瑞原唯子のひとりごと

「機械仕掛けのカンパネラ」第11話 強制狂言誘拐



「坂崎七海は預かった。返してほしければ坂崎俊輔の墓の前にひとりで来い」
「ちょっ……?!」
 武蔵が電話の相手にとんでもないことを言い出した。
 ソファに座っていた七海は驚いて突っかかろうとしたが、隣の遥に体ごと抱き込まれてしまう。おまけに口まで塞がれて声も出せない。どうにかして逃れようと足をばたつかせて身をよじるもののびくともしない。この細身のいったいどこにと思うほどの馬鹿力である。
 真壁拓海を呼び出すから連絡先を、と遥に言われて拓海の携帯番号を教えたのだが、まさかこんな脅迫めいた方法をとるとは思わなかった。普通に事情を話して来てもらえばいいだけのことなのに、どうして。
「坂崎俊輔の死について真実を聞かせてもらう。公安のおまえに言うのも何だが、警察に通報なんてするなよ。おまえにとっても都合が悪いことになるだろうしな」
 完全に誘拐だ――。
 自分の軽率な行動のせいで拓海に心配と迷惑をかけてしまった。遥の口車に乗らず、自分ひとりで拓海と向き合って尋ねるべきだったのだ。くやしくて腹立たしくて情けなくて目の奥がじわりと熱くなる。
 誘拐を装うことにしようと言い出したのはおそらく遥だ。電話をかける前、武蔵にこそこそと何か耳打ちしているのを目にしていた。ただ、彼も素直に頷いていたので特に反対はしていなかったのだろう。
「いいだろう」
 武蔵は窓際の壁にもたれて電話を続けていたが、こちらに目を向けてそう言うと、すらりとした長い脚で機敏に歩いてきた。腰を屈め、ソファで拘束されている七海に携帯電話を向ける。
「七海、こいつに声を聞かせてやれ」
「拓海ごめん、僕は」
 口を塞いでいた手が外された途端、可能なかぎりの早口で現状を伝えようとしたが、ほとんど喋れないまま再び口を塞がれてしまった。必死に抗うもののふがふがとなるだけで言葉にならない。
「ああ、じゃあ必ず来いよ」
 武蔵は背を向けながら携帯電話を自分の耳に当てると、そう言って通話を切り、片手で折りたたんでジーンズのポケットにしまう。遥はそれを確認してから七海を拘束していた腕を外した。
「僕は誘拐されたわけじゃない!」
 七海ははじかれたようにソファから飛び退いて遥から距離を取り、キッと睨みながら訴える。彼のそばにいるのは危険だとあらためて思い知らされた。くすぐられたり、口を塞がれたり、何をされるかわかったものじゃない。
 しかし、当の本人は面白がるように薄い唇に笑みをのせた。
「七海を預かっているのは事実だし、嘘は言ってないよ」
「はあ?!」
 誘拐したとは言ってないかもしれないが、人質として話を進めていたくせに、よくもそんなことが言えたものだ。武蔵も同じ考えなのかと、カッと頭に血をのぼらせながら後ろを振り返ると、彼は背を向けたままうつむき加減で立ちつくしていた。
 遥もその何かありげな様子に気付いたようで、怪訝に眉を寄せる。
「武蔵、どうしたの?」
「ああ……あいつ何か落ち着きすぎのような気がしてな。何を言っても驚かないで終始淡々と話を進めてたし。もしかしたら状況を知っていたのかもしれない。つけられてる気配はなかったんだが……」
「どっちにしても来るしかないよ、七海が心配ならね」
 遥の言葉に、七海はドキリとして顔をこわばらせる。もし七海を心配していなければ、助ける価値がないと判断すれば、拓海は来ないかもしれない。そのことに初めて気付かされた。
