瑞原唯子のひとりごと

「オレの愛しい王子様」第5話 文化祭



「翼、それ三番テーブルな」
 創真が作業の手を止めることなく、用意したシフォンケーキセットを目線で示してそう言うと、燕尾服を着こなした翼は了解と答えてホールへ運んでいく。疲れなど微塵も感じさせない美しい所作で——。

 今日は、創真たちの通う桐山学園高等学校の文化祭である。
 創真たちのクラスは学食の一角で執事喫茶なるものをやっている。燕尾服などを着用した見目麗しい執事たちが、お嬢様やお坊ちゃまを屋敷内のティーサロンでおもてなしするというのがコンセプトだ。
 きっかけは、とある女子の提案だった。
 せっかく見目麗しい王子様がふたりもいるのだから活用しない手はない、絶対に執事喫茶をやるべき、私だけじゃなくみんな見たいはず、と鼻息荒く主張して、これがクラス内で過半数の支持を得たのだ。
 ただ、ティーサロンをどうするかが問題だった。教室や屋台では雰囲気が出ない。それなら学食を借りられないかという話になり、駄目元で学校側と交渉してみたところ許可が下りたのである。
 さすがに本物の執事喫茶のような豪奢な英国調ではないが、天井が高く、全面ガラス張りの窓からは庭が見渡せて、テーブルや椅子もシンプルながら洒落ていて、これはこれで悪くない雰囲気だろう。
 メニューはシフォンケーキと紅茶のみにした。シフォンケーキは洋菓子店からできあがりを仕入れたので、切って生クリームとミントの葉を添えるだけ、紅茶もティーバッグなのでお湯を注ぐだけである。
 創真は裏方で、シフォンの皿にミントの葉を添える担当だった。
 見目のいい男子は執事として接客を任されている。もちろん翼も東條もそちら側だ。ふたりがそろうのは十二時から十三時までということで、十二時すぎの今、かなりの待ち行列ができていた。

「わたくしの執事を呼んでちょうだい」
 どこか愉快そうな響きをはらんだ声が聞こえて入口に目を向けると、桔梗が堂々とした佇まいでそこに立っていた。その後ろには、不安そうな表情でチラチラとまわりを気にする綾音がいる。
 お待ちくださいとドアマンは恭しく一礼して呼びに行こうとするが、桔梗の声が聞こえていたのか、当の執事はすでに彼女たちに向かって颯爽と歩みを進めていた。そして正面ですっと足を止める。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
 その執事——翼は、どこか艶めいた笑みを浮かべて恭しく頭を下げた。

 そのまま、美しい庭の臨める窓際の席にふたりを案内する。
 そこは翼の要望により特別に予約席として空けられていた。綾音のためだが、表向きは姉の桔梗を招くためということになっている。綾音にいらぬ面倒が降りかからないよう配慮したのだ。
 桔梗が協力してくれたのは、彼女も幼なじみとして綾音のことをかわいがっているからだろう。さきほどの振る舞いからすると、翼をかしずかせてみたいという気持ちもあったのかもしれない。
「どうぞ」
 翼は流れるような所作ですっと椅子を引いて綾音を座らせ、続いて同じように桔梗も座らせる。そわそわした綾音とは対照的に、桔梗はさすが由緒正しい旧家のお嬢様だけあって堂に入っていた。
「お茶をご用意しますのでお待ちください」
「ええ」
「シフォンケーキはいかがいたしましょう?」
「いただくわ。綾音ちゃんも食べるわよね?」
「はい、お願いします」
 綾音が答えると、翼はふっとかすかに表情をゆるめる。できることならいつまでもそこにいたかったのだろうが、丁寧に一礼して下がり、裏方に注文を伝えてから他のお嬢様方の接客にまわった。
 それでも桔梗たちに向けられる視線がやむことはなかった。特別扱いされているからというより、桔梗の存在が原因のような気がするが、綾音は居たたまれないとばかりに身を縮こまらせる。
「みんな並んでるのに本当に良かったんでしょうか」
「翼が勝手にしたことなんだから気にする必要はないわ」
「でも断ったほうがよかったのかなって」
「私は午後公演の準備があるからそんなに待てないの」
「あ……それで翼くんはわざわざ席を……」
 そう誤解しても仕方のない流れだろう。もしかすると桔梗があえて誘導したのかもしれない。彼女は肯定も否定もせず、ただにっこりと華やかな笑みを浮かべて言う。
「そんなことよりせっかく来たんだから楽しみましょう」
「……そうですよね」
 綾音は表情をゆるめ、気を取り直したように明るい声でそう応じた。

