リックにはそれがもどかしかった。よほどおせっかいを焼こうかと思ったが、ふたりで解決すべき問題だと思い直し、この空気に耐えることにした。
「アンジェリカ」
放課後になり、ジークはようやく切り出した。いつになく固いその声に、彼女はびくりとした。だが、それを悟られないよう平常を装った。
「……なに?」
「話がある。ちょっと付き合ってくれ」
ジークは視線を外し、ぶっきらぼうに言った。アンジェリカは、彼の横顔を見上げた。
「私も、話があるの」
「あ、ああ……」
ジークは彼女に背を向け、口ごもりながら返事をした。
リックはにこにことして、その様子を見守っていた。ジークはそれに気がつくと、後ろから乱暴に彼の首に腕をまわした。そして、ぐっと力をこめ、首を絞めるようにして耳打ちした。
「おまえ、ついて来るなよ。絶対に、来るんじゃねぇぞ」
「そんな野暮なことはしないよ」
リックは苦しそうに笑いながら、声をひそめて言った。
「おまえには覗きの前科があるからな。クギ刺しとかねぇと」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。あれは出ていくタイミングが掴めなかっただけだって」
以前、ジークとセリカが話しているときに、リックがこっそりと隠れて聞いていたことがあった。ジークは、そのときのことをまだ根に持っているようだった。大雑把な性格のわりには、細かいことをいつまでも覚えている。リックは苦笑いした。
「とにかく、来るんじゃねぇぞ」
ジークはもういちど念押しすると、リックを解放した。そして、ポケットに両手を突っ込むと、アンジェリカの前を足早に横切った。
「行くぞ、アンジェリカ」
扉に手を掛けると、後ろでぼんやりしていた彼女に声を掛けた。
「あ、うん」
アンジェリカは小走りで彼のあとを追っていった。
ふたりはアカデミーを出て、無言で歩き続けた。ジークはポケットに手を突っ込んだまま、無表情で歩を進める。アンジェリカは、彼がどこへ向かっているのか気になったが、尋ねることはできなかった。
突然、視界が広がり、風が吹き上げた。
アンジェリカは短いスカートを押さえながら、ぐるりと見渡した。
「ここって……前に来たところね」
下方に広がる白い川原と透明なせせらぎ。上方に広がる青い空。それらが交わる場所を、沈みゆく太陽が朱色に染め上げている。細やかに揺れる水面がきらきらと輝きを放ち、緩やかな流れがさらさらと上品な音を立てている。
「覚えてたのか」
ジークは薄汚れたガードパイプに手を掛け、振り返った。
「忘れるわけないじゃない」
彼女も並んでガードパイプに手を置いた。にっこり笑って彼を見上げる。
「試験中だったのに、ジークに言いくるめられて連れてこられたのよね」
「言いくるめてって何だよ」
ジークは少し頬を赤らめながら言い返した。
「あのときは確か、ふたりとも転んで水をかぶって……」
アンジェリカはそこまで言うと、急にうつむき口をつぐんだ。ジークも同じようにうつむいた。ガードパイプに掛けた手に、ぐっと力を込める。そして、川原へと続く石段を無言で降り始めた。アンジェリカも黙ってそのあとに続いた。
「座れよ」
ジークは下から二段目の石段に腰を下ろすと、その隣をパンパンと叩いた。アンジェリカはこくりと頷くと、スカートの後ろを押さえながら素直に座った。しかし、そこは二人が並んで座るには狭い場所だった。少しでも動くと、腰や肩が触れてしまう。ふたりはぎこちなく体をこわばらせた。
「ジーク」
アンジェリカは下を向き、膝を抱えたまま呼びかけた。彼は、視線だけを彼女に流した。
「私の話から聞いてほしいの。いい?」
「ん、ああ……」
そういえば、彼女も話したいことがあると言っていた。ジークは自分のことに精一杯で、今まですっかり忘れていた。何の話だろうか、急に不安が沸き上がってきた。
アンジェリカは意を決したように、ジークに振り向いて言った。
「ごめんなさい、わたし、うそつきなんてひどいことを言ってしまって」
「ああ、そのことか」
ジークは前を向いたまま、固い声で言った。すぐ横に彼女の顔がある。近い。動くことも目を向けることもできない。
「別にそんな気にしてねぇよ。俺も悪かったし」
「本当に?」
アンジェリカは首を伸ばし、さらに顔を近づけた。ほとんどジークの肩に寄りかかるような格好になっている。
「ああ」
ジークは息が止まりそうになりながら、ようやくそれだけの返事をした。