「もし来なかったら、僕、どうなるの?」
「……二度とあいつのところへ帰さない」
 武蔵は強い意志を感じさせる口調で、静かに断言する。
 これでは本当の本当に誘拐だ。要求どおりにならなかった場合、現実でもドラマでもたいてい人質が始末されている。ときには見せしめのように残酷に。七海もそうするつもりということだろうか。
「七海、そこバスルームだからシャワーを浴びてこい。体にも血がついてる。新しい服も用意してあるからそっちに着替えろ」
「……うん」
 不安は募るが、いまとなっては待ち合わせ場所に向かうしかないし、そのためには血で汚れたままというわけにもいかない。胸にもやもやしたものを抱えつつも素直にバスルームに向かう。
 そこに用意されていた着替えは七海が着ているものとよく似ていた。デニムのショートパンツに長袖Tシャツ、ブルゾン、靴下、それに下着まである。ただ、新しいからか質がいいからか手触りはまったくの別物だった。
 服を脱ぐと体のあちこちに血がついているのがわかった。手や顔などは簡単に拭ってくれていたようだが、体の方には手をつけていなかったのだろう。頭から熱いシャワーを浴びてこすり落としていく。
 これ、武蔵の血なんだ――。
 ザー……シャワーの流れる音をぼんやりと聞きながら、排水溝に流れていく汚れた湯を見つめて眉を寄せる。そのまま動きを止めてじっと立ちつくしていたが、やがて我にかえり、湯の温度を上げて浴びなおしてからシャワーを止めた。
 ホテルのものと同じようなふかふかのバスタオルで体を拭くと、用意された衣服を着てバスルームを出る。そこに遥の姿は見えず、武蔵ひとりがゆったりとソファに身を預けていた。七海に気付くと手招きする。
「ドライヤーなかったのか?」
「さあ、見てないけど」
「ここに座って待ってろ」
 促されるままソファに腰掛けていると、武蔵はバスルームからドライヤーとブラシを取って戻ってきた。隅のコンセントに挿し、強力な温風で七海の濡れたショートヘアを乾かし始める。
「自分でやるよ」
「いいから」
 白い包帯の巻かれた手で、丁寧に七海の髪をとかしながら温風を当てていく。
 その手が鼻先をかすめたときかすかに消毒液の匂いがした。痛そうにはしていないが、あれだけ切れて出血したのだから痛くないはずがない。手当てをしたとはいえ、普通にブラシを握って大丈夫なのかと心配になる。
「よし、乾いたな」
「……ありがと」
 武蔵は満足そうに笑顔で応じて、手にしていたドライヤーとブラシを片付けに行った。バスルームからカタンと小さな物音が聞こえたかと思うと、すぐに戻ってきて隣に腰を下ろす。七海は緊張で表情を硬くしてうつむいた。
「ごめん」
「ん?」
「手……」
 そう言いながら、横目でちらりと包帯の巻かれた左手を見る。ああ、と武蔵は得心したようにその包帯の手を軽く掲げた。
「七海が気にすることじゃない」
「だって僕のせいで怪我したんだし」
「ナイフを握ったのは俺の判断だ」
「僕は武蔵を殺そうとしたんだよ?」
「それ、悪いと思ってるか?」
 自分の中の矛盾を突かれて言葉に詰まり、目を伏せる。
「悪いと思ってないなら謝らなくていいさ」
 武蔵は軽い口調で流すと、包帯の巻かれていない方の手を七海の頭にぽんと置く。彼がどう思っているのかわからず戸惑うものの、置かれた手はあたたかく、七海はそれだけですこし不安がやわらぐのを感じた。