「これ綾音ちゃんたちのところ」
 他のテーブルから戻ってきた翼に、二人分のシフォンケーキセットを差し出しながら言うと、翼はほんのりと頬をゆるませて了解と返事をした。すぐに表情を作り、それまでよりもいっそう流麗な所作で運んでいく。
「お待たせしました」
 涼やかに一礼すると、綾音と桔梗のまえにそれぞれシフォンケーキを置き、ポットの紅茶をティーカップに注いでその右側に並べた。
「ありがとう」
「ごゆっくりお過ごしくださいませ」
 翼が丁寧にお辞儀をして下がると、綾音はそれを見届けてからティーカップに手を伸ばし、向かいで姿勢よく紅茶を飲んでいた桔梗と会話をはずませる。
「これ渋みが少なくて飲みやすいですね」
「ええ、おそらくニルギリね」
「ニルギリって紅茶の種類ですか?」
「そうよ。産地の名前で呼ばれているの」
「初めて聞きました」
「まあアッサムほど有名ではないわね」
「翼くんが選んだのかな」
「くやしいけれどいい選択だわ」
 桔梗が肩をすくめてみせると、綾音もつられるようにくすくすと笑った。それからふたりで示し合わせたようにフォークを手に取り、シフォンケーキにすこし生クリームをのせて口に運ぶ。
「このシフォンケーキすごくおいしい」
「母がひいきにしている店の看板商品だわ」
「じゃあ、これも翼くんが選んだのかな」
「お店に無理を言っていないか心配ね」
「ふふっ」
 綾音は冗談だと思っているのだろう。
 しかし実際は桔梗の懸念どおりで、洋菓子店に無理を言ってシフォンケーキを作ってもらっていた。本来は店頭分しか作らないのだが、お得意様である西園寺の頼みなので特別にということらしい。
 そのうえ、価格もこちらの予算内に収まるように抑えてもらったという話だ。翼は交渉の結果だとあたりまえのように言っていたが、どのような交渉をしたのかは何となく怖くて聞けないでいる。

「綾音ちゃん、お待たせ」
 翼と創真は制服に着替えて、学食前の庭で待っている彼女のもとへ向かった。
 ふたりとも十時から十三時までの担当だったので、そのあと綾音と一緒にまわる約束をしていたのだ。彼女はこちらに気付くとふんわりと笑った。ちなみに桔梗は演劇の午後公演があるので準備に戻ったはずだ。
「お疲れさま。執事があんなにサマになるなんてさすが翼くんだね」
「ありがとう」
 翼はすこし照れたようにはにかんだ。綾音に見せるために引き受けたわけではないと思うが、綾音に見せるからこそここまで熱心に取り組んだのだろう。彼女の言葉で報われたに違いない。
「創真くんもギャルソンみたいな衣装すごく似合ってた」
「ああ……」
 壁で隔てられているわけではないので客からもキッチンは見える。それゆえ裏方も雰囲気を合わせるためにカマーベストを着用していたのだ。特に創真はカウンターにいたので見えやすかったのかもしれない。
 ただ、あまり似合っていないことは自分でわかっているので、無理して褒めてくれなくてもいいのにとすこし微妙な気持ちになった。もちろん他意があったとは思っていないけれど。