「よかった」
アンジェリカは短いスカートをひらめかせながら、軽やかに川原におりた。そして、後ろで手を組むと、くるりと振り返った。心のつかえがとれたように、屈託のない笑顔を見せている。
ジークはほっと息をつき、少し疲れた顔で笑った。それから、斜め下に視線を落とすと、ぽつりと尋ねかけた。
「ひとつ、聞いてもいいか?」
「なに?」
「うそつきって、どういう意味で言ったんだ?」
「あ、それは……」
アンジェリカは口ごもりながら目を伏せた。
「ひいおじいさまの話が……私とは関係ないって言ったから……」
どこか不安定な表情で、自信なさげにとつとつと言葉を落としていく。
「だよな、そうだよな」
ジークは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。膝に腕をつき深くうなだれると、自嘲の表情を浮かべ、声なく笑った。
「じゃあ、次はジークの話」
アンジェリカは明るい声を作り、少しあわてたように話題を切りかえた。
ジークは体を起こし、まっすぐ彼女を見つめた。
「おまえがアカデミーに入学したのは、何のためだ」
「え?」
アンジェリカは首をかしげ、怪訝に彼を見た。怖いくらいの真剣な顔。彼女は気押されて息を呑んだ。そして、とまどいながら話し始めた。
「私のことを認めさせたかったから……。こんな髪で、こんな瞳だけど、私もラグランジェ家の人間だって、呪われた子なんかじゃないって、魔導の実力で証明したかった」
「証明して、どうするつもりだったんだ」
ジークは彼女を見据え、静かに尋ねた。アンジェリカは困惑して眉をひそめた。
「どうするって、別に……。ただ、見返したかっただけよ」
ジークは背中を丸め、大きくため息をついた。
「バカ。もっと考えてから行動しろよな」
「バカって何よ!」
アンジェリカはカッとして言い返した。腰に手をあて、口をとがらせ、ジークを睨む。だが、彼はうつむいたまま、ぽつりと言った。
「証明……しちまったのかもしれねぇな」
「えっ?」
「認める気になったかって聞いたら、当たらずとも遠からずって言ってたぜ、あのジイさん」
アンジェリカはきょとんとした。
「ひいおじいさまが……?」
「ああ」
「それってどういう意味かしら」
ジークは目を細め、暮れかかった空を見上げた。
「おまえの魔導の実力だけは認めたってことかもな」
「…………」
アンジェリカは複雑な表情で立ちつくした。後ろから風が吹き、黒髪をさらさらと舞い上げる。
ジークは空を見つめたまま、眉根を寄せた。
「もうすぐ正式決定になるらしいぜ。おまえが本家を継ぐって話」
「……そう」
彼女はたじろぎもせず、そのひとことだけを口にした。ジークはぐしゃぐしゃと頭を掻いた。
「だから、あれ、おまえが言ってたっていう遺伝子がどうとかって話、あれは違うんじゃねぇのか? もし異常があるんだとしたら、本家を継がせたりしねぇだろ」
アンジェリカは大きく瞬きをした。
「リックに聞いたの?」
「ああ」
確かに、口止めはしなかった。彼を責めることはできない。ただ、リックが口外するとは思わなかった。アンジェリカは何ともいえない顔で目を伏せた。
「心配してたぜ、あいつも」
ジークはそう言ってリックをかばった。だが、その表情は浮かないものだった。
「……なんでリックなんだよ。俺ってそんな頼りねぇか?」
アンジェリカは不思議そうに彼を見た。
「別に相談したわけじゃなくて、話の流れで言ってしまっただけなんだけど……」
「それにしてもだな」
ジークはそこまで言うと、顔をしかめて自分の額を叩いた。
「悪りィ。言いたいのはそういうことじゃなくてだな、とにかくおまえはどこも悪くなんかねぇってことだ」
「ひいおじいさまたちが気づいていないだけ、かもしれないじゃない」
「そんなに抜けてるヤツじゃねぇだろ」
「……だったらいいんだけど」
アンジェリカはあまり信じていない様子だった。後ろで手を組むと、敷き詰められた小石に踵を打ちつけた。ジャッ、と濁った和音を奏でる。
ジークは、彼女の言動に不安を掻き立てられた。
「おまえは望んでねぇんだろ、本家を継ぐなんてこと」
少し早口で尋ねかける。アンジェリカは目を細め、じっと彼を見つめた。
「……昔は、望んでいたかもしれない」
…続きは「遠くの光に踵を上げて」でご覧ください。
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