「あんまり時間がないから簡単なものだけど」
 遥は大皿のサンドイッチと飲み物を用意して戻ってきた。実際にワゴンで運んできたのは執事の櫻井だ。ソファに座る七海たちの前にサンドイッチを置き、紅茶を淹れる。七海の前にはオレンジジュースを置いた。
 櫻井が下がると、遥と武蔵はさっそくサンドイッチに手を伸ばした。
「七海も食べろよ」
「うん」
 武蔵に促されておずおずと手を伸ばす。しかし、一口食べたら随分と空腹だったことに気付き、警戒も遠慮も忘れて次から次へと頬張っていく。隣で武蔵がくすりと笑っていたことには気付きもしなかった。

 約束の時間が近づき、執事の櫻井が運転する車で墓地に向かう。
 助手席には遥が、後部座席には武蔵と七海が並んで座っている。四人とも黙りこくったまま口を開こうとしない。車内は息の詰まりそうな沈黙に包まれていた。隣の武蔵をちらりと見ると、何か思案しているのか難しい顔をして腕を組んでいた。

「遥、おまえは櫻井さんとここで待っててくれ」
 駐車場に着くなり、武蔵は後部座席から身を乗り出してそう言った。その表情からは自分で決着をつけるという覚悟が窺える。それゆえ遥も反対できなかったのだろう。不満そうにしながらも、十分に気をつけてとだけ言って送り出した。
 七海は武蔵に同行している。人質として。
 今朝と同じように、石造りの細い階段を上って小高い丘の上に出た。ひんやりとした風が頬をかすめる。灰色の雲の切れ間から覗く水平線は茜色に染まり、そろそろ日が沈もうとしていた。
 整然と並んだ墓石のあいだを武蔵は迷いなく進んでいく。一度来ただけなのに場所を記憶しているようだ。七海はその後ろを歩きながら目的地に目を向ける。そこにはスーツ姿の男性がひとり墓の前で佇んでいた。
「パパっ!」
 来てくれた、見捨てられなかったんだ――七海は歓喜の声を上げて走り出したが、すぐに武蔵に追いつかれた。片腕で肩を押さえつけるように抱き込まれてしまう。必死にじたばた暴れるものの脱出できる気配すらない。
「放せよ!」
「取り引きはまだ終わってない」
 拓海が来たことで人質としての役割は果たしたと思ったのに、まだ利用するなんて。思いきり眉をひそめて背後の武蔵に振り返る。しかし、彼は七海など眼中にないかのように正面を見据えていた。
 視線の先にいるのは拓海だ。彼の方もまた瞬ぎもせずに武蔵を見つめ返している。表情こそいつもと変わらないように見えるが、その瞳はゾッとするほど冷たい。まるで長年の仇敵を前にしているかのように。
「アンソニー=ウィル=ラグランジェ」
「……いまは武蔵だ」
 武蔵が不快そうに顔をゆがめる。
 どうやらアンソニーというのが本当の名前のようだ。この国の人間ではないと言っていたことを思い出す。そして、やはり二人には面識があったと考えるしかない。
「俺とおまえの中間地点に七海を立たせろ」
「いいだろう」
 拓海の指示に、武蔵は迷うことなく同意した。七海の肩を押さえていた腕を外す。
「七海、あの黒い墓石のところまで行け」
 すこし迷ったが、拓海の提案だから従った方がいいのだろう。一歩一歩ゆっくりと足を進め、中間地点と思われる黒い墓石の前で足を止めた。武蔵のそばでも拓海のそばでもないこの状態が、何かとても心細い。
 あらためて拓海の方に目を向ける。彼は仕事に出かけたときと同じスーツのまま、小脇にイルカのぬいぐるみを抱えていた。そして隣には父親の墓があり、拓海が持ってきたと思われる花が供えられていた。
 二人は親友だったと聞いている。
 父親が生きていたころはときどき拓海が遊びに来ていた。あまり笑わない拓海だが、父親と話しているときだけは表情がやわらかくなる。父親も拓海と喋っているときはいつも嬉しそうだった。だから、彼が真犯人だなんてことは絶対にありえない――。
「えっ?」
 ふいにイルカのぬいぐるみが投げてよこされた。コンクリートをはずむように転がり、七海の足にぶつかった。尾から横腹に当たる部分には黒い汚れがついている。七海がずっと大切にしてきたぬいぐるみに間違いない。
 続いて、透明なビニール袋に入ったものが放り投げられた。地面をすこしすべってぬいぐるみの横で止まる。その中にはナイフと服が入っているように見えた。どちらもどす黒いものでひどく汚れている。
 ――血?
 そろりと顔を上げ、答えを求めるように怪訝な視線を送る。
 拓海はじっと無表情のまま見つめ返してきた。嫌な予感に、七海の心臓はうるさいくらいに早鐘を打ち始める。それでも目をそらすことなく正視していると、やがて彼の口から静かに言葉が紡がれた。

「七海の父親、坂崎俊輔を殺したのは、俺だ」





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