 三人はいろいろな食べ物の模擬店を見てまわる。
 翼が見たことのない女子をつれているからか、その子が有名女子校の制服を着ているからか、周囲からチラチラと好奇の目を向けられていた。だが、ふたりとも気にしている様子はない。
 綾音はただ単に気付いていないだけかもしれないが、翼が気付かないわけがない。いつもはファンサービスとばかりに笑顔を振りまいているのに、いまは綾音しか見る気がないのだろう。
「綾音ちゃん、何か食べたいものがあったら言ってね」
「んー、さっきのカラフルなお団子がちょっと気になるなぁ」
「じゃあ食べに行こう」
 翼は声をはずませ、綾音をエスコートしながら団子の模擬店へ向かう。創真はふたりの後ろをついて歩いた。ときどき綾音が振り返って微笑みかけてくれるが、翼には放置されている感じだ。
「ねえねえ、西園寺くんといるあの子、誰?」
 どこからかすすっと寄ってきた同じクラスの女子が、声をひそめて耳打ちするように尋ねてきた。その浮き立った声音から、嫉妬ではなく興味本位で詮索していることが窺える。
「オレと翼の幼なじみだ。つきあってるとかそういうことはない」
「そ、そうなんだ」
 知りたいであろうことを先回りして答えてやると、彼女はうろたえ、ごまかし笑いを浮かべながらそそくさと離れていく。向こうで友人たちと「幼なじみなんだって」と話している声が聞こえてきた。
 中学のときも目撃されて尋ねられたことがあったので、すでに知っているひともいると思うが、やはり知らないひとのほうが圧倒的に多いのだろう。これが広まって落ち着いてくれればと思う。
「いらっしゃいませ!」
 団子の模擬店につくと、三人がそれぞれ購入して窓際の席に座った。
 綾音が買ったのは、白い串団子に色とりどりの餡をかわいらしく盛り付けたものだ。いかにも女の子が好みそうな見映えで、彼女も例にもれずスマートフォンで写真を撮ってから食べ始めた。
「ん……これ、味もなかなかおいしいよ」
 気を遣っているわけではなく本当にそう思っているのだろう。彼女は団子を頬張ったまま幸せそうに顔をほころばせている。その姿を見つめながら翼は満足したように微笑んだ。
「気に入ってもらえてよかった」
「翼くんも創真くんも食べないの?」
「そうだね」
 ふたりして綾音の食べるさまを眺めていたが、彼女に促されてようやく自分たちも食べ始める。翼は綾音と同じカラフルな団子で、創真は五平餅だ。綾音は五平餅が気になるのかチラチラとこちらを見ていた。
「よかったら一口食べるか?」
「えっ?!」
 尋ねてみると、彼女はぶわりと顔を真っ赤にしてうろたえた。
 同時に翼がバッとすさまじい勢いで振り向いた。その一瞬、驚愕と憤怒の入り混じったような表情をしていたが、どうにか押し隠して、若干ぎこちないながらも平然とした顔を取り繕う。
「女の子に食べかけのものをあげるなんて失礼だぞ」
「口をつけていないところなら別に構わないだろう」
「ダメだ」
 その声には、あからさまに苛立ちがにじんでいた。
 どうせ綾音と親しくするのが面白くないだけだろう。もちろん本人が嫌なら無理強いするつもりはないが、翼に命令される筋合いはない。そんな反発心から思わずむすっとしてしまう。
「あ、あのね……!」
 自分をめぐる剣呑な雰囲気に困惑したように、綾音が声を上げた。
「創真くんが食べてるのは何だろうってちょっと気になっただけで、別に食べたかったわけじゃないから。黙ってじろじろ見ていたせいで誤解させちゃったんだよね。なんか、ごめんね?」
「あ、いや……こっちこそごめん……」
 創真は我にかえると急に申し訳なさを感じた。翼も気まずげに目を伏せる。
 そんなふたりを見て、綾音は心から安堵したようにほっと息をついた。そして、せっかくだから喧嘩しないで楽しく過ごそうよ、といつものように明るくほんわかと笑って言った。

