもリチャードは追撃の手を緩めない。
「シャーロットはすでに正式に私の妻となっている。離縁も絶対にしない」
 可能性など微塵もないのだと思い知らせるように、力強く宣言する。
「君とは姻戚関係だから今回は大目に見るが、今後シャーロットにつきまとい離縁をそそのかすようなことがあれば容赦しない。公爵家を敵にまわせばどうなるか一家で思い知ることになるだろう」
「えっ……」
 驚いたアレックスから血の気がひいていく。
 返事はなかったが、ここまで言えばもう馬鹿な真似をしようとは思わないはずだ。たとえ何か仕掛けてきても退けるまで。いかなることがあってもシャーロットだけは手放さない。絶対に——。

「アレックス」
 執事に促されて玄関からとぼとぼと出て行こうとする彼に、シャーロットが後ろから声をかけた。ほんのわずかに振り向いた生気の感じられない横顔を見て、彼女は申し訳なさそうに薄く微笑む。
「わたし、リチャードが好きなの。いまとても幸せよ」
「……そう」
 アレックスは顔をそむけてぽつりと一言だけ返した。そのまま弱々しい足取りでふらりと出て行き、見るからに打ちひしがれた後ろ姿が遠ざかっていく。執事はゆっくりと扉を閉めた。

 はぁ——。
 リチャードは大きく息をつきながら、後ろから寄りかかるようにしてシャーロットを抱きしめた。腕の中におさまる柔いぬくもりに、確かにシャーロットはここにいるのだと実感してほっとする。彼女はされるがまま受け入れてくすくすと笑った。
「すこし大人げなかったんじゃないかしら」
「不安なんだよ」
 拗ねたような声で弱音を吐露する。
 彼女が心変わりするなどと思っているわけではないが、それでもアレックスと自然体で話しているのを見ていると、冷静ではいられなかった。年齢的には彼のほうがつりあっているからなおのこと。
 そんな心の機微をどこまで察しているかはわからないが、背後からまわしたリチャードの手に、彼女はそっとやさしくなだめるように自分の手を重ねた。そこから不安がほどけていくのを感じたが——。
「アレックスは騎士を目指しているの」
「へぇ……」
 いきなり何の脈絡もなく爆弾を落とされて、低い声が口をつく。
 おそらく騎士に憧れるシャーロットの気を惹こうとしていたのだろう。それなりに努力はしていたらしい。彼女の結婚を知ったいまはもうあきらめていると思いたいが、不安は残る。
「もし騎士になったら、あなたの部下になるのかしら」
「まあ、そうだな……」
 とはいえ騎士団長の自分と直接的に関わることはあまりないはずだ。それでも顔は合わせるだろうし、もしかしたらシャーロットともそういう機会があるかもしれない——思わず渋い顔になったそのとき。
「あまりいじめないでくださいね?」
 彼女がちらりと振り向いて小首を傾げた。
 その言い方に、仕草に、表情に、一瞬で毒気を抜かれてしまった。ペリドットのような緑色の瞳を見つめ返したまま、うっすらと微笑んで口元を上げる。
「どうかな、俺は大人げないから」
「まあ」
 シャーロットは再びくすくすと笑い出した。
 そのぬくもりを感じながら、リチャードは閉じ込めた両腕にやわらかく力をこめる。執事がわざとらしく咳払いするのが聞こえたが、素知らぬふりをして彼女のこめかみに口づけを落とした。





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