「わ、もういっぱいだね」
 模擬店をまわったあと、三人は桔梗の演劇を見るために講堂へやってきた。
 開演まで十五分近くあるのに観客席はもう八割方埋まっており、熱気に満ちていた。そうこうしているあいだにも続々と席が埋まっていく。翼はざっとあたりを見渡すと、目標を定めたかのように迷いなく早足で歩き出した。
「すみません」
 翼はすこし屈んで、席に着いている女子生徒二人ににこやかに声をかける。相手はそれが翼だとわかるとひどく驚いていたが、翼は構わず話を進める。
「僕たち三人で座りたいので、よろしければひとつずつそちらに詰めてもらえませんか?」
「あ……はい!」
 女子生徒二人はそそくさとひとつずつ隣に移動した。
 己を最大限に利用したさすがとしか言いようのない手際に、創真は半ばあきれつつも感心する。とにかく三つ並んだ席が確保できたのだからありがたい。それも前方の中央寄りという見やすそうなところだ。女子生徒の隣に創真が、中央に翼が、その向こうに綾音が座った。
「綾音ちゃん、よかったら飲み物を買ってくるけど」
「私は大丈夫だよ」
 席に着いてからも、翼はかいがいしく世話を焼こうとしていた。というよりただ浮かれて構っているだけだろう。創真のほうには顔を向けようともしないで、綾音にばかり話しかけている。
 ようやく寂しい十五分が過ぎて、幕が上がった。
 物語は、中世ヨーロッパを思わせる架空の国を舞台とした恋愛活劇だった。主役ふたりの演技がとても上手く、剣術を中心としたアクションもあり、ドレスや騎士の衣装もなかなか立派で、エンターテイメントとして見応えがあった。観客の反応も上々で拍手がなかなか鳴り止まなかったくらいだ。
「面白かったね!」
 綾音も満足したらしく、講堂をあとにしながら興奮ぎみに声をはずませる。
「テンポがよくてドラマチックだったし、桔梗さんはすごく演技が上手だったし、ドレスのまま剣で戦うところとか、敵を前にして一歩も引かないところとか、気高くて格好良かったなぁ」
「桔梗姉さんのことだから、自分のやりたいこと見せたいことを詰め込んだだけだろう」
 翼は毒づくが、あながち言いがかりでもないかもしれない。
 なにせヒロインの令嬢がやたらめったら男前なのだ。特にドレスでのアクション、華麗な剣さばきは、桔梗でなければここまで魅力的に演じられなかった。自信があったからこそ入れ込んだのだろう。 
「肝心要のストーリーは薄っぺらで安直だったけど」
「そうかなぁ。わかりやすくてよかったと思うよ」
「まあ文化祭ならあのくらいでちょうどいいのかもな」
 確かに文化祭の観客はあまり演劇を見ない層がほとんどだろうし、重厚な物語だったらここまで盛り上がっていなかった気がする。エンターテイメントに振り切っていたからこそ満足度が高かったのだ。
「でも、あの桔梗姉さんがこんな話を書くとは思わなかったよ。純文学やミステリみたいな小難しい話が好きなひとなのに、まさかロミジュリもどきの恋愛活劇だなんて」
「ふふっ、確かに」
 綾音は笑いながら同意するが、ふいに小首を傾げると何か考える素振りを見せる。
「もしかして桔梗さん好きなひとがいるのかなぁ」
「さあ、恋愛にうつつを抜かすタイプではないと思うけど」
「そういうところを翼くんに見せてないだけかもよ?」
「想像もつかないな」
 翼は苦笑して肩をすくめた。
 別に桔梗に好きなひとがいてもおかしくないと思うが、そういう恋愛絡みの話はまったく聞いたことがないし、確かにあまり想像はつかない。
「恋愛かぁ」
 ふと綾音が思いを馳せるようにぽつりとつぶやく。
 まずいな——翼のまえで好きなひとについて尋ねられたら困る。そっと翼を窺うと、緊張した面持ちでチラチラと綾音を盗み見ていた。その綾音もどこか硬い表情で目を泳がせている。
 なんとなく気まずいような探り合うような空気ではあるが、藪蛇になりそうで触れることができない。ほかのふたりも同じだろう。創真は息を詰めてただ黙々と足を進めていたが——。
「飲み物を買ってくるよ。綾音ちゃんたちはこの辺で待ってて」
 翼は沈黙を破り、うっすらと微笑んでから校舎のほうへ駆けていった。
 創真は内心ほっとしつつ、通行の邪魔にならないよう綾音とともに端に寄った。木陰に並んで立ち、秋めいた風がゆるく頬を撫でるのを感じながら、行き来する人たちをぼんやりと眺める。
 そういえば綾音とふたりきりになるのはめずらしいな、と何気なく隣を見ると、たまたまなのかこちらを向いていた彼女と目が合った。彼女はすこし驚いたように瞬きをしたあと、くすりと笑う。
「せっかく一緒にいるのにあんまり話せてなかったね」
「まあな……でも、翼とはたくさん話せたから良かっただろう」
「うん、だけど創真くんともたくさん話したかったなって」
「そんなことを言うのは綾音ちゃんくらいだ」
 軽くそう応じると、彼女は当惑したように曖昧な笑みを浮かべて目を伏せる。
「私は本当にそう思ってるよ?」
「あ、別に疑ってるとかじゃなくて」
「だって創真くんが好きなんだもん」
「えっ?」
 思わず聞き返すが、彼女は下を向いたままこちらを見ようとしなかった。横髪に覆い隠されていて表情はよくわからない。戸惑っているうちに、ペットボトルを抱えた翼が軽やかに走りながら戻ってきた。
「綾音ちゃん、はい」
「ありがとう」
「創真もついでだ」
「ああ……」
 綾音に続いて、創真も差し出されたペットボトルを受け取る。
 翼は何事もなかったかのように笑顔を見せている。離れているあいだに気持ちを切り替えてきたようだ。綾音も普段と変わらない様子である。もうさきほどのようなぎこちない空気はない。
 けれど、創真だけは落ち着きを取り戻せずにいた。
 その原因である綾音をこっそりと横目で窺っていると、彼女は視線に気付いたように振り向いてふわりと微笑んだ。その心情も、その意図も、あの言葉も——創真は何ひとつわからず混乱するばかりだった。





ランキングに参加しています

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「小説」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事